6歳
雲一つない青空の下、初夏の気温を感じられる日。
「ふぅ~。今日はここまでにしましょう」
ユリスキー家の庭では、恒例の花植えが行われていた。
頬に伝った汗を拭いた際、土を頬に付着させる金髪の女性は、母のマリアネットである。
「ふい~」
母と共に花の種を植えていた私も、麦わら帽子を取って額を拭う。
「ふふ。ガーネット、こちらにいらっしゃい」
柔らかく微笑んだ母は私を手招きした。
彼女の元へ向かうと、首に掛かっていたタオルで私の顔を拭いてくれる。
どうやら私は、額と頬だけじゃなく、鼻の上まで土で汚れていたらしい。
「お母様も汚れています」
今度は私が母の頬をタオルで拭いた。
「ありがとう」
母は嬉しそうに微笑み、私の体をぎゅっと抱きしめる。
「奥様。ガーネット様。お飲み物をご用意しました」
そう言って屋敷の中から現れたのは侍女のルーシェ。
彼女はトレイの上に冷たいお茶の入ったグラスを3つ乗せて、庭に設置されていたティーテーブルに置く。
「いやはや。今年も無事に植えられましたな」
少し離れた花壇を整備していたのはユリスキー家に仕える庭師の老人。
腰の曲がった老人であるが腕は確か。
年中無休で色とりどりの花が咲くユリスキー家の美しい庭の管理は、彼によって維持されていると誰もが胸を張って言うだろう。
「ええ。ジョンソンもありがとう」
「いえいえ。なんの、なんの」
普通の貴族であれば庭師と一緒に当主の妻が土いじりなど、と言うかもしれない。
だが、土いじりが趣味である母とユリスキー家使用人達の間では季節毎の恒例行事といったところである。
特に今の時期、ユリスキー家の庭には百合の花が満開になっていて、見ているだけでも心が奪われてしまうほどの美しさだ。
「さぁ、休憩しましょう」
母は私を抱き上げると子供用の椅子に座らせた。
日差しは少し強いものの、まだ風は涼しい。
加えてルーシェが持ってきてくれた冷たいお茶がたまらなく気持ち良い。
思わず私はお茶を飲み干して「ぷはー」と声をあげてしまった。
「ガーネット様。おかわりはいかがいたしますか?」
「ううん。平気! ……あっ」
子供らしく元気な声を上げてしまったことに、自分自身が遅れて気付く。
「いけない、いけない」
私は皆に聞こえないよう、自分に言い聞かせるように唱えた。
――転生した後、六歳の誕生日を迎えるまでは思考が安定していた。
前世の記憶と共に前世の思考が脳と体を支配していたと思う。
だが、最近になってどうにもおかしい。
ふとした瞬間に、自分でも無自覚に「子供らしさ」が出てしまう時がある。
これを自覚した途端、妙な気恥ずかしさに襲われる。
「…………」
ふるふる、と首を軽く振って気を取り直したあと、私は母に頼み事をした。
「お母様。花壇に撒くお水は私が魔法で出したいです」
そう言って、右腕に嵌った腕輪を差し出す。
「あら。う~ん」
母は「どうしようかしら」と言いながら頬に手を当て、そのままルーシェに顔を向けた。
母に顔を向けられて、意見を求められるルーシェも困っている様子であるが……。
「ガーネット様。以前起こした事をお忘れですか?」
ルーシェにそう言われ、私はツンと口を尖らせる。
私は度々、魔法を使いたいと申告しているが、実際は既に魔法が何たるかは理解し終えているのだ。
転生した世界が前世と同じ世界だった事は幸いだった。
賢者と呼ばれていた頃に魔法がどういった理論で発動するかは既に解読できているのだから。
使い方も制御も出来る。
ただ、今の体には前世と違う部分もある。
私の腕にある腕輪――魔力阻害の術式回路が組み込まれた魔導具を装着している理由。好き勝手に魔法を行使できなくなった理由は、四歳の頃に起こした事件がきっかけだった。
事件と言ってもそんな大層な事ではないのだが。
私は四歳の頃、転生してから初めて魔法を使ったのだ。
この時代、子供が魔法を使うのは十歳からというのが常識であった。
