118話 魔女の名前
「――まぁ、今日はこんなもんだろ。」
魔女は満足そうな顔で俺から手を離した。その瞬間、全身から力が抜け、俺は地面に倒れ込む。
魔力総数を伸ばすための修行は、朝日の下で始まり、月が頭上に登るまでノンストップで行われた。魔力を吸収され、譲渡される。その繰り返しに俺の体は限界を迎えていた。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えに地面に大の字で横たわる俺を、魔女が覗き込むように見ていた。その表情は、どこか楽しげだった。
「どうだい?この2日間、きつかったろ?」
魔女はニカッと笑いながら手を差し伸べてくる。俺はその手を取り、引っ張り上げてもらいながら問いかけた。
「これで……本当に魔力が増えるんですか?」
半信半疑の俺に、魔女は自信満々に頷いた。
「ああ、増えてるよ。確実にね。」
その言葉に、俺は少し驚いた。あれだけの過酷な修行の末に得たものが本当にあったというのか?
「……なんで分かるんですか?」
疑念を抱きながら尋ねると、魔女は肩をすくめて答える。
「途中から、あんたの魔力を吸収するのに時間がかかっただろ?それは、吸い取る魔力の量が増えたってことだよ。」
そう言いながら、魔女は俺の肩に手を置き、俺の中に魔力を譲渡してきた。その魔力は確かに俺自身のものと同じ性質を持ち、すんなりと馴染む感覚があった。
「どうだい?変化はあるかい?」
魔女に促され、俺は自分の身体に意識を集中させる。体内の魔力の流れを感じ取り、その総量を測るように――すると、確かに朝よりも魔力が増えているのが分かった。
「……! 増えて……ます。」
驚きの声が自然と漏れる。どれだけ試行錯誤してもまったく増えなかった魔力が、今、確かに増えているのだ。
俺は魔女を見る。目の前にいるこの得体の知れない女をまだ完全には信用できない。だが、彼女の言っていたことは少なくとも事実だった。
俺はまだ強くなれる。
その事実に気づくと、胸の奥から喜びが湧き上がってきた。
そんな俺を見て、魔女がニヤニヤしながら話しかけてくる。
「なんだい?そんなに強くなることが嬉しいのかい?」
「え?」
不意に顔を上げると、魔女がさらに俺の顔を覗き込むように近づいてきた。
「だってさ――そんな楽しそうな顔をしてるじゃないか。」
その言葉にハッとして、自分が無意識に笑顔になっていることに気づいた。
「いや、これは……」
俺は咄嗟に顔を伏せた。笑っているところを見られるのが恥ずかしかったわけじゃない。ただ、自分がこんなにも嬉しく思っていることを彼女に気づかれたくなかったのかもしれない。
「いいね。」
魔女の言葉が、澄んだ夜の空気の中で静かに響いた。
「強くなることを楽しむ奴は、どんどん強くなるよ。誰が言った言葉かは知らないけど、昔から言うだろ?『努力する者が楽しむ者に勝てるわけがない』ってね。」
そう言うと、魔女は俺の胸を軽くドンッと叩いた。
「――あんたは、強くなれる。」
その言葉は、まっすぐ俺の胸に突き刺さった。俺の中で何かが熱を持つような感覚――それが何なのか分からない。胸がじんわりと温かくなるような、何かが溢れてくるような、そんな気がした。
それが何の感情だったのか、もしくは彼女の魔力が何か影響していたのか。今の俺には分からない。ただ、ひとつだけ確かだったのは――
誰かに「お前は強くなれる」と言われたのは、これが初めてだった。
その言葉が、どこか胸の奥に触れて、嬉しくて仕方がなかったのかもしれない。
俺は地面に座り込みながら、深呼吸を繰り返した。空には満月が輝いている。月の光に照らされる魔女の姿は、どこか神秘的で――やっぱりどこか得体が知れない。
「……そういえば、貴女の名前、まだ聞いてないですよね。」
ふと気づいてそう言うと、魔女は口元に手を当て、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「そうだね。確かに名乗ってなかった。」
彼女はふわりとローブをなびかせると、俺の目をじっと見て言った。
「あたしは、ルミエラ・ノクターレ。覚えておきな。世界一の魔女の名前をさ。」
「ルミエラさん、……覚えておきますよ。」
その名前を心に刻みながら、俺はもう一度空を見上げた。満月の光は、明日への希望のように眩しかった――。
――俺は、強くなる。そしてこの先、待ち受けるどんな困難にも、必ず打ち勝つ。
その時、俺の中で静かに燃える決意が生まれた。
