4話 神話と魔法
つーわけで一歳になった訳だが……
喋れない状況は相変わらず。
魔法どころか、ようやくハイハイが出来るようになったレベル。
ともあれ、出来ることをやっていくしかない。
真っ先に覚えたのは、まずトイレだ。
ここ一年、母親のおっぱいでの食事に、若い女性におしめを取り替えられる生活。
屈辱の極みとしかいいようがない。まだ、オマルしか使えないが、立てるようになったら自力でトイレまで行けるようになりたい。
しかし、中世ヨーロッパレベルの文化圏と考えると、どー考えてもトイレ=ぼっとんだよな。
……あまり考えないようにしよう。
「本当、ぼっちゃ……いえ、お嬢様は手がかからなくていいですねー」
俺の横でそんなことを言っているのは専属のメイドであるサーシャ。
モデル体系というべきスレンダーな体つき、整った顔立ちから冷たい感じはするが、中身はかなりおっちょこちょいな天然娘だ。
胸に関しては……将来に期待といった感じか。
何より特徴的なのは、長い耳。確かエルフといったか。長寿と魔術の扱いが上手いことで有名な種族らしい。
しかし、サーシャ。お嬢様はやめてくれ。
サーシャはお嬢様というが俺は男だ。まず、ある程度、自由に身体が動かせるようになってから確認したのは男の象徴たる『あれ』の確認だ。
それは、確かにそれは、そこにある。
確かに、俺は男のようだ。しかし、家族はどうやら、女の子として育てる気満々である。
女神め、多少の困難がうんちゃら言っていたが、これはマジで想定外だぞ。
そういった風習のある世界、という訳ではなさそうだ。母親の言葉の端々に、不本意であるのが読み取れる。
となると、家庭の事情か何かと考えるべきだろうか。
メイドがいることが解るとおり。この家は比較的金持ち……と、いうか貴族階級である男爵のようだ。
前世の知識と照らし合わせると男爵というのは、貴族の中では最下位。それでも貴族であることは変わりはないはずだ。
「あぶあ……」
「はいはい、絵本ですね。本当にお嬢様は本が大好きですねー」
そういってサーシャは絵本を開いてくれる。
本のタイトルは『7人の勇者』というものだ。
「かつて、悪ーい神様が世界を支配していました。人々は苦しめられ、それを見かねた古き魔術師達は、その神様を大地の底に縛り付けました」
そう、俺はこの世界の文字を読むことが出来る。
と、いうか、この国の公共語はラポーネ語と呼ばれているが、その中身は日本語そのものだ。
文字も漢字とひらがな。中にはよく解らない単語も多いが前後の文脈で大体理解できるレベルだ。
「世界に平和が訪れました。ですが、それも長くは続きませんでした。悪い神様が大地の底で流した血は次第に大地を汚し、その血はやがて七人の魔王を生み出しました」
絵本の話だが、どうやらこれは神話の世界の話のようだ。
こっそり、自分の部屋を抜け出した時に立ち寄った父の書斎。そこにも似たような内容が書かれた本を発見した。
元々勉強が苦手で読んでてすぐ眠くなったが我慢して読んだ。勇者と魔王についての考察についての本だったが難しいことが色々書いてあってよく解らなかった。ただ、理解できたのは、悪い神様と古き魔術師の戦いは表現の違いはあるが6大陸すべての神話に記されているということ
その内容がすべて真実でないにしても、それに似た出来事は過去にあったと考えてもいいような気がする。
「古き魔術師達は、魔王に対抗します。しかし、かつて神さえ封印した彼らも神様の毒に犯され、本来の力を失っていました。一人、また一人と古き魔術師は倒れ、世界は闇に包まれました」
確か、魔王の称号は、『傲慢』、『嫉妬』、『憤怒』、『怠惰』、『強欲』、『暴食』、『色欲』だっけか?
