「この男を教師にするつもりですか」
クリシスは笑顔のまま、困ったように眉を顰めた。
「……えー。では、次の質問ですが……」
「──もう良いでしょう!」
今まで黙っていた銀髪の女性教師──アーヒナヒナが立ち上がる。
彼女は右足を少し浮かせ、片手に松葉杖をついていた。
どうやら足が悪いらしい。
アーヒナヒナは空いている方の手でシャルルルカを指差す。
「この男はふざけている! 即刻、学園から出て行って貰おう!」
「アーヒナヒナ先生。ですが……」
「クリシス先生、いくら学園長の推薦とはいえ、この男を教師になんてあり得ない! ふざけるだけでは飽き足らず、シャルルルカ様の名を騙るなど言語道断!」
「そうだそうだ!」
ピエーロがうんうんと頷く。
「おっしゃる通りで……」
レイは肩を縮こませた。
「まあまあ。落ち着いて下さい、アーヒナヒナ先生」
クリシスがアーヒナヒナをやんわりと制す。
そこに油が注ぐのは発端の男、シャルルルカである。
「えーと、アーヒナちゃん?」
「ちゃん付けで呼ぶな! 不愉快だ!」
「君、良い身体をしてるね」
シャルルルカはアーヒナヒナの髪の毛から足の先まで、舐めるように見つめた。
アーヒナヒナはそれに言い知れぬ恐怖を感じて、身震いする。
「な、何見ているんだ! 気持ち悪い!」
「そんなに恥ずかしがらなくても。鍛錬を積んだ良い身体なのだから、自信を持て」
シャルルルカの受け答えは的を外しているものだったが、彼は気づかずに話を続ける。
「ただ足を引き摺ってるのが残念だ……。その足では満足に剣を振るえないだろう」
そう言って、アーヒナヒナの腰に差された剣を見る。
鍔の部分に青い魔法石が輝く、美しい銀剣だった。
「そんな君に握られる剣は、その《《なまくら》》で十分と言える」
使い込まれた様子のない剣を、シャルルルカは嘲笑った。
「先──」
レイがシャルルルカの暴言を咎めようと口を開く。
「《吹雪》!」
レイの言葉が出る前に、アーヒナヒナは抜刀していた。
剣圧に氷魔法を乗せ、シャルルルカに向かって放つ。
氷はシャルルルカの顔面に当たり、鼻頭を傷つけ、冷気で前髪を凍りつかせた。
がくんとシャルルルカの首が垂れる。
「私は十年前の人魔戦争にて、騎士として魔王軍から国を守っていた。勇者が魔王を討つと信じて! 貴様なんぞのクソ野郎を信じて戦ったのではない!」
アーヒナヒナは右膝を掴む。
「この足は、交戦中、膝に《火炎》を受けて、力が入らなくなった」
彼女の右足は左足と比べて明らかに細い。
ずっと体を支えていない証拠だ。
「これのせいで私は騎士団にも居られなくなった……! だが、この銀剣は国を守り切ったという証! 私の誇りだ! 馬鹿にするのは許さない!」
彼女の顔は鬼気迫るものだった。
正面で見ていたレイだけでなく、クリシスやピエーロも恐怖を感じていた。
「……ふう」
ただ、一番恐怖を覚えるべきシャルルルカは
何も感じていない様子で、彼は緩慢な動作で鼻頭を抑える。
「今日は採用試験だけだと聞いていたんですがね。実技試験があるのなら事前に言っておいて下さいよ」
シャルルルカは立ち上がり、杖を持ち直した。
「《幻影》」
呪文を唱えた途端、夜のように辺りが真っ暗になった。
「ひい! 厄災だ!」
ピエーロが咄嗟に頭を庇う。
「いいや、これは幻影だ!」
「──ええ。幻影ですとも」
シャルルルカはニヤニヤと笑っている。
何を考えているかわからないその不気味な笑みに、アーヒナヒナは剣を構えて警戒する。
そこで異変が起こる。
じわじわと視界が赤らみ、床に何かが揺らめくようなものが見え始めたのだ。
アーヒナヒナが恐る恐る下を向くと、足元には炎が広がっていた。
「あ、ああ……」
炎を認識すると、耳にチリチリ、パチパチと火が弾けるような音が聞こえてくる。
アーヒナヒナの顔からサッと血の気が引く。
「熱い、熱い……!」
