本当の夢は…~夢をかなえた君の本当の夢~水無月上総さんへのクリプロギフト
日付が変わる少し前。大晦日のこの日に限り、近所の蕎麦屋は深夜まで営業する。僕は年越しそばを食べにこの蕎麦屋を訪れた。店は予想通り混み合っていた。相席で何とか席に着くことが出来た。
「鍋焼きうどんを」
「えっ? うどん…」
「だめですか?」
「いえいえ、今日は蕎麦ばかり出てうどんが余って困っていたところです。かえってありがたいです」
家を出るときまでは蕎麦を食うつもりだった。けれど、外に出ると事の他寒さが身にしみた。そこで、急に鍋焼きうどんが食べたくなったのだ。
「私も鍋焼きにすればよかった…」
運ばれてきた僕の鍋焼きを見て、相席で対面に座っていた女性が呟いた。彼女が頼んでいたのはもりそばだった。
「良かったら、半分どうですか?」
「いいんですか?」
「こういうのも何かの縁です」
僕がお椀を一つを貰って鍋焼きをお裾分けすると、彼女は嬉しそうにお椀を抱えて微笑んだ。鍋焼きを食べ終わると彼女が自分の蕎麦を眺めながら言った。
「これ、どうしよう。もう食べられないかも…」
「じゃあ、僕が頂いてもいいですか?」
「あ、もちろんです! 初めからこれも分ければよかったですね」
「お気になさらずに」
僕はそう言うと、頂いたそばを鍋焼きの土鍋に入れた。彼女は驚いた顔をした。
「そのおつゆに蕎麦は合うんですか?」
当然の質問だ。けれど、答えは“有り”だ。この甘辛いおつゆは意外と蕎麦にも合う。
「一口食べてみますか?」
「はい。食べてみたいです」
先ほどのお椀に僕は蕎麦とおつゆを入れて彼女に渡した。彼女は恐る恐る蕎麦をすすった。その瞬間、彼女の顔がほころんだ。
「合う!」
僕はにやりとして頷いた。
僕は彼女と一緒に店を出た。
「この後はどうされるんですか?」
彼女に聞かれたので、僕はこれから初詣に出かけると言った。すると、どこへ行くのか聞かれたので近所の神社だと答えた。
「私もそのつもりだったので、一緒に行ってもいいですか? 毎年一人で行くんですけど、家族連れやカップルを見かけると、年の初めから落ち込むんです」
僕は彼女と一緒に初詣に行くことにした。道すがら、彼女の話を聞いた。彼女には夢があって、そのために家出同然に東京へ出て来たのだという。
「女優になりたいんです」
それが彼女の夢だった。
三が日が明けて僕は世話になった先輩のところへ年始のあいさつに出向いた。
「日下部先輩、ご無沙汰してます」
「ちょうどいいところに来た。ちょっと見てもらってもいいか?」
「見るって、何をですか?」
「ちょっと面白い子が入ったんだ。舞台ではいまいち伸び悩んでいるんだが、土俵が変われば化けるかも知れん。彼女の演技を見て欲しい」
数年前まで僕はこの劇団に所属していた。けれど、自分には才能がないことに気が付いて劇団を退団した。それでも芝居には携わっていたかったから、タレント事務所でマネージャーの仕事に着いた。今はその事務所で役員になり、有望な若手のスカウトに力を入れている。そんな僕に日下部先輩は見て欲しい子が居ると告げたのだった。
日下部先輩は稽古中の劇団員の中の一人を差した。その先に目をやって僕は驚いた。向こうも僕に気が付いたようだ。
「鍋焼きうどんの!」
先に彼女が口を開いた。
「なんだ、お前たち知り合いなのか?」
「知り合いと言えば知り合いなんですけど…」
蕎麦屋で会って、一緒に初詣に行った。けれど、お互いに名前も知らない。知っているのは彼女の夢が“女優になりたい”とい事うだけだった。
彼女の演技は粗削りだけれど、何かぐっと惹きつけられるものがあった。何よりも、表情がいい。台詞よりも感情で演技するタイプだった。日下部先輩が言ったように、こういう子は、舞台よりも映像でこそ本領を発揮するに違いない。
後日、僕は事務所の代表を連れて彼女が出演している舞台を見に行った。僕は彼には何も情報を与えずに、ただ芝居を見て欲しいとだけ伝えていた。彼なら何も言わなくても僕の意図が伝わると知っていたから。
「帰る」
芝居の半ばで彼は席を立った。そして、帰り際に一言だけ付け加えた。
「明日、事務所に連れてこい」
僕はすぐに日下部先輩のもとへ走った。
「明日、彼女をお借りします」
「何が借りるだ! どうやら試験はパスしたようだな」
「はい、代表が認めてくれました」
「よしよし」
頷きながら日下部先輩の顔は満面の笑みに包まれた。僕は興業が終わるのを待って彼女を食事に誘った。そして、これまでの経緯をひと通り話した。彼女は驚いていた。劇団で再開した時も僕が昔ここに所属していた事以外、彼女には明かしていなかったから。
彼女は見る見る頭角を現した。ドラマに映画、CMも含めるとメディアで彼女を見ない日がないほどに。彼女の夢は叶った。ところがある日、彼女から意外な事を僕は聞かされた。
「一番の夢は可愛いお嫁さんになることだったの」
1年後、みんなが見守る中でウエディングドレス姿の彼女の指に僕は永遠の愛を誓って指輪を嵌めた。