107話 前へ
目を覚ますと、知らない天井が目に入った。
ところどころヒビが入っているが、それでもどこか高級感を感じさせる造りだった。
俺は身体をゆっくりと起こし、ぼんやりとした意識のまま周囲を見回す。そこは家具も壁もなく、瓦礫が山積みになっただけの場所だった。
崩壊した建物の中だろうか。ここがどこなのかも分からないまま、呆然とその瓦礫を眺めていると、視界の端に人影が見えた。
――それは、このダール国の国王だった。
「おお……目を覚まされましたか。」
国王はどこか安堵した表情で俺に話しかけてきた。その顔には深い疲労と哀しみの色が滲んでいる。
「……」
俺は何も答えなかった。ただ、ぼんやりと国王を見つめるだけだ。話す気力など、とうに失っていた。
「……心中、お察しする。しかし、君に伝えなければならないことがある。」
国王はそう言うと、隣に立っていた兵士から一枚の紙を受け取った。それに目を落としながら、朗々と読み上げる。
「貴殿は、この国に光をもたらした。絶望に沈む我らの心を奮い立たせ、未来への道を切り開いたその勇気と知恵に、国一同、深く感謝する。」
そう言って、国王は深々と頭を下げた。その姿は、この国の王としての威厳を保ちながらも、ひとりの人間としての感謝を示していた。普通なら、心に響く言葉だったのだろう。しかし、今の俺には何も感じられなかった。それどころか、さらに胸の中に絶望が広がるばかりだった。
国王は頭を上げ、少し間を置いてから静かに告げた。
「……君の仲間のことだが、ノワラ国に返還し、そこで埋葬してもらうことになった。数日のうちにノワラ国の使者が到着する予定だ。そして、もうひとつ……君の素性についても調べさせてもらった。」
その言葉に、俺は僅かに眉をひそめた。
「理由は分からないが……君はノワラ国で指名手配中だそうだな。」
国王は目を伏せながら言葉を続ける。その声はどこか後ろめたさを感じさせた。
――ああ、やっぱりか。
俺は心の中で苦笑した。この国の王も、結局は自国の利益を最優先するのだろう。指名手配犯である俺を国に置いておくわけにはいかない。今はこうして礼を尽くしているが、結局は追い出すつもりに違いない。レグナの言っていたことは正しかったのかもしれない。
しかし、俺の予想を裏切る言葉が、次に国王の口から飛び出した。
「だが、君はこの国を救ってくれた恩人だ。もし君さえ良ければ……この国に住むことを考えてくれないか?君の身の安全は、私が保証しよう。」
「……」
俺は思わず顔を上げた。まさか、そんな言葉を聞くとは思ってもいなかった。
「身分も保証する。必要とあれば、君のご両親もこの国にお招きしよう。どうだ?」
国王の瞳には、本気で俺を案じる気持ちが宿っていた。その誠実さが伝わるほど、逆に胸が締め付けられる。
だが――俺にはその優しさを受け入れる資格などない。
「……いえ、結構です。」
俺は初めて口を開き、無感情に答えた。その言葉に、国王は困惑しつつも黙って耳を傾ける。
「すぐにこの国を発ちます。」
短く告げる俺の声には、完全に力が抜けていた。
「……そうか。」
国王は悲しげに目を伏せたが、俺が次に口を開くのを待っているようだった。そして俺は、もうひとつの願いを口にした。
「でも……ひとつ、お願いがあります。」
「もちろんだとも!何だ?言ってみてくれ。」
国王は即答した。その真剣な表情に、俺は僅かに迷いながらも頭を下げた。
「俺の……両親を、この国で匿ってください。お願いします。」
下げた頭が震えているのが自分でも分かった。これが本当に正しいのかどうかも分からない。それでも、両親だけは守りたかった。
国王はしばらく沈黙したあと、穏やかに頷いた。
「分かった。君にも何か事情があるのだろう。君のご両親のことは、このダール国に任せてくれ。」
その言葉に、僅かに肩の力が抜けるのを感じた。国王は兵士に目配せをすると、再び俺を見つめてこう言った。
「私の役目はここまでだ。だが、君の選んだ道が平穏であることを祈っている。」
そう言い残し、国王は去っていった。
すると兵士が俺の前に歩み寄り、丁寧に頭を下げる。
「こちらに貴殿のお召し物と、新たに新調した杖をご用意しました。」
「え……」
思わず困惑する俺に、兵士は微笑みながら続けた。
「国をお救いになられた方です。無碍にはできません。」
その言葉は、俺の胸にかすかな温もりを残したが……今の俺には、それを受け止める余裕すらなかった。
兵士は軽く会釈をして静かに部屋を後にした。残された俺はしばらく外を眺めながら、街の喧騒に耳を傾けていた。
外からは活気のある声が響き、金槌を打つ音や馬車が行き交う音が混じって聞こえてくる。俺がどれほど眠っていたのかは分からないが、街の人々は既に立ち直り、街の復興に取り組んでいるようだった。
しばらくその様子をぼんやりと眺めていたが、ふと思い立ち、傍らの机に置かれていた自分の服を手に取った。服に袖を通すと、なんとなく体が落ち着く気がした。新調された杖も手に取り、俺は部屋を出た。
街の大通りに出ると、瓦礫が一か所に集められ、一本の広い道が造られていた。その道には、木材を運ぶ馬車や忙しそうに動き回る人々が絶え間なく行き交っている。俺はその様子を眺めながら、ゆっくりと歩き出した。
修復作業に取り組む人々の姿からは、生きるための力強い意志が伝わってくる。俺にはもう、その輪の中に加わる気力はなかったが、それでもこの街がまた元通りになるのだと思うと、少しだけ心が軽くなった気がした。
歩いているうちに、前方から知った顔ぶれが近づいてくるのが見えた。アルクたちだった。彼らもこちらに気づくと、一瞬気まずそうに目を伏せた。しかし、その中のひとり、アルクが意を決したように近寄ってきた。
「カイル君……起きたんだね。」
「はい……俺はどれくらい寝てたんですか?」
俺がそう聞くと、アルクは指で数えながら答えた。
「えっと……2日くらいかな。」
「そんなに……」
俺は街の復興作業に励む人々を目にしながら、思わず呟いた。彼らは2日間の間にここまで復興を進めていたのだ。その姿は力強く、そして眩しく見えた。
ふと横を見ると、アルクが少しだけ視線を落としながら、静かに口を開いた。
「カイル君……この間は、すまない。僕も気が動転していたんだ……。」
そう言って、アルクは腰を深く折り曲げ、謝罪の意を示した。その姿に、俺は少しだけ驚きながらも、淡々と答える。
「謝らないでください。アルクさんの言っていたことは正しかったんですから……」
俺の言葉に、アルクは顔を上げて目を見開いた。
「え……?」
「アルクさんが間違っていたなんて、俺は思っていません。ただ、俺自身がどうすべきだったのか、まだ答えを出せていないだけです。」
そう言いながら、俺はアルクに視線を向ける。その目に宿るのは、迷いと未だ消えぬ後悔だった。
アルクはしばらく俺の言葉を噛み締めているようだったが、やがて頷いて口を開いた。
「……それでも、カイル君が無事で良かった。君がいなかったら、僕たちはきっと……」
アルクはそれ以上言葉を続けなかったが、その目に宿る思いが、十分に伝わってきた気がした。俺は彼に向かって小さく頷いた。
これ以上、この場で何を言うべきなのか分からなかった。ただ、アルクたちの存在が今の俺にとって少しだけ救いになっていることだけは確かだった。




