2-7:覚醒と覚悟
偶然、メゾンパークに居た友人のマイに支えられて、行き着いた場所は、見知った号数の部屋の前だった。
ここは、、そう、仕事でマークしていた桜井カノの家である。
「ここ、前に話した昔の友達の家だよ!」
到着感からか、ほっとしたようなマイの顔を見る限り、桜井カノの正体を彼女は知らないようだ。ならば尚更自分の大切な友人が、あの桜井カノの毒牙にかかるようなことは絶対あってはならない。
私は、支えてくれていたマイの手をそっと外した。
「ごめん、マイ。ここで大丈夫。」
私の変な提案に、マイは首を傾げる。しかし、彼女が質問をすることも許さないように、矢継ぎ早に私は喋る。
「実は、ここ私の知り合いの家でもあるんだ。だから、たぶん私1人でも休ませてもらえると思う!」
とにかくこの場からマイを遠ざけねば、そう心の中で叫ぶ私の声が届いたのか分からないが、彼女の少し目元が緩んだ。
「なんだ、りーこも知り合いだったの?」
「そ、そうそう。最近お仕事でちょっとね。」
口元を触りながら泳ぐ目を必死に抑えつつ答える。
マイは、美人でスタイルもいいし性格も良い上に、勘もいいわけで、裏の住人のこともいつかはバレそうだが、それは今では無い。
「なんだ、なら都合いいじゃん。」
マイがパッと明るい笑顔で言った。そしてマイは続ける。
「私の用事もここなんよ!今日、ここに住んでる昔の友達に呼ばれたんだ〜。」
私はハッとした。そうか、なぜここにマイが居合わせていたのか、考えればすぐわかることである。
彼女は、昔の友人の桜井カノに会いに来たのだ。そう悟った瞬間、背中に鈍い痛みが走る。
「あら、お二人揃って何なさってるの?」
桜井カノの声だ。ギクリと顔を強張らせてる私とは対照的に、マイは朗らかな笑顔で答えた。
「カノ!久しぶりだねぇ。元気してた?」
「この通り、毎日幸せよ。」
勘のいいマイのことだ、この違和感を感じてるに違いない。そう期待しながら顔を上げると、全くもって不信感を持たないマイの笑顔があった。元気?の問いに、幸せなんて答える人っているのか?と思わずツッコミたくなる私をよそに、桜井カノとマイは楽しそうにしてるのである。
「カノとりーこが知り合いなんてびっくりだよー。」
「そうなの、マイ。これも運命ね。」
やはり、会話が成り立っていない。マイはそんなことお構い無しに喋り倒していた。
昔からの知り合いだから、なのだろう。若干イラつく私を揶からかうかのように、桜井カノがこちらを見て口角を上げる。
「マイ、相談があるの。聞いてくれる?」
「なになに?もしかして、宗教やめたいとか?」
さすがポジティブの心を持つマイらしい質問だ。一瞬、桜井カノの顔が曇るが、すぐにいつもの微笑みと変わる。
「マイ…待って、その桜井さんから離れて!」
頭の芯が痺れるような嫌な空気を感じた途端、私は叫んでいた。しかしその叫びも何故かマイには届かない。
桜井カノが、マイの両耳を塞ぐように抱きしめて何かを語りかけていたのだ。
「え、何それ…。」
桜井カノから解放されたマイは、私の方を怪訝な顔で見ている。その表情は恐怖というより、怪しいものを見るかのようだった。
「りーこ、、本当に…。」
神妙な面持ちで問いかけてくるマイを見て、私は深く息を吸った。何を言われても反論することはできる。何故なら、まだまだ普通の主婦という事実は変わらないけど、もし裏の住人の件を出されたとしても問題ない。
「カノのハマってる宗教に入ったの?!」
マイの予想外すぎる問いに、私はキョトンとした目を閉じることができなかった。桜井カノは何故、裏の住人のことを言わなかったのだろうか。だが、別の方向に話が進んで行ってることは確かだ。それが吉かどうかは別として。
「違うよ、マイ。宗教とか興味ないし。」
マイは首を傾げる。桜井カノが嘘をついたのか、と。
そんなマイを後ろから包み込むように手を回しながら、桜井カノが会話を遮ってきた。
「立ち話はなんだし、2人とも中へどうぞ。」
「あ!そうだよ。りーこ、しんどいんでしょ?」
そういえばそうだった、と言わんばかりに苦笑する。桜井カノとマイの勢いに押されてすっかり忘れていた。
「じゃぁ、、お邪魔します…。」
そそくさと靴を脱ぎ、桜井カノの用意したスリッパを履いてリビングへと向かう。その眼前には、和気藹々とした2人の姿。なんだろう、この大学生に戻ったような感覚。
仕事で調査しにきたことを忘れてしまいそうである。
「今日はね、2人のためにクッキー焼いたのよ。」
優しげな笑みでマイに出来立ての焼き菓子を渡した。
