111話 肉食植物
花が生えているという丘には、拍子抜けするほどあっさりと到着した。
街から歩いてわずか10分ほどの場所にある、特に目立った特徴もない普通の丘だ。道中、危険そうな動物や魔獣の影すら見当たらず、むしろ静寂が漂っていた。
こんな平和な場所が依頼の対象になるなんて、やはり何か裏があるのではないかと疑う気持ちもあったが、今は目の前の仕事に集中することにした。
依頼書を広げ、再び確認する。
今回持ち帰るべき花は『上・神泉花』という名の花だ。『神泉花』自体は、この世界では極めて一般的な植物で、前世で言うところの雑草のような存在らしい。
神泉花は薬草としての価値が高く、回復ポーションの主要な材料になる。さらには料理に使われることもあり、その用途は幅広い。しかし、この上・神泉花は話が違う。
上・神泉花は神泉花の中でもごく稀にしか存在しない希少種で、上級回復ポーションの材料として知られている。上級ポーションともなれば、その効果はまさに奇跡的だとされており、失った身体の部位すら、時間がそれほど経過していなければ再生させるほどの効力を持つという。
俺のように治癒魔法が苦手な人間にとっては喉から手が出るほど欲しいものだが、ポーションそのものが高価な上に、その材料を揃えるのも至難の業だ。
自作できればと思うが、そんなに簡単にできるなら誰も苦労はしないだろう。おそらくポーションの製造には特殊な技術や魔法が必要なのだろうと勝手に想像する。
そんなことを考えながら辺りを探していると、意外なほど早く目標の花を見つけてしまった。
薄暗い丘の中で、ひときわ目を引く存在感を放っている。それは、青と金が混ざり合った花弁が特徴的な、美しくも神秘的な花だった。花弁からはほのかに輝きが漏れており、風が吹くたびに揺れるその様子はまるで小さな星が地上に舞い降りたかのようだ。濃い緑色の花茎も生命力に溢れており、一目でただの雑草ではないことが分かる。
「これか。」
思わず声に出してしまったが、周囲には誰もいない。これほど簡単に見つかるとは思っていなかったので、少し拍子抜けした気分だ。それでも、依頼書に記載されていた目標を達成できそうなことに安心する。
依頼ではこの花を5本摘んで持ち帰るよう指示されているが、これだけ希少で高価な花なら、予備を取っておいて損はないだろう。俺自身が使うかもしれないし、他の冒険者や商人に売れば、ちょっとした臨時収入にもなるかもしれない。
「よし、念のため10本は摘んでおこう。」
俺は慎重に花を摘み取る作業を始めた。花を傷つけないように茎の根元をそっと掴み、静かに引き抜く。すると、わずかに甘い香りが漂い、これがただの薬草ではないことを改めて実感する。手持ちの布袋に丁寧に包みながら、一本、また一本と確実に摘み取っていく。
しかし、10本目を摘み終えたその時、不意に背筋がぞくりと寒くなった。辺りを見渡すが、先ほどまでの平穏な雰囲気がどこか変わっている。風が止み、静寂が重くのしかかる。
「……なんだ?」
遠くで、何かが地中を進んでくる音が聞こえる。規則的な音ではなく、不規則で、重い。それがどんどん近づいてくるのを感じ、俺は自然と体を低くした。
「危険がないと思わせておいて……これか。」
息を潜め、音の方向を警戒しながら杖の柄に手を添える。
次の瞬間、目の前の丘が不気味な音を立てながら膨らみ出し、まるで生きているかのように動き始めた。
そして、地面が裂けたかと思うと、一斉に緑色の何かが飛び出してきた。それは触手のような形状をした無数の蔓だった。蔓はうねうねと蠢きながら地面を激しく叩きつけ、乾いた音を響かせている。
驚きとともに後ずさる俺の目に飛び込んできたのは、さらに衝撃的な光景だった。上を見上げると、巨大な赤色の唇がいっぱいに開き、その内側には鋭利な歯がぎっしりと並んでいる。
唇は獲物を飲み込むために大きく開かれ、わずかに光を反射した歯が鈍く輝いている。その口からは生臭い風が流れてきて、嫌な予感が全身を駆け巡った。
「まじか……」
思わず呟いた言葉が口をついて出る。
間違いない。目の前の存在は肉食植物だ。その巨体は圧倒的な威圧感を放ち、まるで丘そのものがその植物で構成されているかのようだ。
蔓の一本一本が意思を持っているかのように動き、俺を包囲するような態勢を取り始める。その動きには迷いがなく、明らかに俺を仕留める気でいるのが分かった。
「まさかこんなやつが隠れてたとは……」
呆れる暇もなく、一本の蔓が空気を切り裂く音を立てながら俺に向かって飛んできた。その速度は驚くほど速く、もし一瞬でも躊躇していれば確実に捕まっていただろう。
俺は杖を構え、素早く魔法を発動させる。
「ファイア・ボール!」
発動された火球が勢いよく肉食植物に向かい、飛び出してきた蔓のいくつかを焼き払う。焼け焦げた蔓が地面に落ち、嫌な焦げ臭い匂いが立ち込める。しかし、それで事態が収まるはずもなかった。焼けた蔓はわずか数秒の間に新しいものが再生され、再び俺を狙って迫ってくる。
「再生能力か……!」
一瞬、弱気になりそうになるが、そんな余裕はない。周囲から次々と伸びてくる蔓の猛攻に対処しながら、俺は冷静に距離を取り、隙を探る。地面の隙間から新しい蔓が次々と生えてきて、俺の逃げ場を完全に封じ込めようとしている。おそらく、この丘全体が奴の縄張りなのだろう。
だが、地面だけがテリトリーなら話は別だ。
俺は風元素の魔法を発動させ、自分の身体を後方へと一気に吹き飛ばす。蔓の攻撃をぎりぎりでかわした俺は、さらにもう一度風魔法を発動し、今度は上空へと身体を押し上げた。
「空中ならどうだ!」
俺は空中で身体を回転させながら肉食植物を見下ろす。その巨大な口がギチギチと音を立てながら俺を飲み込もうと動いているが、蔓は地上から約5メートルの高さで止まった。
「やっぱり。伸びる限界がある!」
下からは無数の蔓が伸びてくるが、どれも俺に届かず空振りしている。この隙を逃すわけにはいかない。
「これで決める……!」
俺は落下の勢いを気にせず、魔力を一気に練り上げる。そして、先ほどよりもはるかに巨大な火球を生成した。
「ファイア・ボール!!」
放たれた火球は轟音を立てながら肉食植物に直撃する。植物全体が火に包まれ、その巨大な口からは金切り声のような悲鳴が響き渡る。
「きいいいいいいいいいい!!」
燃え上がる炎の中で肉食植物の動きが徐々に鈍くなり、その口が大きく開いて何かを吐き出した。
「……あれは?」
吐き出されたのは赤い肉塊のような物体だった。ドクドクと脈打つその塊が、この植物の核であることは明らかだった。
(火から逃れて再生するつもりか。そうはさせない!)
俺は即座に杖を向け、再び魔法を放つ。
「ストーン・ショット!」
鋭利な岩の球が核を正確に打ち抜く。核はわずかに震えたかと思うと、肉食植物全体が急速に崩れ落ちていく。
地上に戻った俺は落下の勢いを風魔法で調整し、ゆっくりと着地した。
「ふう……なんとか片付いた」
焦げ臭い空気がまだ漂う中、俺は杖を握り直しながら、改めて周囲を見渡した。こんな厄介な存在が隠れていたとは……。
まったく、花摘みひとつで命を落としかけるとは思わなかった。