理由としては魔力の成長がピークを迎えるのが十歳で『ピークを迎えてから魔力制御等の訓練を始めるべき』という理論が高名な魔法学会で発表されたからだ。
となれば、親世代は高名な魔法学会の発表を信じる。
特に貴族ともなれば猶更であった。
だが、私からすれば鼻で笑ってしまうような理論だ。
人間個人が内に秘める魔力は生まれた瞬間に決定される。
人の成長と共に増減するなどあり得ない。ピークを迎えてから、などという常識はただの時間浪費に過ぎないのだ。
故に、私は高名な魔法使いの意見を無視して四歳で魔法を発動させた。
我慢できなかった、とも言い換えられるが。
ただ、この時の私は私自身が四歳であることを忘れていたのだ。
転生後の『ガーネット』という個人に宿る魔力量を加味せずに魔法を行使した結果、両親から使用人全員がパニックを引き起こすほどの事件がユリスキー家で起きる。
ガーネットが持つ魔力量を越える、無茶な魔法を発動させようとしたが故に起きた人体のオーバーヒート。
そう、鼻血の噴出である。
発動させようとした魔法に対し、魔力量が足りずに鼻血を噴き出して気絶した。
それを発見したメイドは屋敷中に轟く程の悲鳴を上げ、悲鳴を聞いて駆け付けたガーネットの父もほぼ絶叫と言える悲鳴を上げ、母はショックで気絶。
私に続き母までも気絶した事でメイドと執事は大パニック。他の使用人達も大慌て。
常に冷静であると言われていた侍女のルーシェもガタガタと体を震わせながら膝から崩れ落ちた。
唯一、冷静さを保っていたのはユリスキー家お抱えの常駐医師であるドミニクという名の老医師。
医師故に冷静を保っていた彼は私の症状を見て「魔力不足による気絶」と診断した。
これによって事件は収まったものの、お転婆な私には枷が嵌められたというワケである。
「鼻血出しただけだもん……」
たかが鼻血程度で。
私は口を尖らせながら言うが、ルーシェと母の表情は変わらない。
「何を仰りますか。鼻血だけではなく、気絶したのですよ? ルーシェは未だに覚えています。ガーネット様がもし……」
そう考えただけで体の震えが止まらない、と彼女は両手で震えを抑えるように抱きしめた。
「絶対! 魔力量を越えるような魔法を使わないから!」
魔法の発動は術者のイメージ力が重要だ。
水を出すのであれば、出したい量をイメージすると同時に魔力の操作――体に秘める魔力を燃焼させながら調節する。火に薪をくべて火の量を調節するような行為――を行いながら更に微調整を加える。
これが基本。
次にもっと踏み込んだ魔法行使となると、詠唱というものが必要になってくる。
詠唱と呼ばれる行為を――中位・上位の魔法となると専用の詠唱が必要となる――行うことで、より明確に魔法の内容とイメージをハッキリさせるのだ。
それに加えて、魔力操作を同時に行うことで人は魔法を完全に制御する。
私が事件を起こした際は、後者である魔力操作を見誤った。
というのも、前世の頃に比べて今の私が持つ魔力量はとんでもなく低い。
前世の頃持っていた魔力量が一千万オーバーだとすれば、今の私が持つ魔力の総量は千程度。
前世の魔力量が異常と呼べるほどの数値であり、今は『平均的』と言えるだろう。
といっても、魔力量が千では一般人レベル。
高名な宮廷魔法使いや戦場や魔物対峙で名声を得るA級傭兵魔法使いになりたいと言っても夢のまた夢レベルである。
魔力量が少ないという事実も問題であったが、もっと問題だったのは前世と同じ感覚で魔法を使ってしまったせいだ。
前世の私は魔力量にものを言わせて魔力制御など全く気にしていなかった。
どれだけ魔力制御を怠ろうが、絶対的な量を持っていたことで人体のセーフティなど起動した経験がなかったのだ。
魔力操作において火に薪をくべるようにと表現したが、前世の頃は薪の量で調節するどころか、常に全力で燃やし続けていた……といった感じだろうか?
