48話 生きるか死ぬかの世界
夜霧通りの目前で俺たちは立ちすくんでいた。
いつも見ていた街並みとは打って変わって、そこは鉄の匂いが充満し、道端には黒い染みや赤く染まった袋などが無造作に置かれていてとても見ていられるものではなかった。
しかし俺たちはこの先を行かなければならない。
ノアを助けるために。
俺たちは顔を見合わせた後、夜霧通りの闇に飲まれていった――。
しばらく歩いていると徐々に人を見る機会が増えていく。俺たちがその人たちの前を通るたびに彼らは冷たい視線を向けてきた。
中には、不敵な笑みを浮かべながら俺たちを値踏みするように見つめる者もいる。
そのどれもが普通の人間の眼差しではない。まるで獲物を見つけた狩人のような、あるいは誰かの不幸を楽しむような――そんな歪んだ感情が透けて見える視線だった。
「……気味が悪いな。」
ライガが低い声で呟く。普段強気な彼も、さすがにこの異様な空気には飲まれそうになっているようだ。
「気を抜かないで。下手に注目を集めると、面倒なことになるわ。」
カリーナが鋭い声で釘を刺す。その言葉に、俺たちは自然と肩を寄せ合い、慎重に足を進めた。
道端には奇妙な露店が並び、商品として並べられているものもどこか不穏だ。奇怪な形をした魔具や、正体のわからない薬品の瓶、さらには檻の中で震える生き物――いや、人のような存在も見えた。
フェンリが小さく眉を寄せる。
「この通りの人々……どうやら善良な商人たちとは思えませんね。」
「わかりきってるだろ。全員、どっかしらヤバい奴ばっかだ。」
ジャンガが吐き捨てるように言い、背中を軽く震わせた。
「でも、こんなとこで怯えてたら進めねえ。ノアを見つけ出すためだ……行くしかねえだろ。」
俺たちは互いに頷き、さらに奥へと足を運んだ。その中で、俺はふと感じた。どこかから、こちらを監視するような視線を感じる。
「ちょっと待ってください。」
俺が立ち止まると、周囲がその場で止まった。
「どうした?」
ライガが不安そうに聞く。
「……誰かが、俺たちを見ています。」
その言葉に全員が緊張し、辺りを見回す。そして、次の瞬間――薄暗い路地から、一人の男が姿を現した。
「おやおや、こんなところに学園の制服を着た子供たちが来るとは珍しいねぇ。」
図ったようなタイミングで出てきた男は薄汚れた外套を羽織り、痩せこけた顔には不敵な笑みを浮かべていた。その目は、獲物を見定めた捕食者のように鋭い。
「俺たちに何か用ですか?」
俺が問いかけると、男は薄笑いを崩さずに近づいてきた。
「いやいや、ただの親切心さ。ここは危険な場所だって知ってるだろう?坊やたちみたいな可愛いお客さんがうろつくところじゃないんだよ。」
「危険だとわかっていて、あえて来ているわ。余計なお世話よ。」
カリーナが強い口調で言い放つ。しかし、男は怯むどころか、ますます笑みを深めた。
「なるほどね……坊やたち、何かを探しているんじゃないのか?例えば……獣族の女の子とか?」
その言葉に全員が一瞬息を飲む。俺たちが反応する間もなく、男は続けた。
「情報が欲しいなら、俺に頼るのが一番だよ。何せ、この通りじゃ俺ほど耳が良い奴はいないからねぇ。」
「……何が目的なんですか?」
フェンリが警戒心を隠さずに問いかけると、男は肩をすくめて言った。
「目的なんてないさ。ただの商売だよ。情報には代価が必要ってだけさ。どうだい、取引しないか?」
その言葉に俺たちは顔を見合わせた。信じていいのか、それとも罠なのか――判断に迷ったが、この状況で情報を得る機会を逃すわけにはいかない。
