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もっと一緒にいられたらいいのに。
亜季はほんの少し不貞腐れた気分になって、自身のつま先を見つめた。練習の甲斐もあって、人に化けるのも随分上手くなった。人里に降りても問題はないと思うのに、けれど奏也は駄目だという。
だから亜季が奏也と過ごせるのは、こうして彼が気まぐれに森を訪れるその数時間だけだった。
もっといて欲しいと言ったら、迷惑かしら。
やさしい奏也なら、もしかしたら夕暮れが過ぎても一緒にいてくれるかもしれない。けれど拒絶されたら……。そうして二度とは来てくれなくなってしまったら。それは嫌。耐えられない。不安が勝って、亜季は願望を飲み込んだ。
代わりに、彼がいつ訪れても渡せるようにと懐に入れておいた木の実を取り出した。イイギリの葉で包まれたそれを亜季が差し出すと、奏也はまた、困ったように笑う。
「もういいと言っているのに」
それでも彼は手を伸ばし、受け取ってくれる。
「ありがとう。 大事に頂くよ」
「はい」
奏也が包を着物の袂にしまうのを見つめながら、亜季は半分だけ満足する。
猪の肉や、薬にもなるという木の根を渡したかったのだけれど、今回は用意出来なかった。奏也にもっと喜んでもらい、もっとここに来てもらうにはどうしたらいいのだろう。
湖の水面が太陽に反射して、眩しいほどに煌めいている。
彼はいつもこの場所に、何を求めているのだろうか。
口数の多い方ではない奏也の心はわからない。
悪鬼を屠る仕事に、疲弊しているのかもしれない。だったら亜季を式神にでもして、使役してくれても構わないのに。
そうだ。
ふと思いついたその考えに、亜季は名案ではないかと顔を上げる。彼の式神に降れば、いつだって一緒にいられるし、仕事を手伝うことも出来る。
「奏也様」
「ん?」
「亜季を式神にしてはくださいませんか」
「え……?」
奏也が驚いたように眉を上げる。
「君を? しないよ、そんなこと」
即座に否定されて、亜季はまた面白くない気分になった。だからつい不満を漏らすような口調になってしまう。
「亜季は、奏也様が思うほど弱くはありません。 人に化けるのもこんなに上手くなりました」
「それは、そうだけど ……式神に降るってどういう意味かお前、わかってないだろう。 なんの自由も無くなるんだよ。 それにわたしはお前を戦わせたいとも思わない」
亜季は、そんなに役立たずに見えるのだろうか。
確かに出会った頃はまだ子供だったけれど、もう今年で十五になるというのに。妖の中ではまだまだ子供でも、人間からすれば立派な大人ではないのだろうか。
「亜季。 良い子だから森でお過ごし。 恐い鬼が出たら、またわたしが退治してあげるから」
幼子にするみたいに、奏也が亜季の黒髪を撫でる。亜季はその手に撫でられる感触が好きだったのに、今はどうしてか、とても嫌だった。ごまかされているような気がして。
「亜季はもう子供ではありません。 鬼くらい自分で払えますし、人の里で買い物をしたこともあります。 誰も亜季を疑いませんでした」
ああ、こんなつっけんどんな言い方をするつもりはなかったのに。
気分を害して奏也が二度と来なくなったらどうしよう。
言った瞬間からすぐに後悔した亜季の耳に、ふと、低い声がかかる。
「人の里に降りた?」
それは、いつもの穏やかな奏也の声ではなかった。顔も形も彼に違いはないのに、纏う空気がまるで別人で。亜季はどうしてか怯えそうになる。
「どうして? わたしは何度も降りてはいけないと言ったのに」
「……ちゃんと、お金は払いました」
奏也には内緒にしていたことだけれど。亜季は人に化けて、しばし人間に混じって畑仕事を手伝っていた。今着ている桜色の着物は、その時貰った金で買った。古着だけれど、まるで人間の娘になれたみたいで嬉しかったのに。
「そんなことを聞いてるんじゃない。 良いかい亜季。 人はお前が妖だと知ったら目の色を変えるだろう。 無事では済まないよ。 生きたまま皮を剥がれてしまうかもしれない」
奏也がこんなにも厳しい顔をするのは初めてのことだった。
「でも……誰もわたしが狐だとは思いませんでした」
「村人ではね、わからないだろうけれど、もしわたしの同業がいればすぐに見破られてしまうよ」
一気に言った後、奏也は自身を鎮めるように深い息を吐いた。
「亜季。 わたしはねお前が心配だから怒っているんだ。 頼むから、もう人里には降りないでくれ」
「いやです」
「亜季」
「わたしはもっと奏也様と一緒にいたい。誰にも見破られないくらい上手く化けられるようになったら、ずっとおそばに置いてもらえませんか」
とうとう言ってしまった。亜季は奏也を見上げながら願う。お願い、どうかいいと言って。
「亜季……」
奏也は明らかに困っていた。しばらく迷うように口を閉ざし、やがて言った。
「亜季。 お前が他の妖と違うのはわかっているよ。 可愛いとも、守ってやりたいとも思っている。 でもね、わたし達は違う種族だ。 一緒に生きることは出来ない。 どうか、わかっておくれ」
亜季は引き裂かれるような痛みに、どうにか耐えた。
奏也が歩き去るのを見守るので精一杯で、どんな言葉を返したのかも、覚えていない。ただ「また来て欲しい」と伝えた亜季に、奏也は躊躇しながらも、頷いてくれた。




