ニート嫌いのニートによるニート考察
人によって様々な考えがあると思いますが、自分なりの考えをまとめました。
ニートについて肯定する気は基本ないです。ニートで何が悪い!という人は見ない方が良いかもしれません。
「ニートなんて社会のゴミ」それが俺の普通の考えであり、嫌悪感を抱くには十分な理由である。
21歳無職、今俺はニートをしている。1年以上、もう2年になるだろう。
1年や2年は素人、まだ救えるという人がいるが実際は違う。ニートになった時点で負けなのだ。
一度底辺まで落ちた者が這い上がるのは難しい。誰にでも這い上がれるチャンスはある、だがその這い上がる行為の難易度は高く、掴みにくい。
ニートから働く者に変化するには2つの通過点が必要だ。
まず「働かなくていらない」という絶対の意志を得る事。
ニートでも働かなくてはいけない、と考えてる人は少なくない。だが実行に移せない。
これが第一の関門であり最難関だ。要は仕事を探し、面接を受ける行動をしているか否か。その行動が大事である。多くのニートはここで躓いている。
第二の関門は「採用される」事。
先ほど述べた「1年や2年は素人、まだ救える」というのはここに影響してくる。
1年未満であれば職歴が無くとも面接次第で採用される事はある。もちろん1年や2年でも面接次第では受かる。だがニート歴が長ければ長い程採用はされにくくなる。だから歴が短い人はまだ大丈夫だと言う人が出てくるのである。とはいえ第1関門ほどの難易度ではない。仕事をする為の活動してれば何とか職は見つかる。割と世の中はそんなものだ。
これら2つの関門を通過し、ニートは働く者へと昇華する。
世の中にはそうやって脱ニートを叶えた者、元から立派に働いている者がいる。一般的に彼らは「普通の者」とされるがニートから見たら「凄い人」である。
ニートに「凄い人」扱いされても嬉しくはないだろうが、疲れて元気のない時や、やるせない気持ちになった時は、俺はニートよりは凄いのだと。立派なのだと考えて欲しい。それで少しでも気分を晴らしてニートにならないように気をつけて欲しい。それがニートの役割でもあるのだ。
ニートとは不思議なものである。
底辺がいるからこそ、底辺になるまいと努力する人がいる。嫌っていてもなってしまう可能性がある。
人は誰かを見下す事で安心感を得られるものだ。その分かりやすい見下す対象はニートである。
俺はニートが嫌いだが、俺自身よりは嫌いではない。なぜか、それは俺の方が下だからである。
ニートであろうと人生は楽しんだ者勝ちであるというのが俺の考えの一つにある。
俺は人生を楽しめていない。だがニートの中にも人生を楽しんでいる者はいる。俺はそういった人達は上の存在として見ている。
ニートの中にもまた底辺がいる。またその底辺の中にも底辺がいるのかもしれない。
だがこんな考えに至ってはいけない。一度底を見ると上の存在が明るくて直視出来なくなる。こういった訳の分からない考えが第一関門の突破を厳しくする。下の下の存在の自分が、上の人間に敵うわけがないと。
全員がこんな考えをしているわけではない。しかし一度ニートになるとこういった卑屈な考えは生まれやすい。だからニートにはなるべきではない。また今ニートではあるがこんな卑屈な事を考えれない位の正常さなら今のうちに脱するべきである。
ニートとは蟻地獄のようなもの。自分がなってしまう危険性を忘れてはならない。