8話 戦士ダンガガ
ダンガガと出会って、数日がたった。
まだ、暑い昼下がり、俺は……
「全く、この子には困ったものだのう」
母親であるオリビアの前で正座させられている。
父親であるアルドはその横で苦笑している。頼む、親父助けてくれ、と念じてみるが、通じている様子も無い。
何だかんだで一時間が経過している。
説教と足の痺れで、ぶっちゃけ、そろそろ限界です。
まぁ、理由は簡単だ。女物の服を脱いでカボチャパンツ一丁で部屋を抜け出した所、オリビアと遭遇した訳だ。
まだ、庭先でよかった。日陰で風通しもいい。屋敷の中だったらさっさとギブアップしてただろう。
「まぁまぁ、オリビア。クリスも反省していることだし、ここらで許してあげようよ」
「……却下じゃ」
親父撃沈。役に立たない親父め。
「で、クリスや。反省したかの?」
「俺はおとこだ。おんなのこの格好なんてしないぞ!」
そこは曲げられない。
その言葉に、オリビアがはぁ、とため息をつく。
「全く、女の子として育てるつもりが、誰かの?クリスに男だと告げたのは」
まぁ、前世からの知識あるからな。
しかし、この問題は、時間の問題だったと思う。
何しろ、世界はこの屋敷だけではないのだ。その内、この屋敷から出ることも増えるだろうし……
そもそも、何で彼らが俺を女装させようとしているのか不明なんだよな。
彼らも本意って感じでは無いし。前に、亜人がうんたら言っていたけど、何だろうか?
まぁ、腐っても貴族だ。そこら辺は色々事情があるのだろうが、俺としてもここは曲げる訳にはいかない。
ともあれ、こんな感じの膠着状態。そろそろ何とかしたい所だが……
「おやおや、旦那様にオリビア様。こんなところで何やってるんです?」
そこで第三者が割り込んでくる。
振り向くと、肉屋のオーク。確か名前は……
「ダンガガ」
俺がそう呼ぶと、ダンガガがその怖い顔を笑みに変える。
「おや、お嬢様。俺の名前を覚えてくれるなんて嬉しいですな」
浮かべた笑みも、何か人を食う鬼みたいな顔で愛嬌の一つもない。
しかし、オークってこんな顔が怖いのか?他のオークを見たこと無いので解らん。
「ダンガガよ。いい加減、その顔何とかならないのか?客商売だと失格じゃぞ」
「何、オリビア様が俺んとこで肉買ってくれれば食いっぱぐれることはありませんので」
「他力本願じゃの。そんなのでは、いつか愛想つかすかもしれんの」
「その分、いい肉を卸しますのでご容赦願いたいですがね」
そういって、二人はクックックと笑う。
あれ?おかんと肉屋なんか仲が良さげじゃね?
いいのか?親父。
親父のほうを振り向くとニコニコと笑っているが完全空気だ。
しかし、ダンガガとおかんの空気は甘ったるいものでは無い。
この空気は、そう……悪友同士といった感じか。
「……で、お嬢様は何でこんなポーズをとっているんですかい?」
「や、女物の服が嫌だ、と脱ぎ散らかして出てしまっての。それでお説教じゃ。男爵家の娘としてこれではいかん」
そういうと、ダンガガがほう、と頷く。
「そうは言いますが、オリビア様。彼女、まだ三歳じゃないですか。あのゴワゴワした服はこの暑さでは着づらいですぜ」
確かに、貴族の服は着づらい。見栄えを気にした豪勢な作りはこの暑い夏には最悪としかいいようがない。
「今から慣れさせておかないといかんのでな。貴族として生まれた身。それくらいは我慢して貰わないと困る」
「とはいえ、オリビア様。あなたも貴族になったばかりの頃。街の飲み屋で暴れるわ。山を駆け回るわで大変だったじゃないですか。この子間違いなくあなたの血を引いてますよ?」
「……う、ぐ。貴様、今それを出すかの?」
……? あれ?おかん、元々貴族じゃなかったのか?
立ち振る舞いからして、特権階級出身だと思っていたのだが……
「まぁ、飴と鞭といいますか。何か餌にしたほうがいいのではないですかい?あなたの子だ。頭ごなしに怒っても言うことは聞かないと思いますが?」
「……しかし」
「うん、私もダンガガのいうことに賛成だ」
おお、さっきまで空気だった親父が口を開いたぞ。
「なんじゃ、旦那様。この教育方針は旦那様も賛成だったはずじゃが?」
ジド目で見ている妻を横目に親父は、紅茶に口をつけて喉を潤す。
……言われてみれば、おかんより親父のほうが動作は鮮麗されているようにも見える。
「ああ、いや、私もさっきまでそう思っていたけどね。ダンガガの言うことも最もだな、って思ってね。この子は、君に良く似ている。顔立ちは私似だが中身は完全君そっくりだ。君だって頭ごなしに言われれば反発するだろう」
「しかし、のう……むっ?」
何か言おうとして、おかんの空気が変わる。
大地が、震えた。
それと共に風が吹き荒れ、渦を作る。
魔力のその風の中心に集まり始める。
(なんだ、あれ?)
