「今の私はただの魔法使いです」
「新しい先生ってあの大魔法使いシャルルルカ様なんですって!?」
職員室内は俄かに色めき立っていた。
かの有名な英雄パーティーを率いたとされる大魔法使いシャルルルカが、新任教師として現れるというのだ。
教師達が興奮しても仕方ない。
しかし、シャルルルカと会ったことのある、ピエーロとアーヒナヒナの二人だけは浮かない顔をしていた。
「あんな奴を教師にするなんてアレクシス学園長は何を考えているのでしょうな」
「確かに、正気とは思えないな」
ピエーロの問いかけに、アーヒナヒナがため息を混えて答える。
採用試験でふざけていると思ったら幻影魔法で騙してからかってきた、あの男。
彼が新任教師としてここにやってくるというのだから、頭を抱えるしかなかった。
「学園長は奴が本物のシャルルルカ様だという確信があるのだろう。私には信じられないがな」
「直接会って確かめるのは多忙の身からして難しいだろうが、即日採用するなんてあり得ない! 学園長は騙されているのだ。あの嘘つきに!」
コソコソと話している二人に、一人の教師がこう尋ねた。
「ピエーロ先生とアーヒナヒナ先生は面接のときに会ったんですよね? どんな人でした?」
その問いに、ピエーロとアーヒナヒナは渋い顔をするだけだった。
「言葉に出来ないほど立派な方だったんですね! やっぱり噂は本当だったんだ!」
「ところで、そろそろ始業式ですけど、シャルルルカ様はまだなんですかね?」
丁度そのとき、職員室の扉が開いた。
「すみません! 遅れました!」
レイがずるずるとシャルルルカを引き摺って現れた。
ピエーロとアーヒナヒナはその光景に見覚えがある。
採用試験のときもシャルルルカとレイはこうやって現れた。
「この人が二度寝するって聞かなくて……。ほら、立て! 挨拶するんですよ!」
「嫌だ。私は惰眠を貪るんだ」
「惰眠ってわかってんじゃねえですか!」
──この人があのシャルルルカ様?
伝聞とかけ離れたその姿に、教師達は目を疑った。
□
レイは朝から落ち着かなかった。
学校に編入出来たのは良いものの、彼女は学校生活というものを知らない。
だから、始業式が長時間椅子に座って退屈なだけの話を聞くのも初めてだった。
もぞもぞと足を動かして、尻の痛みを緩和しようとする。
見回せば、そうしているのは自分だけだった。
皆、背筋をぴんと伸ばして壇上の話し手に目を向けている。
周りはそのような、所作の美しい者ばかりで、そうでない自分がこの場に相応しくないと思えた。
レイのそんな気持ちなど誰も知らず、始業式は滞りなく進み、新任教師の紹介が始まった。
「……続いて、新任教師の紹介です。四年D組の担任になるシャルルルカ・シュガー先生……あっ!」
式の進行をしていたクリシスの前をシャルルルカが通り過ぎた。
クリシスは呼び止めるが、シャルルルルカは無視して登壇する。
演台の前に立った彼は意気揚々と話し始めた。
「えー、ご紹介に預かりました。シャルルルカ・シュガーです」
レイはハラハラしながらシャルルルカを見守る。
──シャルル先生! 絶対に変なこと言わないで下さいよ……!
