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愛、そして愛  作者: 海京
1/3

愛、そして愛 1

カランコロンと氷がグラスを打つ音が響いた。

バックで流れているジャズのお陰で、孤独とはちょっと違う心境だった。

「マスターもう一杯」

「まだ飲むの?」

「うん。友達来るからまだ飲んでたい」

マスターははぁっと小さなため息をつきながら、

零のグラスを受け取った。

再び、コースターの上に置かれたカシスオレンジを持ったところで、「零」と声が聞こえた。

ふわふわしていても、それが灯だと分かった。

「あー灯」

「マスター何杯目ですか?」

零の言葉はスルーされ、「もう5杯目」と聞くと、

灯はおでこにでこぴんする。

「いって」

零がおでこを抑えている間に、灯はウイスキーのロックを頼み、横に座った。

「で、話って?」

そう零は灯から話があると言われ、待ち合わせていたのだ。

「零は傷つくかもしれないんだけど」

「何?」

「楓が結婚する」

零はふと上を向く。

「ふーん」

灯の前にウイスキーのロックが置かれる。

「辛くないの?」

「私の片想いだったし、辛くなる権利ないよ」

「そんなことないよ」

「結婚って男?」

「うん」

「会った?」

「会った」

「いいやつ?ちゃんと幸せにできるやつ?」

「うん。マジメで誠実」

「そっかぁ」

零はグラスを傾けた。

「じゃあ、良い報告だね」

「……零は?」

「わたしー?いないよぉー」

「あれから?」

「何年経ったかなんて数えてないよ」と零は笑った。

しかし零の瞳は潤んでいた。

灯は、零の肩を掴み、向かい合わせになった。

灯は手話で、両手を一度上から下で止めたあと、左腕を直角に構え、右手で左手をつねるように表現した。


”いまつらい?”


零は、”つらい”と手話で返した。


「手話まだ勉強してるの?」

「うん。してるよ」

「勉強すると辛くないの?」

「ははーっ。どうかねぇ」

零は椅子を回転させ、灯に横顔だけを見せた。

左目から落ちた涙を見せないように。

「それとさ、もう1つ報告があって」

零は「まだあるの?」と明るく言って見せた。

「結婚式どうする?」

「あー招待状ね」

「うん。無理なら無理で――」

「行くよ」

「大丈夫?」

「楓が幸せだって瞬間見たら、区切りつくかもしれない」

「そっか」

「……結婚かぁ」

零はポケットから煙草を出し、マスターに外を指さして、出ていこうとする。

「煙草?」

「ここ禁煙だから」

「寒いから、上着持っていきな」

灯は自分の上着を差し出す。

「臭いつくよ」

「気にしないから。ホラ」

「ありがと」と零は素直に受け取り、外へ出た。



店から少し出たところに、灰皿と小さなベンチが大きな木の下にあって、そこで座りながら、煙草に火をつけた。

「結婚か」

思わず声が漏れ出た、幸せになるという1つの表現方法に過ぎない。

けれど、それはもう追いかけてはいけないものになるという意味でもある。まだ未練があるわけじゃない。

でも、隣にいるのは私だったら、なんていうたらればを考えてしまう私は、周りから見たら、まだ未練タラタラなのだろうか。

私が男だったら。どうしようも性別の垣根を考えてしまう。その垣根を超えたら、結婚できたかな。

いわゆる、一般的な祝福される道も存在したかな。私が性転換する勇気もなかったし、私はボーイッシュという認識だったから。男の子が羨ましいという感情はある。なりたいという気持ちもある。でも男として、生活したいと思う覚悟はなかったから。

楓は、「男の子になりたい」と言っていた。でも私と同じ考えだった。

けれど、男になるということは、性別を変えると言うことだから、色んなことを覚悟しなきゃいけない。それほどの覚悟が私達にはなかった。

なら、いっそ、男の子になりたいと覚悟を決められたら良かったのに、とさえ思ったことがあった。

私は中途半端だ。ボーイッシュというだけで、女にも男にもなりきれない。そんな自分にさえ自己嫌悪が湧き、どうしようもない時期があった。

女の子を好きになるたびに、私は別れを想像する。一生パートナーとして生活できるだろうか。いやいつか男にとられてしまうだろうか。

そんな捻くれた考えを持つ自分が嫌い。

吸ってなくても、じりじりと縮んでいく煙草の先には灰が溜まっていて、灰皿の上で払おうとする前に微妙な匙加減で、その灰はコンクリートの上に落ちた。

生きていないものなのに、何だか虚しくなった。煙草を吸う。煙が舞う。その灰は私のことをどういう気持ちで見ているだろう。羨み?妬み?切なさ?

