蛇は泣かない
最近調子が良かったから、油断していた。自分が他の人からどう思われているのかを龍也はすっかり忘れていた。
たとえ自分が変われたとしてもら周りが変わるわけではない。
「うわ……蛇じゃん」
ナガレと一緒に読むための本を探している最中のこと、思わずこぼれ落ちたというようなその声を龍也の耳は確かに拾ってしまった。言葉が脳に届くと、龍也は凍ったように身体が固まり指先が冷たくなっていく。
「なに?」
「同じ学校の……不登校で、……」
一緒にいる人は他校の人で、龍也のことを知らないのだろう。龍也を知る方が説明しているのがぼそぼそと聞こえる。これ以上聞きたくないと、固まった身体を力ずくで動かしレジに向かった。本屋から離れても伏せた顔を上げることは出来なかった。
歩く速度は段々速くなり、早足から駆け足へ、そして全力で走っていた。
「はぁ……はぁ……っ」
人混みから離れ、人通りの少ない町外れの場所まで来ていた。
乱れた息は走ったせいだけではないのだろう。
足を抱えて座り込む。
「俺がっ……俺が、何したっていうんだよ……」
髪も伸ばして眼鏡もかけて顔を隠してるのに、まだ自分に何かを隠せというのか。
誰に迷惑をかけたわけでもない。人に言えないようなこともしたことは無い。勝手に恐怖して、自分を排除しようとしているのはお前たちだろうと怒りすら芽生えた。けれどそれ以上に悲しくて悔しい。
植え付けられたイメージを払拭するために行動出来ない自分が情けなくて、そんな勝手に押し付けられた理不尽に負けてしまう自分が嫌で、変に自分を避ける人達を愚かだと馬鹿にして奮い立つことも出来ずにいる自分が何よりも恥ずかしい。
ふらふらと家に帰る龍也はまさに地を這う蛇といった姿だった。
「おかえりー!」
「……」
いつも通り出迎えたナガレの横を通り過ぎてベッドへと倒れ込む。いつもならただいまと言ってナガレをその手に招き入れる龍也がそれをしなかったことで、ナガレも龍也の様子が何故だかおかしいことに気づいた。
「りゅ〜や〜?」
ナガレが心配そうに龍也の名前を呼んで近づいていくが、龍也はナガレの声に反応することなく枕に顔を埋めたままだ。
「りゅーやぁ?どうしたの?どこかいたいの?つらいの?」
「……」
「……りゅぅやぁ」
反応のない龍也に悲しくなったのかナガレの声がまるで泣いているかのように震える。流石にそれには反応したのかもぞもぞと頭が動く。それでも顔を上げることはなかった。
「……げんきない?」
「……うん」
「……いいたくない?」
「……なんで」
泣いてるのではないかと思うほど龍也は顔を歪ませているのに、涙は零していなかった。泣いたら負けだと思ったからだ。こんなことで傷ついて泣くなんて、龍也の中の小さなプライドが許さなかった。それだけが今、龍也をギリギリで支えていた。
「なんでナガレは……こんな俺に、優しいの?」
特別な理由もなく嫌われる自分のそばにいて優しくしてくれるナガレが好きだ。人間だったら良かったのにと何度思ったかわからないくらいには、龍也はナガレが好きだった。
けれども、この優しさが人間ではないからこその優しさならばナガレが人間でなくて良かったとも思ってしまうのだ。ナガレが人間であったのなら、あの同級生のような目を向けてきて勝手に怖がって近づくことすらなかったのかもしれないのだから。
「なんで?」
「りゅーやが優しいからだよ」
「……」
「りゅーやが優しくしてくれてうれしかったから、りゅーやが好きだから、りゅーやのまねをしてるんだよ。りゅーやがぜんぶ教えてくれたんだよ」
「……ナガレから見えるおれは、そんなやつなの?」
自分の知らない自分のことを、ナガレは教えてくれた。きっとそれは龍也がされたかったことや誰かとしたかったを無意識にしていたのではないだろうか。嫌われたくないなと思う心が、ナガレに優しくしていたのではないだろうか。自分が優しいということを素直に受け入れることが出来ない龍也はそうやって理由を探した。
それでも結局どういう理由があっても、ナガレが優しいと言ってくれることが、好きだと言ってくれることが嬉しいと思った。そしてそんな自分なら悪くないかなと思うのだ。
「ナガレがすきなら、それで、いっかなぁ……」
ヘラりと眉を下げて笑った龍也の目からとうとう涙が流れた。