表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
529/569

516話 発芽

 風が、焦げた大地をなでるように吹き抜けた。

 血と煙の匂いが入り混じる戦場で、金の髪がその風に揺れる。


 焦げついた空の下、少女──代弁者は静かにその唇を開いた。


「……やり直す。この世界を」


 その声音は冷たくも穏やかで、まるで祈りのようだった。

 だが、その瞳に宿るのは慈悲ではなく、決意。

 彼女の眼前に広がる世界の断片が、光の粒となって震え始める。


 ──世界を“造り変え得る種”。

 それが彼女の視界に、確かに映っていた。


 ビスマーがゆるやかに指を持ち上げ、そして――一度だけ、軽やかに弾いた。


 その瞬間、地上に広がる戦場がざわめいた。

 魔獣と人とが入り乱れる戦線で、兵士たちが突然、苦悶の声を上げる。

 筋肉が硬直し、血管が青黒く浮き出し、叫びが連鎖するように広がった。

 誰かが仲間の名を呼び、駆け寄ろうとしたが──前方から押し寄せる魔獣の群れが、それを許さない。

 混乱が、音を立てて広がっていく。


 遠くからその惨状を見つめていたアルベリオは、眉をひそめ、低く呟いた。


「……この異変、今ビスマーが指を弾いた瞬間に始まった」


 彼の視線が空を貫き、黒煙の向こう、宙に浮かぶ金の少女を捉える。


 その視線に気づいたビスマーは、ほんの一瞬だけ、唇の端を上げた。


「“世界中”で、混乱が始まったはずだ……」


 風に消えるほどの声で、彼女は呟く。


「もう──後戻りはできないよ」


 金の髪が光を弾き、焦げた空の下で舞う。

 そして、世界は静かに、確実に、崩れ始めた。


 魔獣と兵士が争う戦場に、絶叫が木霊した。

 それは痛みにも似て、だがもっと根源的な“異常”への悲鳴だった。


 苦しみに身をよじる兵士たちの身体が、次第に常識を裏切る形へと変貌していく。

 耳が、まず黒ずみ始めた。

 血の色が引き、腐敗するように色を失い、やがて“ぽとり”と音を立てて地に落ちる。


「う、うぁああ……っ!」


 叫びが、嗚咽に変わる。


 次の瞬間、彼らの頭髪が急速に伸び、毛並みのように変質していく。

 そして――頭頂付近が裂け、そこから、柔らかくも鋭い“獣の耳”が突き出した。

 耳の形は人それぞれ、狼、狐、猫……中には形容しがたい未知のものまで。


 ある者の背中には尻尾が生え、ある者の肌には硬質な鱗が浮かび上がった。

 筋肉が膨張し、骨格が軋み、血の匂いと変化の音が入り混じる。


 だが、すべてが“変化”ではなかった。

 ある者は変化の途中で命を失い、ある者は鏡もないまま己の姿に恐怖し、発狂して崩れ落ちた。


「おいっ……! どうした! お前ら、何が──」


 “正常”な兵士や勇者たちは、その異様な光景に声を失う。

 仲間が、友が、まるで別の生き物へと変わっていく。


 誰も、何もできなかった。

 ただ息を呑み、震える指先でその惨状を見つめるしかなかった。


 やがて、苦しみの呻きが止んだ。

 戦場に、静寂が訪れる。


 立ち上がった彼ら――さきほどまで人間だった兵士たちは、今や“獣族”へと成り果てていた。


 鋭い爪、耳、尾を持ちながらも、その瞳にはまだ人の迷いが残っている。


「……どうなってんだ、これ……?」


「俺たち……まさか……」


 獣の耳を震わせ、互いに見合う彼ら。

 困惑と恐怖、そして微かな本能のうねりが交錯する。


 彼らの上空で、ビスマーは静かに見下ろしていた。

 その表情は――悲しげでありながら、どこか満足げでもあった。


 眼下では、兵士たちが苦しみに身をよじり、変化を遂げていく。

 耳を失い、獣耳を得て、鱗や尾をまとい、人としての形を保てぬまま、立ち尽くしている。


 そんな地上を見下ろしながら、ビスマーは淡々と語り出した。


「今、ここで起きた変化は――いずれ、世界中で発生する」


 その声は風に溶け、だが確かな響きをもって空を震わせた。


「これが……私の……彼の計画。

 世界の均衡を壊さずに、新しく“造り替える”ための手段」


 黄金の瞳が静かに光を帯びる。


「全人類の“獣化”――意思も思考も、姿さえも……すべてを獣族に変える。

 ”運悪く”獣族へ成れなかった者たちは死に……さらに、適合しなかった者は殺す」


 指先で光の粒を弄びながら、彼女は微笑む。


「ゼロ・アークライトが創り出した、最高傑作の“種”……それが、今動き出した」


 その言葉とともに、空がひび割れたように赤く染まり、月が、血のような紅を湛えて輝き出す。


 ――そして、世界は動き始めた。



 ※※※



 ――ダール王国。


 数年前、“死者の暴走”を乗り越えた国。

 希望を取り戻した民たちの上に、再び異変が訪れた。


 夜が明けない。

 空に浮かぶ赤い月が、何日も沈まない。

 そして――街のあちこちで、人々の身体が異形に変わっていく。


「ぎゃあああああっ!」


「助けてくれぇっ! 耳が、耳がぁ!」


 次々と獣耳を生やし、尻尾を持ち、ある者は理性を失って咆哮を上げた。

 国中が混乱に包まれる。


 王城の謁見の間で、国王シェリウス・ダール・アーノルドは眉をひそめ、重く問いを放った。


「ヴァルティエル……今この国で起きている事態、一体どういうことだ?

