106話 無情
「カイル君!?」
突然の声に気づくと、アルクたちがこちらへ駆け寄ってくるのが分かった。
しかし、振り向く気にも返事をする気にもならなかった。俺はただ、冷たくなったノアとフェンリの身体を見つめ続けることしかできなかった。
「一体どうし……こ、これは!」
アルクが俺のそばに横たわる二人の姿に気づくなり、表情を強張らせる。彼はすぐに治癒魔法を施し始めたが、その手は震えていた。
「っ…!ルカ!ミラ!こっちに来てくれ!」
アルクが声を張り上げ、後から来たルカとミラもすぐさま治癒魔法を繰り出した。三人が全力で施す魔法は、潰れたフェンリの腕を元に戻し、ノアの傷だらけの顔を美しい元の姿へと戻していく。しかし、それだけだった。
止まった心臓が再び鼓動を刻むこともなく、冷たく硬直した身体が再び暖かさを取り戻すこともない。ただそこには、不気味なまでに綺麗な『死体』が二つ、無言で横たわっているだけだった。
「くっ……駄目なのか……!?」
アルクは歯を食いしばりながら呻き、膝元に拳を叩きつけた。その拳からは血が滲み、彼の焦燥と無力感が痛いほど伝わってくる。しかし俺は、それを見ても何も感じなかった。
「……カイル……!」
アルクが俺を見るなり、いきなり胸倉を掴んで引き寄せた。
「何簡単に諦めてるんだ!!仲間だろ!!?」
怒りと悲しみが入り混じった声が耳に突き刺さる。だが、その声にすら俺は応えることができなかった。
「まだ助かる方法があるかもしれないのに!足を止めてる暇なんかないだろ!!」
アルクの言葉が耳に届く。心にも刺さっているはずだ。だが、それでも俺の中の空っぽな何かを埋めるには足りなかった。
ふと、口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
「もう……いい。もう……見たくない。」
「は?」
アルクが目を見開き、眉をひそめる。その時だった――俺はいつの間にか魔力を練り上げ、手のひらの上に炎を生み出していた。
「……!?何を……何をしようとしてるんだ!!」
アルクがその炎の意味に気づき、驚愕の声を上げる。しかし俺はそれを気にする様子もなく、ただゆっくりと炎を大きくしようとした。その時――
「馬鹿野郎が!!」
アルクが叫ぶと同時に、俺の頬に衝撃が走った。
「ぐっ……!!」
殴り飛ばされた俺の体は地面を転がり、砂埃が舞い上がる。視界に映るのは、無慈悲に広がる満天の青空――まるで、俺を嘲笑うかのように輝いていた。その空の下、俺はさらに絶望の淵へと沈んでいった。
「もう……終わったんだ……ノアも、フェンリもいない……俺のせいだ……」
吐き出される言葉は、絶え間なく渦巻く後悔と罪悪感だった。俺が、勝手に二人に期待して、勝手に後回しにして……そして、二人を殺した。
「俺が……俺が殺したんだ……」
拳を握りしめ、地面を叩きつける。しかし、その痛みすら俺の心を埋めるには足りなかった。呻き声だけが虚しく響く中、遠くでアルクたちの声が聞こえる気がしたが、その内容を聞き取る余力もない。俺はただ、その場で崩れるように膝をつき、全てが崩壊していく感覚を味わっていた。
その時だった。地面に何かを突き刺すような振動が、足元から体全体へと響き渡った。俺は反射的にその方向に目を向ける。視線の先には、ロレンツォの大剣――『神器』を地面に突き立て、魔力を注ぎ込むアルクたちの姿があった。
「ロレンツォさんもこれで生き返ったんだ!もしかしたら……!」
アルクが必死に叫び、希望を見出そうとする声が耳に届く。しかし、俺の中には微塵の期待すら湧かなかった。神器の力をもってしても、ノアとフェンリは生き返らない……その理由が分かっていたからだ。
神器が眩い光を放つ。その光はノアとフェンリの体を包み込み、さらに範囲を広げていく。しかし、目の前の二人はピクリとも動かない。止まった時のまま、何も変わらない。
「なんでだっ!?ロレンツォさんは生き返ったのに!」
アルクが焦燥の叫びを上げる。涙混じりのその声が虚しく響き渡る中、アンたちも悲しそうな表情を浮かべていた。
俺はゆっくりと立ち上がり、無感情に彼らの元へ歩み寄る。そして、ただ事実だけを告げた。
「神器の力は、神器を保持する人にしかその効果を発揮しない。ノワラ国なら常識だ。」
俺はただ常識を口にしただけだった。だが、その一言がアルクの逆鱗に触れたのか、彼は怒りに任せて拳を振り上げ、俺の顔を殴りつけた。
「ぐっ……!」
顔が横に吹き飛ばされる衝撃。それでも俺は抗わない。殴られるがまま、立ち尽くすだけだった。
「どうしてっ!そんなに!冷静でいられるんだっ!」
アルクの怒号が耳をつんざく。
冷静?そんなわけがあるものか。仲間が死んだんだぞ。俺が期待して、守るべきだった仲間が。俺のせいでこんなことになったのに……。
「……っ!」
アルクは耐え切れずに再び拳を振り上げた。今度は俺の胸元を押し倒し、馬乗りになって何度も拳を振り下ろしてくる。
「言えよ!君だって悲しいんだろ!?悔しいんだろ!?なんで黙ってんだよ!!!」
アルクの拳が何度も顔に叩きつけられる。それでも、俺は反応しなかった。殴られる痛みすら、もう感じない。
最後の一撃が俺の頬を捉えた瞬間、体は力なく後ろに倒れた。後頭部が冷たい水たまりに突っ込み、濡れた服が肌に張り付く。それすらも気にならなかった。ただ空を見上げていた。
無情な青空が広がっている。どこまでも澄み渡っていた。
「もう……無理だ……」
俺はそう呟き、そっと水たまりに映る自分の顔を見た。そこに映るのは――涙の跡だけが残り、無表情を貼り付けた自分の顔。
「……これが、俺……?」
その顔を見た瞬間、胃の中が反転するような感覚に襲われた。
「うっ……おえぇ……」
見たくなかった。いや、見るべきではなかった。今この瞬間、初めてこの世界で自分の顔をまじまじと見た。それは……感情を捨て、心を閉ざしていた前世の俺と、寸分違わない顔だった。
「……っ!」
自分の無様さに耐えきれず、思わず頭を抱えた。そして、そのまま気絶するように意識を手放した。目の前の現実から、逃げるように……。




