125話 現状
メルムトの街からエグザミート国境までは丸1日程度の距離だが、その道のりは想像以上に過酷だった。
道中、大型の野生動物や魔獣の襲撃に遭い、そのたびに足止めを食らっていたからだ。
「ルミエラさん!」
「任せな!」
俺が魔法で援護する横で、ルミエラは素早く接近して魔獣を倒す。これがもう何度目の戦闘だろうか。
広がる平坦な大地を歩いているはずなのに、この辺りは魔獣の巣でもあるのか、国境までの後半に差し掛かるにつれ、魔獣の出現率が明らかに高くなっていた。
「ふぅ……やっぱりこの辺りは魔獣が多いな。」
ふいにルミエラが呟いたその言葉が、俺の耳に引っかかった。
「『やっぱり』って……ルミエラさん、エグザミートに行ったことがあるんですか?」
俺の問いに、ルミエラは頬に付いた魔獣の血を手で拭いながら答えた。
「あぁ、昔何度かね。知ってるかい?あそこの国には風呂ってやつがあってさ――熱いお湯に浸かるだけなんだけど、これがまた気持ちいいんだよ。」
「風呂……ですか?」
俺は少し目を見開いた。
(風呂だって……!?)
前世では子供の頃によく風呂に入っていた記憶があるが、この世界では水浴びが精一杯で、風呂なんてものは一度もお目にかかったことがなかった。
「それは、俺も楽しみです!」
思わず笑顔になってそう言うと、ルミエラがニヤニヤしながら近づいてきた。
「一緒に入るかい?」
「入るか!」
俺が即答すると、ルミエラは「冗談だってば」と笑い飛ばす。
そんな軽口を叩いていると、遠くの方でまた魔獣を発見した。
「あ、魔獣ですね。倒しましょう。」
そう言いながら杖を構える俺を制し、ルミエラが手を挙げて「待て」と声をかける。
「どうしたんですか?」
「……あれは……。」
ルミエラは目を細め、魔獣の先を見据える。そして――
「人が襲われている。恰好からして商人だ!」
その言葉に俺は息を飲み、杖を構え直して言った。
「急いで助けましょう!」
俺たちは全力で走り、魔獣の背後に回り込む。そこにいたのは、この辺りでは珍しい魔獣――サンダーベアーだ。
その名の通り雷を操る巨大な熊で、全身に雷を纏わせて近接攻撃を寄せ付けない厄介な相手だ。
「……面倒な相手ですね。」
「でも、魔法使いのあんたにはうってつけじゃないか。」
「……えぇ、確かに。」
俺は魔力を練り上げ、サンダーベアーに向けて正確に魔法を放った――
「ライトニング・スピア!」
雷の槍がサンダーベアーの雷をかき消し、その巨体を一瞬で貫く。
「……よし。」
襲われていた商人のもとに駆け寄ると、彼はほとんど無傷だったものの、馬車は見るも無残な状態だった。
馬は感電死し、商品は炎に包まれて燃え尽きている。
それでも、商人は命が助かったことに感謝の言葉を口にしていた。
「うぉおおほおおお!助けていただきありがとうございます!本当に死を覚悟しました!」
そう言いながら頭を深く下げる男の姿を見た瞬間――俺は彼の顔に見覚えがあることに気づいた。
「……カランコロンさん!?」
俺の言葉に、男は驚いて顔を上げた。そして――
「えっ!?カイル君!?本当にカイル君なのか?なんでここに!?」
「それはこっちのセリフですよ!」
お互いに驚きながらも再会を喜んでいると、横からルミエラが割り込んできた。
「なんだい?知り合いなのか?」
「はい、この方は――」
俺がルミエラにカランコロンのことを説明し、その後カランコロンがここにいる理由を話し始めた。
カランコロンの話によると、彼は半年前にエグザミートに入国し、商売をしていたらしい。だが、現国王の急逝と、それに伴う内乱が原因で事態は一変したという。
