110話 金を稼ぐぞ
俺は今、エグザミートへの道を馬車の中で揺られている。
フェクーシを出発してから約3日。馬車はほぼノンストップで走り続け、体もさすがに疲れがたまってきた。だが、そんなことは言っていられない。これから向かうエグザミートでは、俺にとって重要な目的が待っているのだから。
手綱を握っているのは、フェクーシの繁華街で出会った行商人のカランコロン。
正直、このふざけた名前を聞いたときは、冗談だろうと思った。だが、どうやらこれが本名らしい。しかも、彼の出身地はこの大陸ではなく、海を渡った先にあるという未知の国だという。
俺が今持っている地図を見ても、大陸の外側の情報はまったく記されていない。どうやらこの世界では海を渡る技術がほとんど発展しておらず、異大陸間の交流はほぼ皆無らしい。
そんな状況で、なぜ彼がこの大陸に渡ってきたのか? それは、彼自身のとんでもない性癖――いや、嗜好が原因だった。
カランコロン曰く、彼は『死と隣り合わせになることで、生を実感する』という危険な趣味を持っているらしい。
さらに彼の天性の強烈な『生存欲』がその嗜好をさらに歪ませ、子供のころ、裸一貫で船も持たずに海に飛び込むという暴挙に出た。そしてその結果、奇跡的に漂流してこの大陸にたどり着いたという。
その後、故郷に戻ろうと船を造り、何度も出航に挑戦したものの、この大陸で手に入る木材は彼の故郷のものに比べて耐久性が低く、すべて失敗に終わったらしい。
結局、彼は帰還を諦め、この地で商人として生きることを決めたそうだ――が、正直、そんな変態趣味のおっさんの話を延々と聞いていると、こっちの頭がおかしくなりそうだ。
話題を変えよう。
カランコロンの話によると、あと2日程度でダール国を抜け、エグザミート国の国境付近にたどり着くらしい。ただし、そこには一つ大きな問題がある。エグザミートに入国するには『入国許可証』が必要で、その発行には多額の金がかかるというのだ。
エグザミート国は冒険者や商人にとって稼ぎやすい土地で有名らしい。国に生息する動植物や魔獣、鉱石、水までもが高額で取引される『商品』となり、それを目当てに多くの人間が訪れる。
だが、その分、国への出入りは厳しく管理されており、入国費用も跳ね上がっているらしい。
問題は、俺がほぼ一文無しだということだ。
カランコロンに馬車へ乗せてもらう際、俺は持っていた金の大半を渡してしまった。つまり、今の俺には国境を越えるための金などない。
カランコロンは商人だ。俺の分の費用を負担してくれる気がないことは、初対面のときから分かっていたが、それでも現実を突きつけられると頭が痛い。
そこで俺が考えたのは、エグザミート一歩手前にある街で依頼をこなし、金を稼ぐことだった。レグナを倒した功績を称えられ、ヴァルシオンのギルドで特別にB級冒険者としてギルドカードを更新してもらっていた今の俺なら簡単な依頼は受け放題だ。
そして、ダール国で最後に寄る街の名前は『メルムト』ここは小さいながらも商人や冒険者が集まる街で、依頼掲示板も活発だという話をカランコロンから聞いた。
夕暮れ時、ようやく馬車はメルムトの街に到着した。街の入り口で降り立つと、石畳の道がどこかほこりっぽい空気の中に伸びているのが見えた。人通りはそこそこあり、露店が並ぶ通りからは賑やかな声が聞こえる。
「ここがメルムトか……」
俺はそう呟き、荷物を背負い直した。
「カイルくん、私はここで商品を整理して、それからすぐに北へ向かうから、ここでお別れだよ。」
カランコロンがそう言い残し、馬車の荷物を整理し始める。
「分かりました。ここまでありがとうございました。」
俺はあっさりとそう答え、街の中へと足を踏み入れた。
向かう先は冒険者ギルド。
だが、空の色から察するにそろそろギルドが看板を降ろす時間帯だろう。急がないと依頼どころか、宿を取る手段すら失いかねない。
財布の中身は、まさに空っぽ。宿代どころか、明日の飯すら危うい状態だ。野宿だけは絶対に避けたい。過去に何度か経験したが、寒さと空腹で眠れない夜ほど無力感を味わうことはないからだ。
ギルドに着くと、木製の扉を押し開けると同時に、喧騒と酒臭さが押し寄せてきた。中には、今日の依頼を終えた冒険者たちが酒を片手に談笑している。中には声が大きすぎて喧嘩になりそうな連中もいたが、誰も気にしていない。これが冒険者ギルドの日常なのだろう。
俺は周囲の視線を避けるようにしながら、静かに依頼掲示板の前に向かった。掲示板には数多くの依頼が貼られているが、どれも内容と報酬が釣り合っていないように見える。
「魔獣討伐、鉱石採掘に盗賊の巣窟掃討……」
どれも駆け出し冒険者の俺が手を出すには荷が重そうだ。それに、今の俺には時間がない。とにかく、今日の宿代と飯代だけでも稼げればそれでいい。
そう考えながら掲示板を見つめていると、一枚の依頼書が目に留まった。
「花の採取…?」
報酬は金貨5枚。
金貨5枚あれば、1か月は宿代と飯代に困らない計算だ。しかし、花摘みでこの報酬額は正直異常だ。危険地帯に自生しているのか、それとも採取が極めて難しいのか――裏がありそうな気配は否めない。
だが、それを気にしている時間も気力もない。他に短時間で終わりそうな依頼もなさそうなので、俺は迷わずその依頼書を取り、受付カウンターに向かった。
カウンターに立つのは若い女性だ。柔らかな茶色の髪を肩で切り揃えた、清潔感のある人だが、俺が依頼書を差し出すと、明らかに驚いた表情を見せた。
「え? あ、はい! 依頼を受理いたしますので、少々お待ちください。」
彼女は慌てて依頼書を受け取り、カウンターの奥へと持っていった。周囲の喧騒の中で待つ時間は、やけに長く感じる。やがて彼女が戻ってきたとき、依頼書には赤い判子が押されていた。この判子が押された時点で、冒険者とギルドの間で契約が成立する。
「お待たせしました。依頼を受理しましたので、ご確認をお願いします。」
「はい、大丈夫です。」
俺は依頼書を確認し、それを懐にしまい、カウンターを離れようとした。そのとき、女性が俺を呼び止めた。
「あの……」
「はい?」
彼女の表情はどこか心配そうだった。
「お一人なのですか? 失礼ですが、お仲間は……あ。」
途中まで言いかけて、彼女は何かを察したように口をつぐんだ。その瞬間、背後からひそひそとした声が聞こえてきた。
「おい……あいつ。」
「あぁ、『あの顔』……間違いないな。」
「全滅か……かわいそうに。」
どうやら俺が仲間を失った冒険者だと誤解しているらしい。いや、実際に仲間を失ったのは事実だが……彼らが察しているような状況ではない。だが訂正する気にもなれなかった。むしろ今は、この場を早く離れたい。
俺は振り返り、できる限り明るい笑顔を作って女性に返した。
「大丈夫です。問題ありません。」
そう言い切ると、ギルドの扉を開けて外に出た。冷たい夜風が肌を刺すようだったが、気分は少しだけ軽くなった。
「まずは花を摘む場所を確認しないと。」
依頼書を再び取り出し、詳細を確認する。花が咲いている場所は街の北にある小さな丘らしい。今夜中に終わらせるには少し急ぐ必要があるが、不可能ではないだろう。宿代を稼ぎ、明日からの糧を得るために、俺は夜の街を抜け、北の丘へと向かった。




