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眞白と三郎



 朝廷の正規軍である兵衛府が衰退し、かわって陰陽寮の権威が強まったのはいつの頃からだったか。

 当時は人の身に降り懸かる災厄はすべて魔物の仕業であると考えられてきた。それゆえ政に携わる貴族や富裕層は魑魅魍魎や怨霊のたぐいを極端に恐れ、それらから身を守ることに身銭を切ることをいとわなかったのである。


 これは帝とて例外ではなく、それは加持祈祷を専門とする陰陽寮を朝廷のポストに置いたことからもうかがえる。だがそれらはあくまでもスピリチュアルな役職であり、政に深く関わるべきではないと考えられてきた。


 だがある時事情が変わった。陰陽寮の長である榊霊璽さかき れいじが、宮廷の真下を巨大な地脈が走っていることを突き止めたのだ。それはまさに竜脈と呼ぶべき巨大なパワースポットであった。

 霊璽はその竜脈から直接、この世の吉良なる流れのもととなる気を吸い上げることを進言した。当然これに反対の声もあった。帝の住まう御殿を掘り起こし、得体の知れぬ力を用いようとするなど言語道断である、と。


 だが鶴の一声とも言うべき帝本人の下知がこれら反対勢力を黙らせる形となった。帝からしてみれば宮廷などまた建て直せばいいという思いがあり、その程度の代償で都に安寧をもたらすことができるなら安いものである――そう考えたのだ。


 結果的にいうとこの試みは成功した。霊璽の言葉通り都は吉良なる気で満ち溢れることとなるのだが、事はそれだけでは終わらなかった。

 竜脈からあふれだした濃密な気の流れによるものか、それまでは陰陽師たちですら捉えかねていた霊的な力がはっきりとした形で現れだしたのだ。

 占星術や八卦は正確性を増し、気休めでしかなかった加持祈祷は病はもちろん疫病すら癒すことが可能となった。朝廷における陰陽寮の立場はおのずと強まり、あらゆる災禍の取り払われた都は栄華を極めることとなった。


 だが、ある時異変が起こった。中秋の名月が浮かぶ真夜中、宮廷の屋根に奇妙な鳴き声をあげる獣が突如現れたのだ。それは獅子の体をした猿のような奇怪な姿で、見上げる人々をあざ笑うように金切り声をあげ、夜空に飛び去ったという。


 これより数年の後、国土を覆い尽くすこととなる黒い霧が各地で目撃されるようになるのはまさにこの夜だった。

 






 塗りつぶしたような闇の中、草木をかき分ける音に獣のような息遣いが混じる。先頭を走る男は手にした山刀の柄を握り締め、ボサボサに伸びた髭で覆われた口元を凶悪に歪めた。


 男は自分の名を知らぬ。正しく言うならとうの昔に忘れたのだ。

 物心ついた時から山に潜み、凶刃を振るい、奪う。男を突き動かしているのは己に染み込んだその習性だった。言うまでもなく仲間である者たちの名など思い出すことはない。ただ利害が一致する、それだけの理由で今も行動を共にしているのである。


 そして国中が黒い霧に包まれて以来、男たちの歪んだ欲求は更に膨れ上がった。奪い、犯し、殺す――ただそれだけの想いに囚われた。


 にもかかわらず、獲物の数は減ってしまった。それらもまた黒い霧に起因するものなのだが、男たちの脳はもはやそんなことを思考する能力など失っていた。ただ昼夜を問わずに山を駆け、ひたすらに欲望のはけ口を探す。


 そんな折、森の奥に灯った光を見つけた男たちの高揚は筆舌に尽くしがたいものだった。

 火を灯す獣がいようはずはない。すなわちその光の源にいるのは紛れもなく人間なのだ。


 光はすぐ先にある。うっそうとした茂みを山刀で切り開き、男は目指した場所へと降り立った。


 木々が開け、小さな広場となっているその地の中央で小さな火が焚かれていた。かまど状に組まれた小石の上に小さな鉄鍋が置かれ、ふつふつと湯気が立っている。だがそんなものは男の目には映らなかった。焚き火のそばで膝を両膝を抱えるようにして座り込んでいる人影に心を奪われたのだ。


 火の明かりに照らされて艶やかな光を放つ翠の黒髪を束ね、竹で作られた髪留めをつけた少女が物憂げな目を焚き火に向けていた。巡礼者の着る白袈裟と手甲、そして丈の短い半袴という出で立ちで、少女は突然現れた男に対して一瞥すら向けず、ただじっと火を――いや、焚き火にかけた鍋を見ているようだった。


