慶びの日 あの時の、「祈り火」が見た世界
早朝に目覚めるのは普段の癖だ。身支度も手を濯ぎ、顔を洗い、髪を直して、身支度をする。普段の休日はそれらを放り出してノートパソコンを開くのだが、今日ばかりは流石にそうも言っていられない。
今日は結婚式だからだ。集合場所は町の中にある神社で、集合時間は午前10時40分。間近というには早すぎる、そんな時間に起きてしまった。
そうは言っても時間など、直ぐに過ぎ去ってしまうもの。まして慶びの日とあれば、入念な身支度で気づけばほら、もう、10時9分。
そこで気づいた、腕時計がないことに。普段から外してしまうから、何処にあるのか分からない。ぐるぐると見て回っても、どうやら見つけられないらしい。
時計と言えばもう一つ。外出しない母の時計が、どうにも調子が悪いらしい。母は「ソーラーだから、仕舞ってたからだね」と笑うけれど、となると時計が恋しくなった。
ようやく午前10時20分に、車に乗り込む。いくら近いとは言えど、のんびりしていては間に合わない。そうも言ってはいられない。
神社の駐車場がなかなか難しい場所にあるので、兄も駐車に手こずり、駐車したのだけれど、実は表にも駐車場があったらしい。神様に顔見せしていなかった証拠だ。何とも気まずいものだ。
さて、母の荷物を抱えて下車する。閑静な場所で、すっかり深い緑が萌えている。
(この辺に来たのは冬だったかな……)
コロナのために中々市街地へ降りていなかったので、四季の移ろう美しさも忘れていた。花の咲く時期には少し遅いし、次第に雲行きも怪しくなっている。
境内に入ると、優しい巫女が挨拶と案内をしてくれる。寂し気な松明台を横目に、親族縁者が集まっている。
中止も検討に入れていたので、人数はごく少数だ。それでも身の引き締まる思いがするのは事実で、叔父さんや両親のいる前で、どこかぎこちなく動いてしまう。
控室はあったのだが、結局皆で廊下で待機している。時折控室の中を覗くと、恥ずかし気に顔を隠す兄の姿が見られる。和装がよく似合っているのは、彼が弓を引く人だからだろうか。
さて、いよいよ式の本番のようだ。巫女が親等の近い順に並ぶようにと声をかけ、僕は二番目に整列する。
ちょっと待って。長男が先じゃないの?
僕三男だが?
既に移動は始まっている。背後にカメラの気配を感じつつ、両親に続いて移動する。
渋々兄より先にに本殿へ入場する。母の隣席に着くと、後ろ隣から囁き声が掛かる。
「逆じゃね?」
ワイもそう思います……。
急ぎ席を入れ替え、神の御前で忙しく席に座る。席に着くのは良いのだが、焦ると失敗するのが世の常。椅子の端に座りすぎて、バランスを崩しかけた。
席の前には酒杯とするめ、昆布。寿を留める女に、子孫繁栄の縁起物。なるほど、この場に実に相応しい。
だがこの時点では、僕も何に使うのかとぼっと見つめるばかり。神前式の下調べをして来ればよかったな、とちょっとした後悔をしながら、厳かな雰囲気の中で、式が始まる。
先ずは修祓の儀、祓詞を唱えられ、大麻をお取りになる。
(あ、よく見る奴だ!)
と、頭を下げる。大麻で身を清めて頂き、ようやく神の御前に相応しい清らかな心持ちになった。心なしか体が軽くなった気がし、普段の猫背も伸ばす。
次は祝詞奏上の儀。神職が祝詞を唱える。しかし慣れない姿勢はするものではない。直ぐに腰に痛みが……。
周りを見ると参列者は背中が丸い。猫背の方は猫背のままで、背筋が伸びた人もそのまま。ここで普段の姿勢に戻せば、長い式も耐えられるだろうか?
