プロローグ
──水平線は穏やかにその輪郭をぼやけさせている。快晴の下、目の前の海は凪いでおり、窓から臨む景色は平和そのものと言っていい。
しかし、ここはイギリス区。対魔人戦線の最重要地の一つである。このような天侯であっても、得体の知れぬ緊張感が一帯に感じられる。
俺はそんな景色を背にして、目の前の現実に語りかける。
「異世界人のこちら側への侵入からもう20年...。その侵略より以前、最も人間を殺したのは何だったと思う?ブレーン。」
私の前に立っているのは絶世の美少女だが、純人類ではない。その証拠に童話のエルフの様に長い耳、そして翼を持っている。
そんな彼女は私の問いに対してどこか申し訳なさそうに答える。
「と言いますと、黄金期の話でしょうか?」
「うん」
「純人類が栄華を極めた黄金期...。当時、最も人間を殺していたのも、また人間であった人類史で学びました。」
ものを知らない少女のような見た目の割に、知識は相当なものだ。純人類の歴史に見識のある異世界人など数えるほどしかいないに違いない。
「その通り。人類は愚かだ。外敵などいなくとも自らを食い潰す下賎な種族なんだ。そこで俺は今こう考えている。『仮にこの戦争に勝利したとして、敵を失った人類は、またしても自ら死地を追い求めるのではないか』とね。」
「さあ…あるいはそうなるかも知れませんが…。ともかく、あれを打破しない限りは、それも杞憂となりましょう。」
彼女の宝石のように透き通った青い視線が、いつの間にか俺の後ろに向けられている。
「あれ...…と言うからにはなるほど...もう来たのか...」
この部屋、「隊長室」の窓は戦場となる海上を一望できる。俺は再びその景色に向き直る。確かに、先ほどまで見られなかった異物を確認できる。
「君の予想より少し早いんじゃないかい?ブレーン?」
「そうですね。ですが作戦に支障はありません。」
しかし、と彼女は続ける。
「支障はないと申し上げましたが、この作戦の成功は、戦術以前にトロ様にかかっています。作戦の下知を告げるのはトロ様ですし、ここにいる軍隊の皆様の中には、急遽参謀に任命された外様の私に不信感を抱いている人も多いですから...」
人の意志は、時としてどんな戦術や兵器よりも、戦況を大きく左右する。今回のような大量の命を犠牲にするようなものなら尚更だ。だからこそ、彼女は戦いの運命を俺に委ねたのだ。
「君は戦略という名の『勝利への覇道』を開いてくれる、勝利の女神だ。だから俺は、安心してその道を歩いて行ける。」
大丈夫、絶対成功させてみせる、と俺は彼女の頭を撫でた。
「もう...子供扱いしないでください...」
照れたのか顔が僅かに赤くなった。ああ、なんて愛らしいのだろう。ナデナデ...ナデナデ...
「ともかくっ...作戦対象が現れましたので直ちに作戦実行の指示をっ...あのっ...!聞いてますか...?」
ん、ああすまない。撫でるのに夢中で聞いてなかった。ナデナデ...ナデナデ...
「ですから!作戦実行の下知をお願いします!」
「ううおうっ!」
ブレーンが大声を出すのは稀なので、つい自分も変な声が出てしまった。
「あまり、ふざけてるとここから出て行っちゃいますからねっ!」
「そ、それは困る!わかった!ちゃんとやるから!許してくれ!」
ブレーンを失えば、この世界では勝つことは無論、生き抜くことさえ出来ない。俺はここぞとばかりに平身低頭して全力で謝る。
「わかればいいんですけど...。コホン...。では、作戦の再確認をします。」
ブレーンは早くも冷徹な参謀の顔になる。切り替えが早いようで何よりだ。彼女を見て、俺も自然と全身が引き締まる。
──そうだ。勝たなくてはならない。そのためにもまずはここを守らなくてはならない。
「本作戦の目標は、海上部隊を率いてこのイギリス区に侵攻している『魔人』の迎撃、可能であれば殲滅です───」
これ以上『魔人』に人類を殺させないために...