 男の殺意や情欲を押しとどめたのは、背後に感じた同じ情念の波だった。少し遅れて現れた仲間たちの気配を感じ、勢いにただ任せてこのとびきりの獲物を壊してしまう――本能的にそう感じた。少女の持つ清らかな気が狂気に侵された男に歪な正気をもたらしたのだ。


 男は手にした山刀を横凪に振るった。ごりっという耳障りな音がして、真っ先に少女に踊りかかろうと飛び出した男の首が胴を離れる。それを見た後続の男たちは足を止め立ち尽くした。宙を舞った首はきりきりと回転しながら少女のすぐそばを横切り、闇へと消えた。


「手ェ出すンじゃねぇッ!!!」


 唾を撒き散らし、血でぬめった山刀を振るった。その声は既に人のものではない。


「――喋れるんだ」


 少女が気だるげに口を開いた。血と油の匂いが漂いだしたその場に似つかわしくない、鈴を転がしたような美しい声音。山刀を肩に担いで振り向いた男は舌で口から漏れ出すよだれを舐め取りながら振り向いた。


「ワシは長ァいことこの山にオるがこげに美しいモノははじめてメにする。どうしてくれようか? こノように感じタは初めテよォ」


 男が発する声が空気を震わせる。常人ならば獣に睨まれた兎のごとく震え上がるだろう。


「意外と流暢に喋るじゃない。――どっちかな? 長く霧に触れておかしくなっちゃったのか。それとも、天然?」

 だが少女は微塵も動じず、ちらりと上目遣いに男をみた。


「ヨか声じャ――もっと聞きタい。聞キたいのう」


 少女の言葉に取り合おうともせず、男が大股で歩み寄る。丸太のような腕で少女に掴みかかろうとしたまさにその時、凛――と高い音が静寂に鳴り響いた。


「ム――?」

 男が足を止め、少女の背後に目を凝らす。


 一体いつからそこにいたのか、六尺を優に越すであろう長身の男が立っていた。肩まで伸びた黒髪を総髪に垂らした頭に頭巾を乗せ、袈裟と鈴懸を纏った修験者と思われる格好をしており、右手には身の丈を超える長さの黒い錫杖を持っている。細面に切れ長の目をした美しい顔立ちだが、その顔色は火に照らし出されながらもなお青白い。


 修験者は伏せていた瞼を薄く開き、虚ろな眼差しを男に向けた。


 反射的に男は後ろに飛び下がる。武者にすら恐れたことのなかった己の行動に思考が追いつかず男はうろたえた。でくの棒と化していた仲間に向かい、山刀でせき立てながらわめきたてる。


「てめェらがやれ! 殺セ!」


 それを聞いた他の男たちは歓喜の表情を浮かべ、それぞれが手にした血錆びた得物を振り上げながら修験者に向かって一斉に駆けだした。欲望を解き放つ喜びに酔った者達に修験者の放つ圧を感じ取ることなどできなかった。


「三郎――」


 少女が肩越しにちらりと修験者を見やる。三郎と呼ばれた修験者は左手に錫杖を持ち替えた。凛と高い音が再び鳴り響く。


「やっちゃえ」


 三郎が左腕を無造作に振るう。杖で打ちつけることを目的とした動作ではなく、本当にただ左から右へと薙いだだけの動きである。


 轟と風が鳴るのと共に土煙が巻き起こり、男の視界が遮られる。それは三郎に踊りかかろうとしていた者達の足下で突如として巻き起こった突風によるものだった。


 両腕で顔を覆った男の体に、生温かい血が雨のように降り注ぐ。次いでどさどさと地面を鳴らしたものは無数の肉片と化した男の仲間たちだった。


 男は体中にへばりついた肉片や臓物を振り払い、土煙が舞い上がった場所を振り向いた。突風によってえぐり取られた地面の向こうで、左手をつきだした姿勢で三郎が佇んでいる。側で座り込んでいた少女はなにやらぶつくさと呟きながら頭や肩の土ぼこりを手で払っていた。


 男は三郎の左手を見て驚愕に目を剥いた。三郎の袖口から伸びる左腕は烏をおもわせる黒い羽毛が生えそろい、角質に覆われた手には錫杖ではなく漆黒の羽団扇が握られていた。それがぐにゃりと形を変え、見る間に元の錫杖へと変異したのである。