いや、今日は折角の結婚式だ。兄のこの晴れの日に、普段の恥ずかしい姿を、参列者の方に晒すわけにもいかない。ただでさえ冴えない男なのだから、この時くらいは見栄えのするように。
そして、三々九度の盃だ。巫女がお神酒の支度をし、何かのボタンを押す。すると、音楽が流れ始めた。人手不足の時代には、とても強い味方がいる。とても有り難いことだ。
新郎のもとに盃が運ばれ、酒が振舞われる。そして新婦へ、さらに新郎へ。これを三度繰り返す。
教会でするキスと同じように、二人は互いの喜びを確かめ合う。盃が預けられるたびに、腰に痛みが来る。嗚呼憎い、猫背でしこしこキーボードを打つ時間が憎い。職場でからかわれるくらいには丸い背中が、あまりに脆弱すぎる背中が軋む。
首も少し痛くなる。この慶びの日に招かれたからには、相応の振る舞いをして見せよう。何時でもというわけにはいかないが、この時ばかりは、主役の風雅な姿に恥じない振る舞いをしよう。
盃が交わされ、指輪交換がされる。はにかみがちに微笑む新郎と新婦。新婦が一瞬見せる横顔。|綿帽子の中から覗く、髻の高い文金高島田に、細やかな刺繍のある真っ白な打掛、掛下、手には末広。真っ白でありながら艶やかで、優雅で格式高い装いだ。新郎は弓道部らしく、慣れた様子で紋付き袴を着ている。白い歯を見せて笑う。指輪を交わし合い、滑らかな所作で指輪交換を終えた。
誓詞奏上。誓いの言葉。新郎の快活な声が本殿の中に響く。緊張して、言葉を噛み締めるように、しかし良く響く声で誓詞が唱えられる。
そして、僕の腰もいよいよ限界が近づいている。それでも手は膝の上に、背筋は伸ばす。就活の面接官と向き合った時の、あの緊張感を抱きつつ、兄の晴れ姿を目に焼き付けた。
玉串拝礼。深緑の榊が目にも優しく、艶やかだ。古くから神々に捧げられた榊の美しさが、ここに来て、初めて分かった気がする。スーパーの店先に並ぶ緑色で艶のある榊ではない。紙垂がついた、神々しい装いのものだ。木造の本殿の厳かで格式高い様子がまた、それに相応しい艶を葉に与えているようだ。
そして僕はスゥ、と息を大きく吸い込む。肺一杯に空気を溜めて、限界の腰と凝った首を励ました。
ようくやっている。ようくやっている。あと少し、あと少し。
親族盃の儀。お手元の盃を手に取るようにと指示される。ここに来て、新郎新婦が席の近くまで案内された。先程三々九度の盃で交わされたお神酒が、今度は僕の手元にある盃へ。澄みきった透明なお神酒が注がれる。
ちょっと待って。運転した人は飲めないのでは?兄を見る。
横顔の向こう側で、母が口パクで何かを伝えている。勿論そういう事でしょうね。
そうして迷っている最中に、お神酒を飲むようにとお声が掛かった。しまった、直ぐに飲まなくては。
口に近づけてところで、声が掛かる。斎主挨拶に移るのだ。
最後の最後に出遅れて、何というか、相変わらず締まらないものだ。
斎主からの短い祝のお言葉は、『健全で幸せな家庭を祈らせていただきました』という内容を頂いた。
そして気づいた。儀式の緊張が僅かにほぐれると、視界が高くなっているのだ。丸い猫背が持ち上がり、俯く首が挙がったのだから当然だ。しかし一段高くなった視界は、参列者の方々の目の高さに少し近づいた。
一匹の猿の視線である。少し持ち上がったそれだけで、神が執り成し、一人の人に持ち上げてくれたようだった。
親族での写真撮影だ。新郎・新婦とご両親を中心に、その後ろに祈り火が灯る。カメラの隅で細めたこの目を、少しだけ開いて、そして背筋を伸ばしてみる。
本殿の開かれた戸口から、生い茂る青と石畳が見えた。そのずっと先に、神の通る道の先では、石の鳥居が、太い注連縄が、閑静な街角を切り取って聳え立っていた。
レンズの中で、柔らかな笑みの新婦、恥ずかしそうに笑う新郎。新婦の友人がやってきて、元気な「おめでとう」の声が本殿に響く。
夫婦円満が円ならば、何事も「丸く」収まるものだ。
「なれない姿勢はするもんじゃないです」と言いたいところですが、たまには、いいんじゃないでしょうか。