エグザミート国の現国王、ミシュラ・エグザミートの急死で、その後を継ごうとした二人の王子――兄のサランドラと弟のドーラが王権を巡って争いを始めた。
「結局、内戦に敗れた兄のサランドラ王子は逃亡。弟のドーラ王子が王座を奪い、今では彼が事実上の国王だよ。」
「けど、そのドーラ王による政治が酷いものなんだよ。」
悪政によって国は荒れ、商人たちも自由に商売ができなくなり、カランコロンたちはエグザミートを脱出することにしたという。
「だからね、カイル君……今はエグザミートに行かない方がいいよ。ドーラ王のせいで、国全体が荒れてるんだ。」
カランコロンはそう忠告してきたが――
俺はその言葉を聞いても、心は揺るがなかった。
(それでも、俺は強くなるために……。)
「……ありがとうございます、カランコロンさん。でも俺はどうしてもエグザミートに行かないといけないんです。」
そう答える俺の目を見て、カランコロンは少し困ったような顔をしていた。
「まぁ……君が行くって言うなら止めはしないよ。」
カランコロンは、少し寂しそうな顔をしながらも真剣な目で俺を見据えた。
「でも、忠告だけはしておく。絶対に――城塞都市カーミラには行ってはいけないよ。」
その言葉には、冗談や軽口の類が一切感じられなかった。カランコロンがこれほどまでに真剣な顔をするのは珍しい。それだけ、カーミラという場所に何かがあるのだろう。
俺はその眼差しを正面から受け止め、静かに頷いた。
「分かりました。カーミラには絶対に行きません。」
その言葉に、カランコロンは少し安堵したように息をついた。だが、その目にはまだ心配の色が残っている。
「本当に、気をつけるんだよ……。」
そう言うと、カランコロンは懐から小さな笛のようなものを取り出した
「それは……?」
俺が尋ねると、彼は淡々と説明を始める。
「これは『呼び笛』の魔具だよ。この笛を吹くと、『呼び笛』と対になるように作られた『負い笛』の魔具に音が届いて、私の位置を知らせる仕組みなんだ。」
「……すごいですね、それ。」
感心していると、カランコロンはその笛を思いっきり吹き鳴らした。
笛の音は澄んだ高音で、遥か遠くまで響いていく。その音色には不思議な力が込められているようで、俺の耳にも特別な響きを残した。
数秒後、遠くの方から同じような音色が返ってきた。
「ほら、聞こえるだろ?あっちの方向に『負い笛』を持った商人仲間がいるんだよ。」
カランコロンは笛をポケットにしまうと、立ち上がり、尻についた土を払った。
「じゃあ、私はそっちへ向かうよ。カイル君も気をつけてね。」
俺も立ち上がり、軽く頭を下げて言った。
「分かりました。お気をつけて。」
「ありがとう。それじゃあ、またどこかで会おう!」
そう言い残し、カランコロンは手を振りながら歩き出した。
カランコロンとの別れは、いつもながらあっさりしていた。
以前もそうだったが、彼ら商人には独特の別れ方があるのだろう。必要以上に感傷に浸らない。それが商人としての流儀なのかもしれない。
俺はカランコロンの背中が小さくなるまで見送り、それから振り返った。俺の視線の先には、エグザミート国境への道が続いている。
「……行くのかい?」
横を歩くルミエラが、前を見たまま静かに問いかけてきた。その声には、どこか俺の覚悟を試すような響きがあった。
「はい。」
俺は一歩前に進みながら、しっかりとした声で答えた。
「俺は強くならなきゃいけないんです。こんなことで怖気づいていたら、いつまでたっても強くなんてなれませんよ。」
ルミエラは少し目を細め、口の端をわずかに持ち上げて笑った。
「そうかい。じゃあ、行こう!」
「はい!」
俺たちは再び歩き始めた。