俺の眼に映るのは、地面に赤く点滅する魔力の流れ。
まるで心臓のように一定のリズムを刻むその魔力の本流は、渦巻き、一つの形を作り上げる。
地面が、ぼこり、と盛り上がり。そこから這い出したのは、赤い瞳の猿。
いや、猿というには、少々大きい。1mはある身長。手には、無骨な棍棒が握られている。
その眼の瞳孔は真っ赤に染まっている。知っている。知識としてだが、真っ赤な眼をしているということはつまり……
「ほう、魔物か。ここら辺には、弱いレイラインしか通っていないから安心していたが、旦那様よ。ここら辺に魔物が生まれたのはいつ頃かえ?」
「うーん、50年ほど前に街に発生したっきりだね。街に現れなくて良かった。見た感じ中級。街に現れてたらパニックになってたに違いない」
魔物はレイラインに沿ったところでないと発生しない。眼に見えるレイラインは空にかかる虹色の橋だが、地面にもレイラインは通っている。
ここらで街が発達しているのは、ここら辺に通っているレイラインが弱いものだからだ。
「ふむ、レアケースというやつか。仕方ないの」
そういって立ち上がろうとするオリビア。首にかけたネックレスを外しその手に握る。
オリビアの体内から魔力が噴出す。そして、オリビアが口を開こうとした瞬間、ダンガガがオリビアの前に立つ。
「まぁまぁ、待ってくださいって。この程度で男爵夫人の手を煩わせることはありませんって」
そういって、相変わらず怖い笑みを浮かべ、魔物のほうに歩き出す。
「おい、ダンガガよ。武器は無いが大丈夫か?」
「オリビア様。俺をなんだと思っているんです」
右足の動きは相変わらず、ぎこちない。
しかし、口ではオリビアはそういっているが、その口調は全く心配しているようではない。
一応、聞いてやった、程度の問いかけだ。
丸々と太ったダンガガの体が、小さくなる。
いや、違う。脂肪だと思っていたダンガガの丸々とした体が、彼の意思に従って引き締まったのだ。
多くのオークが持つという固有魔術『オーバーヒート』。
体内のカロリーを消費し、身体能力を伸ばすという接近戦に特化した魔術を発動させたのだ。
その現象を、猿は怯えることなくじっと観察している。
「ほれ、エテ公。さっさと来いよ」
知性も、理性も無い機械的に動いている魔物だ。その異様な空気に呑まれること無く、ダンガガに向かってその手に持った棍棒を振りかぶる。
「ほっ!」
大雑把なその動き。隙だらけなその胴体に、ダンガガの拳がめり込む。
ごん、という音に混じって何かが折れる音が響き渡る。
生身の人間では出せないであろう音が響くと共に、猿の魔物が膝から崩れ落ちる。
しかし、それでも猿は戦意を失っていない。証拠にその棍棒は力強く握られたままだ。
体勢を崩しながら、何とか起き上がろうとする猿に、二撃目が襲う。
それは、頭上から降ってくるダンガガの足。
それに気づいた猿は、棍棒を頭上に掲げガードしようとするが――
「……甘い」
ダンガガの震脚は止まることはない。
棍棒をぶち抜き、その足は猿の頭を踏み抜く。
地面が、揺れる。
ゴン、と地面が揺れると共に猿の頭が砕け、四方に飛び散る。
「なっ……」
「本当に馬鹿力じゃのう。この猿、耐久性があって狩り難い相手なのだがの」
絶句する俺の横で、オリビアが呆れたようにいう。
確かに、馬鹿力だ。人間には出せないその身体能力は、化け物と言ってもいい。
だが、俺が驚いたのはそこではない。
力任せの戦法だった。
しかし、その大雑把に見えるその動きには、その馬鹿力を最大限に生かす技がしっかりと組み込まれている。
「ふう、いやはや、たまには運動するものですなぁ」
そう軽く言うダンガガ。その横で頭を失った猿が輪郭を失い赤い光を放ちながら分解されていく。
残るのは、赤い宝石と、黒い毛皮。
「おっ、ドロップしましたな。この猿の毛皮、耐久性ありましてな。結構高く売れるんですよ」
「ふむ、やはりドロップ狙いか。いいじゃろ。ワシらには不要なものだし、勝手に処理するがえいい」
「ははっ、ありがたき幸せ」
芝居めいた動きで、礼をするダンガガ。その様子にオリビアは苦笑し、そして俺を見る。
「さて、話が逸れてしまったの。さっきの話の続きじゃが……ぬ?クリスや。どうした?」
おかんが横で何か言っているが全く耳に入らない。
俺は、立ち上がりダンガガの元に走る。
足が痺れるが無視だ。
足を縺れさせながら、俺はダンガガに近づく。
「お嬢様どうしました?」
2mはある身長を見上げる。
何とか、愛想よく笑おうとしているダンガガに俺は頭を下げる。
「頼む! 俺を弟子にしてくれ!」
頭を下げた俺には、ダンガガのうろたえている様子も、苦笑する両親の姿も全く見えていなかった。
※次の更新は……多分、日曜日です(汗