逃走
久しぶりの主人公視点。
けど、短いです。
その光景に俺は息を飲んだ。
グチュ、ゴクリ、ガリ……
肉を割く音。
肉を飲む音。
骨を削る音。
それは、オークの背中。
見覚えのあるその背中。
何度も、俺の前に立ち、庇ってくれたその背中。
その大きく、ピン、としたその背中は今は丸くなり一心に、何かを食べている。
彼が手を伸ばす。そこにあるのは、引きちぎられた子供の手。
それを、彼は……
グチュリ、と齧りつく。
あれは誰だろう?
あれは誰だろう?
あれは……
『おい! クリス!!』
その言葉にハッとする。
『呆然とするな! 敵の前だぞ!』
ははっ、いや、だって。そりゃ無いだろう。じじい。
だってさ。あいつは……、あいつはっ!
その名前を絞り出す。
「……ダンガガ」
ぎょろり、その目がこちらを向く。
虚ろな目。口には血が混じった涎がダラダラと流れ出ている。
「ん、ああ、お嬢どうしたんだ? あー、明日は朝が早いんだ。さっさと寝たほうがいいぞ」
「ダン、ガガ」
喉がカラカラと乾く。
「いや、少し小腹が減っちゃってよ。美味しそうな肉があってつい、な。で、お嬢、一個相談なんだけどよ」
虚ろな表情。血だらけの口。しかし、いつものように困ったな、といった風に頭を掻きながら、こちらに近づいて……
『クリス!!』
「っ!!」
その声に、俺は反射的に飛びのく。
轟音を立てて、クリスの立っていた地面が抉れる。
「い、いい一本。イ、本でいいかラ、そのうデ」
ガタガタとタンガガの体が震え、そして――
「喰わセてクレエェェェェえ!!」
『来るぞ!!』
バックステップ。しかし、ダンガガの拳は、地面を抉り、その土が俺の視界を遮る。
『コマンド確認。
触覚増加(大)、脚力増加(大)発動』
巨体が動くことで発生する僅かな風を察知。タイミングを合わせ、ジャンプと同時に、脚を前へ。
ダンプカーにもぶつかったかのような衝撃が足に走る。
宙を舞う感覚。僅かに開けた視界に突進してくるダンガガの姿。
まずい、このままだと捕まる。
『コマンド確認。
『エアステップ』発動』
何もない空中。斜め上に向けて蹴り上げる。
俺の体は下へと加速する。
地面に着地。しかし、見誤っていたのはダンガガのスペック。
奴の体が目の前にある。
その手が、俺へと延びてきて、そして―――
「クリス様!!」
サーシャの声と共に、ダンガガの頭に矢が刺さる。
「がぁ……」
のぞけるダンガガ。
「……っ! ダンガガ!」
「ダメです!クリス様!」
俺の手を、サーシャが引く。
「何しやがる!ダンガガが!」
彼女の手を振り払おうとして、しかしその手を彼女が体ごとしがみつく。
「あれを見てまだダンガガ様と言い切れるのですか! ダンガガ様に何があったか解りません。ですが、あれの中身はもう別人です!」
再び、ダンガガを見る。
頭に矢が刺さってダメージがでかいのか、一歩も動かないダンガガ。
しかし、死んでもいない。矢が頭の根元まで刺さっているのにかかわらず、だ。
目を見開き彼を見る。
彼の体から溢れる黄色く優しい輝きをする彼の魔力。
最近、気づいたが人によって魔力の色は違う。
この色は、間違いなく彼のもの、しかし、その一点に黒ずんだ影が目に入る。
もっと深く、もっと深く。
彼の体を観察する。表面的な彼の魔力ではない。もっとその奥まで目を凝らす。
「っ!」
すると、目に入るのは、まるで木の根のように彼を巣くう黒い影。
見るだけで吐き気を催すそれは、間違いなく彼のものではない。
「お、嬢」
ダンガガが口を開く。
「にげ、ろ」
その瞳には、理性的な輝きが戻っている。
「でもっ!」
「い、いから、はやく!早く逃げ、やがれ!!」
「クリス様!」
サーシャが俺の手を引く。
「くそっ!」
俺はダンガガに背を向け、サーシャと共に駆け出す。
「クソ、クソ、クソォ!!」
それしか、口から出てこない。
腹立たしい。
サーシャの悲しそうな瞳も、俺が背を向けた時、一瞬したホッとした瞳も、
何より、ダンガガを助けることが出来ず、ただ茫然とすることしか出来なかった自分自身に腹が立つ。
遠くに響き渡るダンガガの咆哮。恐ろしいはずのその声は、何故か俺には彼が泣いているように感じた。