その感覚のまま魔法を行使したせいで、人生二度目にして初めてセーフティを体験するはめになった。
魔力不足で死亡はしないものの、気絶した際に頭の打ちどころが悪ければ危なかったのは確かである。
だが、ここで一言言わせてもらいたい。
私は元賢者。
前世は疎かにしていた魔力制御であるが、理論や方法は覚えている。
故に自分自身の身に起きた原因はすぐに把握したし、対処法も既に確立済みだ。
一度経験してしまえば、今世では魔力量の調整が如何に重要かというのを学び、イメージトレーニングは完璧である。
「魔力操作を覚えるためにもやりたいの!」
学びに大切なのは理解と練習。
前世の頃、恩師からもそう学んだ。
「ガーネット、どうしてそこまで魔法を使いたいの?」
母に問われると、私は少し間を置いて答えた。
「……便利だしかっこいいから」
こちらは半分本音で半分嘘だ。
魔法が便利なのは確かであるが、カッコイイとは思っていない。
魔法を自由に使えれば行動の幅が広がるだろうし、早いうちから自由に魔法を使いたいというのが純度百パーセントの本音である。
だがしかし、私の言葉を聞いた大人達の表情が妙に和らぐ。
昔から賢者(前世の頃の自分)を題材にした絵本を気に入っていると勘違いされていたが故に、母達は「まだ賢者に憧れているのかな」と思ったのだろう。
「うーん。じゃあ、私達が一緒にいる時は許してあげるわ」
私の願いを頭ごなしに抑えても意味はないと思ったのか、母は条件付きで魔法の使用を許可してくれた。
その代わり、絶対に自分とルーシェが一緒にいないとダメよと念押しされる。
「うん!」
私はルーシェに腕輪を認証解除してもらうと椅子から降りて花壇へ駆け出した。
「見てて!」
「あっ! ガーネット様!」
危ない、と腕を伸ばすルーシェと子供の好奇心を甘くみた母は顔に「しまった」と書いてあった。
だが、彼女達の心配は杞憂に終わるだろう。
「ちょろちょろ~」
私は花壇に人差し指を向け、小さな魔法陣を生み出すと言葉通りに「ちょろちょろ」と弱く少ない水の量を魔法で生み出した。
「え?」
「うそ……」
ルーシェと母は魔法を完全制御する私を見て目を点にした。
彼女らの傍で見ていた庭師のジョンソンですら、口を大きく開けて固まっていた。
――今の時代の子供は十歳になって初めて魔法を使うと前にも語ったが、教師から魔法操作の方法を学んで初めて魔法を使用するのだ。
まだ十歳にもなっていない、魔力操作の方法を教わっていない私が魔力操作を完璧に行ってみせるなど信じられないのも無理はなかった。
「しゃわしゃわ~」
次は魔法陣から出る水をシャワー状にして花壇の土に満遍なく水を与える。
「ふぅー」
ただ、これら水を出すだけでも、今の魔力量ではギリギリといった感じだろうか。
水を出すだけで大体百の魔力量を使うとすれば、シャワー状にアレンジするだけで更に三百ほどの量を使用する。
こういった低位魔法――基本魔法・生活魔法とも呼ばれる――というのはイメージ次第で変幻自在にアレンジを加えられるが、アレンジの度合いによってそれ相応に魔力量を必要とする。
この追加使用する魔力量は魔力操作によってある程度軽減できるものの、やはり魔力の総量が低い人間には限界がある。
とはいえ、こういった低位魔法にアレンジを加えるのは大人でも難しい。
魔法専門の学び舎で知識を学び、才能がある者だけが成せる技といった位置付けの技術である。
「ガーネット。それはどうやってやったの?」
だからか、大人達は私がやってのけた事に大変驚いた。
母は驚いた顔のまま問うてくるが――
「え? こうした方が便利かなって思いながらやっただけ」
私は子供らしさ全開で誤魔化した。
こういう時、子供というのは便利である。
「ガーネット様。魔法を発動する際に、体の外へ魔力が抜けていくような感覚は感じられますか?」
「うん」
「その際に、体の外へ勢いよく引っ張られるような感覚は感じられますか?」
この勢いよく外に引っ張られる感覚、というのが魔力制御に失敗した時に感じられる感覚である。
制御に失敗し、意図せず魔法に魔力をごっそり投入して威力が増加。
しかし、一気に魔力が抜けた事でだるさや精神的な疲労を感じ、下手をすれば私のように鼻血を噴き出す結果に終わる。
「抜けそうになるよ。でも、抜けないように蓋をしてる」
私の感覚としては、まず実現したい魔法に用いる量を魔法陣形成時に全投入する。