「……わかりました。その代価ってのは何ですか?」
俺が問い返すと、男の笑みがさらに深まった。その目には、取引の成功を確信したかのような光が宿っていた。
「代価は簡単さ。坊やたちの力を、少しだけ貸してくれればいい。」
俺たちは緊張を抱えながらも、彼の話を聞くことにした。ノアを見つけるために――。
男は薄汚れた手を組み、俺たちを一瞥するとニヤリと笑った。
「坊やたちに頼みたいのは単純なことさ。この先の路地裏で、少々厄介な敵がいてね。そいつが邪魔なんだ。その荷物をこっそり奪ってきてほしい。大したことじゃないさ、子供たちでもできる簡単な仕事だ。」
俺たちは顔を見合わせた。その提案には、どう考えても危険が付きまとっている。それに、こんな怪しい奴に協力するのは気が進まない。だが――。
「……それがノアを見つけるための唯一の手掛かりなら、やるしかないですね。」
俺が意を決してそう言うと、ライガとフェンリが同時に声を上げた。
「待て、カイル!そいつの言葉を信用するのか?」
「そうです。罠かもしれません。」
俺も正直、迷っていた。しかし、ここで足を止めていては何も進展しない。時間が経てば経つほど、ノアが危険に晒される可能性が高まる。
「分かってます。でも、俺たちには他に手がありません。もし罠だったら、アイツを返り討ちにすればいい。それくらいの力はあります。」
俺の言葉に、フェンリは険しい表情を浮かべたが、しぶしぶ頷いた。
「仕方ありませんね。ですが、カイル、もし危険を感じたらすぐに撤退しますよ。」
「えぇ、分かってます。……それで、俺たちは何をすればいいんですか?」
俺が男に視線を向けると、彼は満足そうに頷き、詳細を語り始めた。
男の話によると、夜霧通りのさらに奥にある倉庫に、競合相手が取引用の”特別な薬”を隠しているらしい。それを盗み出せば、男は代わりにノアに関する情報を提供するという。
「もちろん、手荒な真似をする必要はないよ。こっそり忍び込んで、荷物を持ち出せばそれで終わりだ。」
そう言う男の言葉には不自然な軽さがあったが、俺たちにはその提案を飲む以外の選択肢がなかった。
「いいでしょう。その薬とやらを奪えばいいんですね。」
俺が言うと、男は笑みを深め、指を倉庫の方向へ向けた。
「そうそう。その意気だ。じゃあ、成功を祈ってるよ、坊やたち。」
――そうして、俺とライガ、フェンリは倉庫の前までたどり着いた。そこは薄暗い中にも異様な存在感を放つ建物だった。扉には厳重な鍵が掛かっており、中からかすかに人の気配がする。
「どうする、カイル?」
ライガが小声で聞いてきた。
「鍵を開けるのは僕に任せてください。」
フェンリが前に出てきて、魔法の光を杖先に宿らせる。
「便利な魔法があるんですね。」
俺が感心して言うと、フェンリは少し誇らしげに微笑んだ。
「こう見えて、鍵細工は得意なんです。」
数分後、鍵が静かに開いた。俺たちは息を潜めながら中に入り、物音を立てないよう慎重に進む。
倉庫内は薄暗く、雑多な物品が所狭しと積まれていた。その中で、一際異彩を放つ小箱が目に留まった。男が言っていた”特別な薬”はおそらくこれだ。
「これか?」
ライガが囁きながら小箱を持ち上げる。その瞬間――。
「おい、誰だ!」
背後から怒声が飛び、同時に足音がこちらに迫ってきた。
「くそっ、見つかった!」
俺たちは慌てて小箱を抱え、倉庫の出口に向かって走り出した。
「止まれ!」
追っ手の声が響く中、俺たちは必死に闇の中を駆け抜けた。