それをパクっと一つ口に運んだマイは幸せそうな顔になる。そんな光景を見せられて私は思考が停止状態だ。
「ルカさん、あ、、りーこさん?もお一つどうぞ。」
すっとこちらに差し出してきたクッキーを思わず手を出そうとした刹那、ハッとして思わず手を引き戻す。
何故なら、桜井カノの後方にいたマイもこちらをじっと見てきたのだ。
"ルカ"。この呼び名に反応したのだろう。マイの怪訝な顔から逃げるように、一旦引っ込めた手を出して桜井カノお手製のクッキーを鷲掴みした。それを口に大量に頬張る。
「ちょっと!りーこ、欲張りすぎ〜。」
「あ、いや、、でもこれ美味しいね。」
マイのツッコミに私の素直な感想が漏れた。ほのぼのしたやり取りの中、もしや本当にもてなされてるのかと不覚にも安心してしまった、その刹那に桜井カノが口を開く。
「あら?さすがルカさん。まだ意識あるのねぇ。」
にこやかな桜井カノの言葉を聞いたその瞬間、バタンと何かが倒れる音がした。それ、がなんの音かすぐに察知する。
私の目の前には、マイの倒れた姿。しかし、彼女の目は見開かれたままだ。桜井カノが何をするつもりなのか、ただの主婦な私でも分かってしまう、最悪な事態である。
「マイ、よく見ててね。これが貴女のお友達の正体よ。」
倒れているマイの髪を優しく掻き上げながら、手助けと言わんばかりに、その見開かれた目をこちらに向けた。
「ルカさん、あなた何しに私のところにきたの?」
非常に冷たい表情と、いやらしく笑う口元からは、何故か真紅の血が滴っている。なせ、血が…そう私が言葉を出そうとした刹那、桜井カノは力なく、マイの隣に倒れた。
「マイ、ほら私はあの人に殺されるのよ。ひどいわ。」
マイの目にすり寄れる位置で、桜井カノが呟く。
「マイ、あの人は、怖い人よ。気をつけて。」
そう微かな声を出して、桜井カノは意識を失った。この時点で、もしかすると生き絶えているのかもしれない。そう思う根拠として、信じがたい状況が私には見えているからだ。
「なんだ、これ…青い…、」
桜井カノの姿が、ほんのり青く光ってるのである。隣にいるマイの体はオレンジのような光。まるで、サーモグラフィーの熱感知の色のようなのだ。
よく分からない現象を消すべく目をゴシゴシとこすったのだが、そこでハッキリと理解する。
「左目で見ると変な光が見える…。どういうこと?」
今、目の前に2人の人間が倒れてることをすっかり忘れて自分に起きた奇妙な変化に戸惑つていた、その時。
バンッというドアを開く大きな音が鳴り響いたのである。
その後、数名のスーツ姿の男たちが乱入して、先頭の男がこちらに寄ってきた。
「おい、ルカ。無事か?」
「ウ、、金融屋…。」
一瞬名前を言いそうになって慌てて引っ込める。
「あ、いや、そこのマイを助けて!桜井カノに毒盛られたかもしれない。」
我に返って頭の中の心配事をまず吐き出しながら、マイの横に倒れてる造形美あふれる桜井カノへ目を落とした。
なぜ、吐血して倒れたんだろう?私何もしてないんだけど。
彼女が血を吐いて倒れた直後にウシザキが現れたということは、そういうことなのか。私は、焦る感情の裏で冷静に悟っていた。
「この子は大丈夫だ。麻痺の症状があるが数時間で治る。それより、お前…。」
マイの状態に安堵する私に、謎に突然登場したウシザキが目を細めている。
「何?ちょっと気分が悪い…。」
顔色が悪すぎるからそんな顔でこちらを見てくるのかと思いきや、ウシザキはおもむろに携帯のインカメラを付けて、私の顔を映した。
「左目、お前どうしたんだ?何かやられたのか?」
「左目…?」
ウシザキの携帯の画面に映った自分の左目が紅くなっている。白目ではなく、黒目の部分が、、。
「私ってハーフだったけ?ははっ…。」
この状況、どうやってマイに説明しようかと何の意味も解さない思考がぐるぐる回っている。
「とりあえずは、撤収だ。これの始末は他に任せる。」
ウシザキの冷静な一言の意味も、自分の左目のことも色々ありすぎて全く頭で処理できずにいた。
「ウシザキ。」
すでに意識が途切れてるマイの姿を確認してから、スーツ姿の男の名前を口にする。
「この後、時間あるかな。話があるんだけど。」
温度のない声を受けて、ウシザキはため息をついて頷いた。
「いいだろう。俺からも説明したかったからな。」
私の左目を指差して、今度は口元が笑っている。
これからウシザキとの話し合いで分かることだが、私の想像の相当斜め上をいくとは思いもしなかったのである。
つづく