彼のクソさを理解している採用試験のときの教師三人は、いつでも彼を止められるようにステージの真下で待機している。
何も知らない生徒達の前で、シャルルルカを引き摺り下ろすことは出来ない。
生徒達を不安にさせてしまうからだ。
レイと教師三人は、シャルルルカが余計なことを言わないように祈るしかなかった。
「私の名前を一度は聞いたことがあると思います。魔王と戦ったパーティーの一人として。私はその人です」
ザワッ、と生徒達がどよめく。
「本物!?」
「嘘だろ!?」
「キャー! 私、ファンなんだけど!」
生徒達がキャーキャーと騒ぎ出す。
「気兼ねなく接して下さい。魔王はもういません。今の私はただの魔法使いです」
シャルルルカは気にせず続ける。
「私は魔王を討つべく魔法を学びました。そうです。今の貴方達と同じように私も学生でした」
シャルルルカは魔法の杖を掲げて呪文を唱える。
「《幻影》」
すると目の前に、魔物を魔法で迎え撃つ人々や日常的に魔法を使う人々が映し出された。
真剣に話を聞いていた生徒も眠気に負けそうになっていた生徒も皆、それに驚いて釘付けになった。
「魔法は平等です。貴族も、平民も、そして、奴隷も。皆等しく使えるもの。便利で奥深く、それでいて、面白い。ただの人間だった私が魔王を討てたのも魔法のおかげです」
シャルルルカは魔法の杖を軽く振って、幻影を消した。
「私は皆さんに魔法の知識だけでなく、魔法の面白さを伝えたいと思っています」
シャルルルカはニッと笑った。
「真面目な人ですわね」
「流石大魔法使いシャルルルカ様。噂通りのお方だ」
レイの前に座る生徒二人がコソコソとそう話しているのが聞こえた。
だが、レイは知っている。
シャルルルカが真面目な人間でも、褒められた人間でもないことを……。
「話は変わりますが、ここに魔物が現れたら皆さんはどうしますか?」
急にそう聞かれて、生徒達は困惑する。
対照的に、教師達は呆れたように笑った。
「そんなことはあり得ません」
「ええ、勿論、もしもの話です。王都は神竜の守護により守られている。この場に魔物が現れることなんてあり得ません──」
「──きゃあああああ!」
そのとき、体育館の後方で生徒の悲鳴が上がった。
体育館にいた全員が声のした方を見る。
そこには、巨大なハチの魔物がいた。
「あれは、サンダーキラービー!? どうして、王都に……!?」
討伐に行った冒険者の死亡報告があとを立たないほど、危険な魔物だ。
その危険性は、サンダーキラービーを初めて見る生徒達にも一瞬で理解出来た。
尻についた巨大な毒針が電撃を纏っている。
あれに触れたら一溜まりもないだろう。
「ああ、なんてことだ! 魔物がこんなところにまで現れるなんて!」
混乱する生徒と教師達を尻目に、シャルルルカはニヤニヤと笑っている。
「さあ、皆さん魔道具を構えて! 呪文を唱えて迎撃するのです! ほらほら! 早くしないと死んでしまいますよ!」
「何やってんだ、あんたはー!」
レイの飛び蹴りがシャルルルカの頭部に直撃する。
倒れたシャルルルカをレイはげしげしと蹴り続ける。
「初日に何やってんすか! 第一印象最悪ですよ! 折角の定職なのにー!」
「レイ、ちょっ、ちょっと、ストップ。痛い、痛いから」
「うるせえですよ! さっさと《《幻影魔法を解け》》!」
「げ、幻影魔法?」
そう言われて、全員が魔物をもう一度よく見た。
魔物はフッと一瞬にして姿を消す。
全員が呆けた顔をしていた。
「えー、彼女が言ったように魔物は幻影だ。王都に魔物は侵入していない」
シャルルルカがすくっと立ち上がる。
「非常に残念だ。我が不肖の生徒のレイですら幻影と看破出来たのに、他の誰一人としてそれが出来なかった。教師ですらね。全く、無能ばかりだな」
体育館内にいるほぼ全員が、殺意を持った目でシャルルルカを睨みつけた。
壇上にいるレイにはそれがはっきりと見えた。
王都の一等地に建つ大きな学園にいる教師や生徒は、貴族であったり、魔法の腕に自信のある者が多い。
そんな人間達が「無能」と呼ばれたことに腹を立てない訳がなかった。
「魔法使いの未来が心配だ。だが、安心したまえ。この私が教師になるのだから」
シャルルルカは軽やかに壇上から飛び降り、体育館から出て行った。