―——。
気が付くと、見覚えのある天井が視界に広がっていた。ここは、俺が泊まっている宿の部屋だ。寝ぼけた頭で周囲を見回すと、風の音が微かに聞こえ、肌寒さを感じる。
「……寒っ。」
風が吹く方を見てみると、ボロボロの扉が雑に修繕されているのが目に入った。ギィーと不気味な音を立てながら、半開きの状態で揺れている。そこから漏れる朝日の光が部屋の床を照らしていた。
徐々に記憶が戻ってくる。
(あぁ、そうか……昨日の修行の後、疲れ切って寝てしまったんだっけ。)
魔女ルミエラの過酷な修行を終えた後、俺は完全に力尽きて気絶するように眠ってしまったらしい。だが、どうやってここまで帰ってきたのかまでは覚えていない。
(ルミエラが俺を運んでくれたのか? そうなら迷惑をかけてしまったな。後でお礼を言っとくか……)
そう思いながら、身体を覆っている布団をどけようと手を伸ばした瞬間――
「……ん?」
布団の端が何かに引っかかる感触を覚えた。妙な違和感を感じてふと右側を見てみると、そこには……
ルミエラが肩肘をついて添い寝していた。
「やぁ、起きたかい。」
彼女は満面の笑みを浮かべ、悪びれる様子もなく言った。
「何してんですか。」
「添い寝。」
あまりにも堂々とした答えに、俺は瞬間的にベッドから飛び起きた。
「ちょっ、ふざけないでください!」
「なんだよぉ、添い寝くらいでスネるなよ~」
既視感のあるやり取りを繰り広げながら、俺たちはようやくそれぞれ気を持ち直した。
「ルミエラさんがここにいるってことは、昨日ここまで俺を運んでくれたんですね。それはありがとうございます。でも俺が寝てるのをいいことに、膝枕とか添い寝とか……やめてください。」
そう言うと、ルミエラはニヤリと笑みを浮かべた。
「なんだいなんだい?そんなことされたら“あそこ”が反応しちゃうからかい~?」
彼女の挑発めいた言葉に、俺は一瞬イラッとしたが、どうにか心を落ち着かせた。
「……そんなわけないでしょ。おばさんに欲情するほど雑食じゃありま――」
「……うん?」
言いかけたところで、ルミエラの顔色が微妙に変わる。強烈な殺気が漂い始めたのを感じ、俺は瞬時に話題を変えることにした。
「そ、それは置いといて、今日から謹慎解けるんですよね?」
俺の急な話題転換にルミエラはしばらく不機嫌そうな顔をしていたが、肩をすくめて答えた。
「あぁ、やっとだよまったく。誰があたしを謹慎させたんだかねぇ。」
「自業自得でしょ。」
俺は呆れたように返しながら、着替えを始めた。ルミエラも特に反論することなく、俺の準備を黙って見ていた。
着替えを終えた俺は、ルミエラに問いかけた。
「それで、今日から依頼を受けるわけですけど、ルミエラさんは何か目星をつけてるんですか?」
「目星?」
「ええ。依頼を受けるって言っても、何でもかんでも適当に選べるわけじゃないですからね。報酬や内容、危険度……いろいろ考える必要があるでしょう?」
そう言うと、ルミエラは少し考え込むような顔をした。
「まぁ、そうだね。けど、あたしは危険な依頼が好みでね。稼ぎが良いなら多少のリスクは問題ないよ。」
「……また無茶なことを。」
呆れた俺に対して、ルミエラは肩をすくめながら笑った。
「無茶をするからこそ、稼ぎがデカいんだよ。それに、あんたも強くなるためには危険な依頼を受けたほうがいいだろ?」
「いや、だからと言って死ぬのは本末転倒じゃないですか。」
俺の真っ当な指摘にも、彼女は意に介さず、楽しげな表情を浮かべている。
「それで、具体的にはどんな依頼を考えてるんですか?」
俺が話を戻すと、彼女はポケットからギルドの掲示板に貼られていた依頼の写しを取り出して見せてきた。それには次のように書かれていた。
―——
「緊急討伐依頼:『影狼』」
依頼内容
近隣の森で目撃された影狼の討伐。影狼は高い知能と強力な魔力を持ち、討伐の際には十分な準備が必要。
推奨人数
4~6人の熟練パーティー
報酬
金貨30枚+影狼の魔石(現物支給)
―——
「推奨人数……4~6人って書いてあるじゃないですか!」
俺は思わず大声を上げた。
「無理ですよ、俺たち二人でこんな依頼なんて!」
「無理かどうかはやってみなきゃ分からないだろ?」
ルミエラは悪戯っぽく笑いながら言う。
「ま、どっちにしても今日はギルドに寄ってみて、もう少し詳しい話を聞いてからだね。それまでは力を抜いておきな。」
彼女の軽い言葉に、俺は不安を覚えながらも頷くしかなかった。




