2-9: 狂宴と契約
メゾンパークでの出来事。色々ありすぎて未だに整理しきれない自分がいる。なかでも、友人マイのことが気がかりだ。意識があるうちに、私と桜井カノの会話を聞かれていたら、きっと嫌われる。数少ない友達を失うことになるのが本当に悲しいのだ。
しかし、あれから数日が経ってもマイからの連絡はない。
自分から何度も連絡しようとしたが、同僚のウシザキは、
「やめておけ、面倒ごとはごめんだからな。」
無情な言葉で突き放すだけだ。ウシザキの言わんとしてることは分かるが、それでも大切な友人のことが頭から離れない。そんなわたしを見かねて、ウシザキが真顔で耳打ちをしてきた。
「向こうから関わってこない限り、諦めろ。」
歳は30前後、背は190近くのまだ幼い雰囲気を持つ青年は、ウシザキと名乗っている。本名ではないが、その青年が今の私の相談役、いや師だ。裏の住人となっても何とか楽しくやってこれたのは、彼のおかげと言っても過言ではない。
そんな信頼にたる彼が言うのだ。一旦、マイのことは置いておこう。
「了解。で、何なのここ。」
気持ちの切り替えを終えて、私は怪訝な顔でウシザキに問うた。何故なら、ウシザキに連れられて組織のボスに会わせてくれるという話で、ここにいるのある。
ここ、とは、私が最初に裏の住人になったキッカケのBARなのだ。ボスとの会合となると、もっと高級なホテルの一室のイメージがあっただけに、拍子抜けである。
「何なの、て言われてもなぁ。ボスのご指名の店何だよ。」
当のウシザキも少々困惑気味だ。
そんなウシザキの背後から、ひょっこり出てきた老人がニンマリ笑っている。その老人こそ、会う予定だった組織のボスだと、つい先ほど説明された。
「ようこそ、ルカさん。高級ホテルじゃなくてごめんなぁ。」
「あ、ええと。お、お世話になってます。」
いつもの主婦の挨拶をついしてしまった私に、裏の組織オグマの長である白髪の小柄な老人は、一瞬動きが止まった後、大大袈裟に笑い出した。
「さすが主婦だ。こりゃ面白い。」
「ボス、そのくらいに。」
見かねたウシザキが声を挟む。その刹那、私でも分かるような空間が歪むビリッとした空気に、ウシザキは一歩下がった。
「ルカさん、アンタ良い眼を持ってるね。」
当然、私の能力のことなど既に報告されているわけで、目の前の老人の口調は少々厳しくなっている。
「ほれ、見てみな。周りの奴らを。」
老いた細い指を伸ばして、自分たちがいる周りを指差した。
「左目、で見なさい。アンタからはどう見える?」
この老人が何を言いたいかはさっぱり分からないが、言われた通りに周りを見る。BARの店内には、男のバーテンダー1人と補助の若い女性、ウシザキ、ボスという老人、あと、客と思わしき男女5人がいた。
「どうだね。あ奴らは、どう見える。」
私は右目を押さえて、左目でその5人を見る。女性が1人、男性が4人。BARで酒を飲むのは当たり前という前提で考えると、一つ不可解なことがあった。
「あの5人、皆んなシラフに…。」
右目で見るとまるでかなり酔ったような騒ぎ方をしている男女だが、左目で見たらそうではないのだ。
ついこの前、友人マイを巻き込んだあの事件に発現した私の能力は、左目がサーモグラフィのように熱感知して、それが色となって具現化、映像化する能力。嘘のような話だが、そんなことにしてくれた組織は、現代ではありえないような薬の開発もしており、実験も組織内でしてるらしい。
その、左目で見る限り、酒によって騒いでるような彼らの体温は、まったく上昇してなかった。
「ほ!これは本物だな。相分かった。」
ボスと言われる老人は、喉の奥で笑うよな声を出して、ゆっくり手をあげる。それが、何かの合図かのように。
「ルカさん、ステーキは何派かね?」
老人は、手を上げたまま、さらに近寄ってきて尋ねてきた。
「レア、です。焼きすぎると硬いんで…。」
「そうか、そうか。それは良かった。」
老人はやっと、手を下げる。その刹那、自分の顔に何かベッタリした物が付いていることに気づいた。
「レア、ワシも好き。」
振り向くと、男女5人の姿はおらず、代わりに老人の足元に大きな肉塊が転がっている。