考えても考えても灰の気持ちは分からなかった。

ただただ、胸に新たなしこりが心の扉の開閉部分にできた。

これでまた一つ私の心の扉は重くなった。煙草を吸うことは愚かだと父親に叱られた。と言った父も以前は吸っていた。特段父はこれまで肺がんになったこともない。

けれど、娘の身体を心配してだろう。普段会話もしない私たちが唯一熱心に話したのがそれだった。

今、思い出すとさらに虚しさがマシマシになる。

世間で言う親子の会話は父とはしたことがない。厳格で亭主関白で自己中心的で頑固で、弁当はいつも日の丸弁当で。トラックに乗って、道内を津々浦々巡っていた。遠出してもほぼ家には帰ってきていた。その代わり、朝日が昇る前に出ることも多かった。

それは父なりに、家を空けないという何かの使命を感じていたのだろうか。

私からしたら、運転中に時々目線をやってきた日々。いつも何か声を掛けられるかドキドキしていた時間を返して欲しかった。

母にはべったりだった私。

だけど、本当は不器用な父ともっと話したかった。でも私も頑固で、自分から話しかけられなかった。

自分の口から吐かれる煙。二酸化炭素が可視化できる。その次は真新しい酸素を吸う。どこか爽快に感じるのは、勘違いだろうか。ボーっとしていると指が熱くなって、思わずたばこを離す。宙に舞う。あの細い穴の灰皿の中に消える。

私はもやもやした気持ちを晴らしにきたというのに、

来た時よりも重い腰で立ち上がり、よろよろとバーへと戻った。



店内に入って、不意に見えた灯の左耳につけている補聴器。

楓と疎遠になってから、何故かやたらと街中で補聴器の案内や耳が聞こえない人がテレビに出演をするのを、

たくさん見た。

いや多分元々目にしてたんだと思う。でも楓と出逢ったから。それで私の世界は変わったから、目にするように見えただけなんだと思う。

それを見る度にいつも喜怒哀楽が一旦リセットされた。上がっていた頬も元の位置に戻り、その後には胸がぎゅっと切なくなった。

いつも楓のことが気になった。元気にしてるかな?好きな人はできたかな?笑っているかな?それを灯越しに聞くことはしなかった。灯を楓と私の間で挟みたくなかった。それでなくとも、灯は私と友達というだけで、

やたらと気を遣うのに。

きっと私と遊ぶというのを知った時、楓は私のことを思い出してしまうだろうから。

ねえ、楓。あの時私が、恋心を優先せずに、

友達としてこれからも傍に居たいと望んだら、今も傍に居れたかな?

今まで何人もの人を好きになっては、

告白は断られ、打ち砕かれ、それで私は経験した気になっていた。

でも、楓を前にしたら、思いやりという理性が恋心に負けて、知らない内に私は油を被って、炎の中に身体を投げていた。楓が「私は結婚する気がない」と言っても、するだろうとは思っていたから、分かっていたから、不意打ちを喰らったようにはならない。

でも、どうせなら本人から聞きたかった。灯越しではなく、本人から良い話がある、と聞きたかった。

うまく笑みを繕って、「おめでとう」と言いたかった。私がおめでとうと言う瞬間は、結婚式当日だけしかない。たった2,3分でここ数年の想いをどうやって伝えればいいんだ。

こういう時に、国語の評価が5段階5だったという過去はなんの役にも立たない。そういう時に限って、人は語彙力を失くす。別れてから、どんどん言いたかったことが出てくる。人の頭というやつは、本当に大事な時に働いてくれない。

「すいません」

後ろから声が聞こえ、私はボーッとした頭を弾かれた。

「あ、すいません」

頭を上げて、カウンターを見ると、マスターと灯がこちらに見ていた。

灯が”こっち来なよ”と表現するから、うんと頷いた。

カウンターに戻り、借りた上着を返す。

「うわ煙草くさっ」

灯は上着の臭いを嗅いでいた。

「だからやめとけって言ったじゃん」

「嘘だよ。大丈夫」

「嘘じゃなくて思ってるでしょ?あ、マスター解けたから、もう一杯」

「あ、マスターうちら帰るんでいいです。お会計いいですか?」

私がバックから財布を出そうとすると、灯がマスターに1万円札を2枚渡した。

「また来るんで、ボトルキープ代も入れといてください」

私がまだ財布を出そうとしていると、灯はいいからと言って、私の財布をしまわせた。

「ご馳走様でした」と店内を後にした。

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