それぞれ称号に準じた能力を持っているようだ。
「しかし、そんな中、七つの光が生まれました。それこそが、七人の勇者様。勇者は魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらしました。めでたしめでたし」
とはいえ、この世界にはまだ、魔王は存在する。と、いうか魔王は倒しても、また別の魔王が生まれるわけだからきりが無い。
だが、倒せば、しばらくは次の魔王は生まれないので魔王を倒すという行為は全くの無駄というわけではない。
「……クリス様。あなたは人類の希望である勇者。これからつらい事があると思いますが、頑張ってください。私も支えさせていただきますので……」
とりあえず辛いのは、勇者としての試練より、この女装することが確定している未来なのだが……
ともあれ、赤ちゃんなこの体。『あぶあ』としか答えることが出来ず、ただ、抱きついてくるサーシャの頭をよしよしと撫でるのみだった。
■◇■◇■
「お嬢様、大人しく待っていてくださいね」
にこり、と微笑み洗濯物を持って部屋の外へ出る。
この屋敷にはメイドは彼女を含め三人しかいない。屋敷の全容は解らないが、かなりの大きさだ。
三人で管理するには人手が足りず、つまりはしばらくは戻ってこないということだ。
「あし」
『よし』といったつもりだが、まだ上手く喋れないな。
まあ、とりあえずやることは一つだ。
「あぶあーーー」
吼えると、体から青い靄がゆっくりとあふれ出す。
その状態で、脳内に幾何学的な図面をイメージ。その図面に力を流し込む。
すると、体を覆っていた青い靄が次第に透明な色に変化し、それと共に倦怠感と共に力がわきあがる不思議な感覚が襲い掛かる
その状態で立ち上がる。普段は、ふらふらとしか立ち上がれないが、この状態だと普通に立ち上がることが出来る。
そう、これは魔術だ。
魔術を覚えると、決意して一年間。何もしてこなかった訳ではない。
殆ど、寝て、乳を吸い、クソを垂れ流す日々。時間だけは沢山あった。
生まれてしばらくして気づいたのだが、前世の時には無かった不思議な感覚を感じ取ることが出来たのだ。
三つ目の腕があるような、いや違うな。何というか、体の中にもう一つ体があるような感覚。
腕とかと違ってそいつは自分のイメージ通りに形を変えるのだ。
前世と時には無かった感覚。しかし、いくら形を変えようとも何もおきない。ともあれ、暇だったのでこいつを動かして遊んでいた訳だ。
最初は少し動かしただけで、倦怠感が体を包むが、使い続けると次第に、その動かせる量が増えていき、しばらくすると体の外へ放出することが出来るようになったのだ。
最も、体の外に出すと、光の粒になって消えてしまう訳だが……
『こいつ』の使い道に気づいたのは、はいはいで移動できるようになってからだ。
こっそり、部屋を抜け出して、親父の書斎で見つけた一冊の本。
『汎用魔術 基礎編』とカバーにかかれたその本には様々な絵が載っていた。
どうやら、その本によると、この世界の魔術は『汎用魔術』に『固有魔術』の二種類に分かれるそうだ。
人間は生まれた時、魔力に独自の色を持っているらしく、その色を生かして使う魔術を『固有魔術』と呼び、その特色を出来る限り無色に近づけて様々な現象を起すのを『汎用魔術』と呼ぶらしい。
この本は、その『汎用魔術』を使う為の本なので、そこら辺の差については触りしか書かれていないが、代わりに『汎用魔術』の使い方について詳しく書かれていた。
使い方は、その本に書かれた術式を脳裏に描き、それに魔力を通すことらしい。
それを読んだ時は、『なんだ、簡単じゃん』と思っていたが、これが結構難しかった。
まず、その図面……あー、この本では術式か、ともあれこいつが複雑怪奇で、それを完璧に覚えなくてはいけない。
それは、誰かの絵を複製して書くようなものだ。
例えば、森の絵をコピーするにしても、そこには色々な要素が絡んでくる。
木の本数は何本か?そして、それはどのように配置されているか?枝の生え方は?その木の種類は?
場合によっては、その森にいる動物の種類や配置も意識しなければならない。
しかも、その絵を描くキャンパスは自分の脳だ。ここに木があって、と一本一本書いているうちに、前に書いた木のイメージはあやふやになってしまう。
そんなんで、一つの術式を覚えるだけでも相当時間がかかる。
(ああ、だからか)
部屋にペタペタと張ってあった幾何学的な模様。あれらの模様は、この本の中に書かれているものばかりだ。
つまりは、幼い頃から、見せ続けることで無理矢理脳に叩き込もうという考えか。
ともあれ、こいつを使うのはかなり難関だった。
何度も失敗を繰り返し、ようやく成功したのがこの魔術。『身体強化』だ。
ここまで長かった。勉強嫌いな俺だ。只管同じ絵を見続けて、それで術式を組んで失敗して、これを繰り返すこと数ヶ月。
何度、心が折れそうになったことか。だけど、その分、成功した時の達成感は格別だった。
しかし、そろそろ俺も次の段階に進んでもいいような気がする。
本には、かつて古代の魔術師は自然界に溢れる魔力を取り込んで魔術を使っていたらしい。
近代の魔術師は、そのようなことが出来ず、自らの体内にある魔力を使って魔術を使っているとか。
(けど、普通に取り込めそうなんだよな)
俺は、目に魔力を流しこむ。すると、周囲の景色は一変する。
さっきまでは塵か何かだと思っていた『それ』は、青、赤、黄とそれぞれの色を放ち始める。
どうやら、魔力が固形化して、塵として漂っているようだ。
(まずは実験。こいつらを体に取り込んだらどうなるか、だ)
手を天に向ける。
一つ、一つのホコリ(魔力の塊)に意識を向ける。
「あぶあ~」
自分の声に反応して、ホコリが一斉に自分の体に吸い付き、そのまま体内に飲み込まれる。
ドクン!
心臓が高鳴る。
それと共に、体の底から魔力が膨れ上がってくる。
(うっし!成功! これなら、幾らでも魔術が使えるぜ!)
それにしても、こんな簡単なことなのに、この世界の人間は外部から魔力を吸い込まないのだろうか?
吸い取る魔力の範囲を広げる。
ゴウ、と風が吹き荒れる。窓がガタガタを音を立てて、屋敷から、そして外からホコリ(魔力の塊)が集まってくる。
ドクン!
再び心臓が高鳴る。
ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!
え?ちょっと、高鳴りすぎだろ?俺の心臓、あれ?これってもしかしてやば……
そんなことを考えていると、がはっ、と口から何かあふれ出る。
それは血。どうやら俺は吐血したらしい。
って、おい。何で俺、吐血しているんだよ。
「お嬢様!」
部屋に慌てて飛び込んでくるサーシャの姿を確認すると共に、俺の意識は闇の中へ落ちていった。