「ルカさん、これからも宜しくな。汚れ、しっかり落としなさいよ。主婦なんじゃろ?」
私の顔についた赤いものを素手で拭いながら、老人はにっこり笑った。そして、握手を求めている。
正直、逆らえない空気だった。というのも、BARの店内にはおびただしい血痕と、肉塊、それを鼻歌混じりに掃除し始めるバーテンダー。ウシザキすらもカクテル片手に携帯をいじっている、そんな状況で拒否できる人がいるのだろうか。
この場は、まさに小説や映画で見た、血の宴のようで。
「今後ともヨロシクお願いします…。」
求められた握手のために、小さく出した手を、老人はがっちり掴んできた。その際に何か硬いものを私の手に含ませて、満面の笑みをする。
「ワシの名前は、傘仲という。ようこそ、オグマへ。合格だよ。」
嘘のような、この狂宴の中で私は正式に、傘仲率いる裏組織オグマの一員となった。握手の際に渡されたものは、また指輪だった。前回は、2連に見える黒と銀だったが、今回は鎖が連なったシンプルなものである。
「それ2つで、正式メンバーなんだよ。」
やっと発言を許されたウシザキが口を開く。その横で、傘仲と言う老人が和かに頷いた。
「それじゃ、ワシはこれで帰るよん。」
軽い口調と、しなやかな動きで音もさせずに歩き出す。
見た目は老人なのに、体幹の強い動きが不自然だ。そんな傘仲を見送るついでに、思わず右目を瞑った。
「やめろ、まだ死にたくないだろう。」
即座に大きな手が左目を覆う。一瞬見えたはずの傘仲の色は、何とも言えないものだった気がした。しかも、思い出せなくなっている。
「あれは、見ない方がいい。」
「なんで?私たちのボスなんでしょ。」
私の素朴な疑問に、ウシザキは苦虫を齧ったような表情をひて、呟いた。
「あれは、化け物だよ。」
裏の世界、組織、それの頂点にいるわけだから、当たり前と言えば当たり前だとは思うが、それにしてもウシザキの冷や汗を見て変に納得してしまう私もいる。
「とりあえず、これ流したい…。」
なるべく下に転がってるモノを見ないようにして、店を出ようとした私に、バーテンダーが話しかけてきた。
「店の奥に、シャワーありますよ。」
ここ、BARだよねと質問しかけたが、ふと納得する。そして、バーテンダーの補助のような女性が案内に出てきた。
「こちらです。私ここのBARで修行してます。」
無論、ここの事情など知ってはいる、そんな顔である。
若そうな女性は、すこし日本語のアクセントがおかしい。
「あ、私帰国子女なんです。日本語勉強中!」
可愛らしい笑顔には、日本語を頑張って覚える努力が垣間見ることが出来る。だから、こんな物騒なBARにいても平気なのかな?と、また自己納得して私は口をつぐんだ。
「シャワーの間に、服をご用意しますね。」
慣れた感じの動きに、思わず私は単純な質問する。
「名前、聞いていいかな。」
若い女性店員は、長い髪の一部を掻き上げて笑顔で答えた。
「もちろんです。私の名前は、レアン=ルーと言います。皆んなからは、レアンと言われます。」
なんて可愛い女の子なんだろう。きっとBARにきたオッサン達は、たちまちメロメロになるのは、想像に優しい。
「レアンちゃん、この世界の私の周りにはオッサンしかいないからさ、なんか嬉しいよ。よろしくね。」
そう言うと、レアンは何か勘違いしたようで、涙目になってハグをしてきた。これはこれでいいか、妙に安心した私は、そのままシャワー室へ進む。
「ごゆっくり。カウンターでお待ちしてます。」
深々と礼をするレアンは、カウンターにいるバーテンダーに呼ばれて、さっと戻って行った。
BARの奥にこんな立派なシャワー室があるなんて誰が気づくだろうか。下手すると、サウナもありそうな奥行きがある。
色々謎はあるけれど、シャワーを借りてるので急いで終わらせることにした。頭の中であの肉塊がフラッシュバックしつつ、シャンプーを手に取ってふと目に入る。
「BAR 傘…。」
風呂用品の全てに、このオグマ御用達BARの名前が刻まれていたのだ。どういうこと?と、さらなるハテナを抱えながら、体についたどろっとしたモノを洗い流し、急いで店に戻るのであった。
つづく