その後、魔法発動時に体が勝手に余分な量の魔力を投入しようとするが、それを行わないように自分の体へ強制的な遮断、排出口を力業で埋めて蓋してしまうといった感じだろうか。
現代魔法使いが行う魔力操作は、基本量を予め設定しておいてから徐々に追加していく追加型、そもそも細かい調整を行わずに決まった魔法構築を繰り返すテンプレート型の二種があると本に書かれていた。
これら二種とも一定量の魔力しか使わないと謳っているが、これは間違い。
人体の仕組み的に魔法発動時には誤差が生まれる。百の魔力量を使おうとしても、誤差の発生によって数値が上下にブレるのだ。
ただ、私が用いる方法は「閉鎖型」と呼ばれる方法。
発動したい魔法に対して必要な量を決めておくことは変わらない。しかし、誤差を強制的に失くす。
必要量以上の魔力が引っ張り出される前に、人体の中にある魔力器官を強制遮断する方法である。
現代魔法学では使われていない、昔ながらのやや力任せな魔力操作であるが……。
今の私みたいな人間には必要不可欠な技法だろう。
「あら~……」
現代魔法学を学んだ母やルーシェからしてみれば、私の魔力操作は無茶苦茶に思えただろう。
理論は分からずとも、それが大雑把であることは理解していると思う。
「奥様、どうしましょう……?」
「そうねぇ~」
天才なのか、それとも無茶苦茶なだけか、と。
二人は判断しかねる様子。
「主人に相談するしかないわねぇ」
父親である当主に判断を任せるしかない。
母はそう言って席を立つ。
「丁度、あの人にお弁当持って行く予定だったし聞きに行きましょうか」
未だに夫婦仲はお熱く、母は自ら作った愛妻弁当を旦那に届ける習慣があった。
弁当を届けながら娘の事も早めに伝えておこうというつもりらしい。
「街、行くの?」
「一緒に行く?」
「うん」
三人は外出の準備を終えると再び屋敷の外へ出た。
既にスタンバイしていた侯爵家紋章旗が設置される馬車に乗り込み、私は母の膝の上に乗せられる。
馬車を囲むように護衛する騎士と共に屋敷の敷地を出て、舗装された一本道を使って街の中心地へ向かった。
侯爵領はなかなか栄えているのもあって、街には様々な人で溢れる。
ユリスキー家領地に暮らすのはヒューマンだけではなく、エルフや獣人、ドワーフなど異種族も多くいた。
このような異種族間が混じり合って暮らす文化は前世と変わらない。変わったのは建物の建築様式や魔導具と呼ばれる便利な道具の発展だろうか。
日々進歩。
疫病によって一度は王国崩壊の危機を迎えたが、隣国と1つになる事で崩壊を回避。
そして、進歩したのが今の世界。
「街を見るのは楽しい?」
「うん。色んな人がいる」
馬車の窓から街行く人を眺めるだけでも、今の私には価値がある。
その中でメインストリートを歩いていた女性二人組を目敏く見つけた。
あはは、うふふ、と笑い合って大変よろしい。
ユリ・パンデミック先生の作品に出て来るような美少女二人組である。
二人を見つけた私の顔にも思わず笑顔が浮かぶ……が、次の瞬間。
女性二人の後ろから女性達の肩に腕を回す男性が現れた。
なんだあれは。
百合をぶち壊す異物。
自分が物語の重要人物だと錯覚する竿役のご登場である。
美しき世界に割って入り、我が物顔で花達を踏み荒らす異物だ。
私は「ギリリ」と奥歯を鳴らして異物を睨みつけるが、今の私にはどうする事もできない。
せめて魔法が自由に使えれば。すぐに駆逐してやるというのに。
故に別の手段を取るしかない。
私は馬車の窓を開けて、馬に乗って並走する騎士に告げた。
「あの2人、嫌がってる!」
馬車の進行がゆっくりだったのが幸いして、護衛する騎乗した騎士に美少女二人の存在を知らせる事が出来た。
騎士は私が指差した方向に顔を向け、状況を確認すると仲間に合図を出して護衛の列から離れて行った。
その間、馬車は停止するが美少女をナンパしていた男は騎士に注意されて追い払われる。
騎士と美少女二人が一言二言会話を交わすと、美少女達が私を見て頭を下げた。
「ガーネット様。お見事でございました」
戻って来た騎士は敬礼して、さすがは侯爵家長女であると私を褒め称えてくれる。
「よく見つけたわね」
「さすがはガーネット様」
母とルーシェに頭を撫でられ、私は二重の意味で大満足。
「くしし」
私は小さな両手で口を塞ぎながら、いつもの笑い声を上げた。