 先日から出現している“赤い月”と、“夜が明けない”現象が関係しているのか?」


 呼び出された”骸骨の男”――ダール国軍団長、ロレンツォ・ヴァルティエルは片膝をつき、深く頭蓋骨を垂れる。


「はっ……殿下。僕……私にも詳しいことは分かりませんが……獣族へと変わってしまった彼らからは、邪悪な魔力を感じました。

 ……まるで、数年前の“レグナ”のような……」


 その名を聞いた瞬間、謁見の間の空気が凍りつく。

 王は重く頷き、低く呟いた。


「また……どこかで“彼”が戦っているのかもしれん。

 私たちにできることは少ない。……まずはこの混乱を鎮めよ!」


「はっ!」


 ヴァルティエルは敬礼し、すぐさま駆け出した。



 ※※※



 ――アルガド王国・鍛冶の街ヒルデア。


 夜明けを忘れた世界。

 赤月の下、鉄槌の音がいつまでも響いている。

 住人たちは異常な空にも慣れ、ただいつもの仕事に没頭していた。


 だが――突如、咆哮が街を貫いた。


「魔獣だっ! 魔獣が出たぞ!」


 通りが火のように騒然となる。

 街の酒場から、ひとりの男が酒瓶を片手に出てきた。

 赤毛の豪剣士――ガルス・ヴォルガン。


「チッ……せっかくの酒が台無しだぜ」


 背中に携えた大剣を片手で抜き、ふらつきながらも魔獣を次々と叩き斬る。


「ははっ、やりやがった!」


「まぁた酒飲みながら戦ってるぞ、アイツ!」


 通りの住人たちは笑い、酔いながら彼を応援していた。


 だがその笑いは、突如として凍りつく。


「うおっ!? なんか俺、尻尾生えてる!!」


「はぁ!? お、俺もだ! 耳が伸びて――!」


 ガルスが目を剥く。

 振り返れば、さっきまで飲み友だった連中が、狼の耳を生やし、尻尾を振り乱して立ち尽くしていた。


「はァ!? おめェら一体どうなってやがんだァ!?」


「オレたち、獣族になっちまったよー!!」


 笑いが悲鳴に変わり、街が混乱に包まれる。



 ―――。



 ――街の外・ヒルデア郊外。


「クソッ! こいつら一体どこから湧いてるんだ!」


 剣を振るいながら叫ぶ男――カイン・ストラウス。

 かつて廃れた学園を守っていた彼は、今や学園の教師であり冒険者でもある。


 青い光を帯びた刀身が、次々と魔獣を切り裂く。

 その傍らで、鍛冶師兼冒険者のセレナ・フェルディアが軽やかに舞い、レイピアを閃かせていた。


「知らん! だが……嫌な気配がする!」


 セレナの声に、カインは歯を食いしばる。


「考えてる暇はない……! こいつら、尋常じゃない強さだ!」


 だが次の瞬間、カインは目を見開いた。


「……セレナ、お前、それ……」


「え?」


 セレナが自分の頭に手をやる。

 そこには――ふわりと揺れる獣耳があった。

 さらに、背中の方で柔らかく尻尾が揺れている。


「な、なにこれ!? どうなってんの!?」


 カインは剣を構えながら、ただ呟くしかなかった。


「本当に……何が起きてるんだ……!」



 ※※※



 ――エグザミート王国。


 荘厳な玉座の間に、静寂が満ちていた。

 王――エグザミート・サランドラは、紅く染まる窓の外を眺めながら呟く。


「これが……“前兆”なのか……」


 慌ただしく駆け込んできた側近が、膝をつき報告する。


「殿下、緊急事態です! 国中で人族が獣族へと変貌する異変が相次いでおります! 中には死傷者も……!」


 サランドラ王は目を細め、重く息を吐いた。


「……“ビスマー”」


「は?」


 側近が顔を上げる。


 王は静かに続けた。


「勇者レオンが発ってから……赤月、明けぬ夜、そして人族の獣化。

 ――どうやら勇者たちは、“ビスマー”に敗北したらしい」


 側近は言葉を失い、ただ震える唇で呟いた。


「な……なんということを……!」


 紅の月光が玉座を照らし、その光はまるで、世界の終焉を告げるかのように揺らめいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