「熱い訳ないじゃないですか。幻影なんですから」
「嫌あああああああ!」
アーヒナヒナは尻餅をついた拍子に銀剣を放り投げる。
それを拾ってる余裕は彼女になく、床を這って炎から逃げ惑う。
逃げ場など、何処にもないのに。
「何やってるんですか、先生! 早く幻影を消して下さい!」
「あっちが先に手を出したんだ」
「あんたが悪いんですよ! アーヒナヒナさん、怖がってるじゃないですか! もう止めて下さい!」
「うるさいな。消せば良いんだろ。はいはい、解除解除」
シャルルルカが手を二回叩くと、教室を包んでいた炎が一瞬にして消える。
本当に幻影だったのか、とクリシスとピエーロの二人は驚いていた。
あまりにも現実的な幻影は、感覚さえも騙す。
アーヒナヒナから流れる尋常ではない汗から、それは明らかだった。
「全く、何に腹を立ててるんだか」
シャルルルカは肩をすくめた。
「こんな風に何もかも投げ出して、情けなく戦場から逃げたんだろう? 騎士の誇りなんてとっくにないじゃないか」
「先生! 黙って!」
ギリ、とアーヒナヒナは奥歯を噛み締め、そして、叫ぶ。
「──このクソ野郎ぉ!」
アーヒナヒナがシャルルルカの顔を拳で殴った。
シャルルルカの身体は吹っ飛び、教室の後ろのロッカーにぶつかる。
アーヒナヒナは血走った目でシャルルルカを睨みつける。
「許さない。貴様は、絶対に……!」
「アーヒナヒナ先生、足が……!」
「……え?」
クリシスに言われて、アーヒナヒナは自分の足をじっと見下ろす。
シャルルルカの殴るときに踏み出した足は、力が入らないはずの右足だった。
先程まで引きずっていた足が、ぷるぷると震えながらアーヒナヒナの胴体を支えている。
「そんな……。《大回復》でも治らなかったのにどうして……!? 貴様、私の身体に何をした!?」
「何も」
「嘘をつくな、嘘つきが!」
「本当に何もしてない。しかし、ただの外傷が《大回復》で治らないはずがない」
「じゃあ、何故、私は立てている!?」
「立ちたくなかったのでは?」
「はあ? 私は立ちたかった! また、騎士として、国を守るために」
「戦争は酷いものでしたね、アーヒナヒナ先生」
不意にそう言われて、アーヒナヒナは苦い顔をする。
「多くのものが犠牲になった。町も、人も。そして、貴女の心身も」
シャルルルカは首を横に振った。
「心の傷は魔法では治せません。貴女は二度と戦場には立ちたくなかったんでしょう。だから、膝の傷をこれ幸いと利用した。違いますか?」
「うう……」
アーヒナヒナに心当たりはあった。
民衆の耳に残る悲鳴と、同志達の血の臭い。
彼らは死ぬ寸前だった。
もしくは、もう既に死んでいた。
身を切るような熱さが、足の骨と肉を溶かす痛みが、自分自身もそうなると思わせる。
もう二度と味わいたくなかった。
魔王が討たれ、戦争は終わり、平和になった。
アーヒナヒナが戦場に出る必要はない。
──ならば、ずっと歩けないままで良いじゃないか。
アーヒナヒナは心の何処かでそう思ってしまっていたのかもしれない。
「嘘つきですね」
それだけ言うと、シャルルルカは教室の扉に向かって行った。
「あ、先生! 待って下さい!」
レイがシャルルルカの背中を追いかける。
「最後に一つ良いですか?」
クリシスに呼び止められ、レイは振り向く。
「レイさんに聞きます。お師匠さんは貴女から見てどうですか?」
「雇わない方が良いと思います」
「おい。私を教職につけたいんじゃないのか」
「あっ。すみません。つい本音が……」
レイは気を取り直して言う。
「魔法の腕は本物だと思います。他の人にも、先生の知識を共有出来たら良いですが、ご覧の通りの人なので……」
廊下をちら、と見ると、シャルルルカはかなり教室から離れていた。
「今日は本当にすみませんでした! 失礼します!」
レイは教師達に会釈をし、慌ててシャルルルカの後を追った。