しばらく追っ手たちと追いかけっこをしていた俺たちは、あの取引を持ち掛けた男と出会った場所付近まで逃げてきていた。しかしそこには逃げ道は無く、俺たちは追い詰められてしまった。
魔法を駆使しなんとか逃げようと魔具を構えた瞬間、目の前の男達の首が同時に跳ねる。
地面に転がった頭と血を避けてこちらに歩いて来たのは先程の男だった。
男は、冷たい笑みを浮かべながら血まみれの剣を鞘に収めた。転がる追っ手の首を見つめたライガとフェンリは、顔を真っ青にしてその場に膝をついた。
「うっ……!」
「げぇっ……。」
二人が吐き気を抑えきれず、その場で嘔吐する音が響く。俺も少し衝撃を受けたが、辛うじて表情を保つ。だが、腹の底から湧き上がる嫌悪感は隠しきれなかった。
「おや、そっちの坊やは死体は見慣れているのかな?」
男が軽い調子で声を掛ける。だが、その口調は何かを試しているようにも聞こえた。
「……ふざけるな。」
俺は怒りを抑えきれず、男に詰め寄る。
「何だその態度は!俺たちはそんなことを頼んだ覚えはない!殺すなんて……!」
男は肩をすくめ、無造作に地面の血だまりを避けるように足を動かした。
「そいつらに捕まったら、お前たちがどうなるか分かってるのか?こうするしかなかったんだよ。ま、感謝してくれるなら嬉しいけどな。」
「感謝……!?」
拳を握り締め、今にも殴りかかりたい気持ちを必死に抑えた。その時、フェンリが震える声で口を開いた。
「……なぜ、こんな、あっさりと命を奪えるんですか……。」
その問いに、男は一瞬だけ真剣な表情を見せた。
「坊やたちはまだ甘いんだよ。夜霧通りに足を踏み入れるってことは、こういう覚悟を持てってことさ。生きるか死ぬか、そいつらのルールは単純だ。そいつらが死んだのは、俺たちが生きるため……それだけだ」
その言葉に俺たちは何も返せなかった。男の言うことが正しいわけじゃないと分かっているが、夜霧通りの現実を突きつけられた気がした。
男は血の付いた剣を拭きながら、俺たちから小箱を受け取った。
「さて、取引成立だな。お前らもやるじゃないか、ちょっとは見直したぜ、まぁ最後に吐いたのは頂けないがな。」
「ノアの居場所は?」
俺は鋭い口調で問い詰めた。男は小箱を胸元に抱えながら、ニヤリと笑った。
「いいぜ、教えてやる。ノアって獣族の小娘だろ?俺の情報筋によると、どうやら『ヨルの館』に連れて行かれたらしい」
「ヨルの館?」
フェンリが顔を上げて聞き返す。
「そうだ。夜霧通りでも特に厄介な場所だよ。高額な奴隷取引や、もっとえげつない商談が行われる場所だ。そいつらは一筋縄じゃいかない連中だぜ。」
ライガはまだ震える声で言った。
「そ、そこにノアが……?」
男は肩をすくめると、背を向けて立ち去ろうとした。
「ま、これ以上は俺の知ったことじゃない。せいぜい気を付けるんだな、坊やたち。」
男が立ち去ると、俺たちは血の臭いが染み付いた路地に立ち尽くした。
「……これが、俺たちの選んだ道なのか。」
俺は無意識に呟いた。ライガは拳を握りしめ、フェンリは俯いたまま言葉を発しない。
「でも、ノアを助けるためには、進むしかないんだろ?」
ライガが震えながらも前を見つめて言う。その瞳には、涙が浮かんでいたが、それでも彼の中に揺るぎない意志があるのを感じた。
「……はい。俺たちは諦めません。」
俺も彼の決意に応えるように頷いた。そして、俺たちは次の目的地である『ヨルの館』に向かうことを決めた。
それぞれの胸に、重くのしかかる後味の悪さを抱えながら。