「主ャなんじゃァ、妖ノ類か!?」


 それを聞いた少女がぷっと吹き出し、口元に手を当てた。


「三郎を化け物呼ばわりするのはいいけどさ、おじさん自分の顔見たことある?」


 少女が男に向けた人差し指をくるくると回す。

 男の額からは一対の不揃いな角が皮膚を突き破って伸び、突き出した下顎から伸びた牙が口内に収まりきらずに剥き出しとなっていた。身の丈も七尺を軽く越えている。先ほど浴びた血にまみれ、総身を赤く染めたその姿は絵巻物などにある鬼そのものと言っていい。男は自らの名だけでなく、姿形すら失っていたのだ。


「教えてあげようか? 鬼か何かだと思ってるおじさんの憑神の正体ね、ただの山犬かなにかだよ」

「ナ、何を言ウか? ワレは――」

「おじさん強い力がほしいと思ってたでしょ? そこにつけこまれたの。そして取って代わられた。ただの低俗な獣の魂に」

「黙レ! ワレヲ愚弄スルカ、小娘ガ!!」


 男の絶叫が木々の枝を揺らす。その声色は更に濁とした響きを孕み、既に獣の唸りと化していた。


「その証拠に、もう思い出せないでしょ? 昔のことも、自分の名前も――」


 激昂した男は山刀を振り上げる。だが三郎の姿が消えている事に気づき、首を巡らせた。鳥が羽ばたくような音が聞こえ、見上げた男の視線の先に三郎がいた。振りかぶった錫杖は再び形を変え、巨大な長柄斧と化す。


「断ち割れ――無限杖」 


 低く陰鬱だが、力強く通る声が細い唇から紡がれた。反射的に目の前にかざした山刀が断ち割られる感触を最後に、男の意識は闇へと沈んだ。



 三郎が長柄斧を錫杖へと戻すのを見届け、少女――眞白ましろは立ち上がってから大きく伸びをした。歳はまだ十四になるかならぬかだが、あどけなさの抜けない瞳には聡明な光を宿している。


「んー、終わったぁ。三郎、そいつやっぱり成り損ない?」


 三郎は今しがた両断した男に左手をかざす。死体から黒いもやのようなもの――瘴気が立ちのぼり、三郎の左腕に吸い込まれていく。成り損ないとはいましがたの男のように、魔物に取り込まれた者たちを指す。


 無口なパートナーの態度に、眞白はいつもの事ながらため息をついた。


「――まぁいいや。じゃ、あとはよろしく」


 眞白は懐から麻布を取り出し、焚き火の側でかがみ込む。すでに火は消えており、三郎が起こした突風に巻き上げられた砂ぼこりが鉄鍋のふたの上に積もっている。眞白は麻布でふたを掴み、砂が鍋に入らないようそっと持ち上げた。


 雑穀混じりの米と少量の野草を煮た雑炊がうまそうな湯気を立てている。眞白は背負子のつづらから朱塗りの椀を取り出し、竹杓で取り分ける。雑炊に息を吹きかけて冷ましながら三郎にちらりと視線を向けた。


「欲しい? ちょっとだけあげよっか?」


 三郎は眞白を振り返りもせず、黙々と散らばった死体から瘴気を吸い集めていた。最初からあげる気など毛頭ないが、眞白は三郎に向けてべっと舌を出して食べることに専念する。ろくな味付けもしていないが、人間らしい食事をとれる機会はそうそうない。眞白は自分の猫舌も忘れて一息に雑炊をかき込んだ。


「ご馳走様でしたっと。私のご飯のためにも、野盗くずれや成りそこないもたまには出てきてもらわないとね」


 かわいらしい笑顔でえげつないことをさらりと言い放つと、空になった鉄鍋や椀を用意しておいた枯れ草の束で軽く拭き取り、つづらへと戻した。


 三郎に目を向けると死体をあらかた茂みの向こうへと捨て終わった所だった。三郎が火の消えた薪を組み直し、錫杖を軽く押し当てる。ただそれだけでたちまち小さな火が灯る。


 それらを終えた三郎は錫杖を再び右手に持ち変え、異形の左腕を袖の中に戻した。そのまま錫杖を地面につき、瞑目してその場に立ち尽くす。


 しばらく炎が照らし出す三郎の姿を見つめていた眞白はやがて小さなあくびを一つして、背負子にくくりつけていたむしろを地面にしいて横になった。


「おやすみ、三郎――」


 三郎はなにも答えない。火の粉が爆ぜる音と木々の枝を揺らす風の音に耳を傾けながら、眞白はそっと目を閉じた。





 「ねぇ、こんだけ? おじさんたちあの野盗どもにすっごい手を焼いてたんでしょ? これじゃ約束した量の半分にもならないよ」


 眞白は眉間に小さなしわをよせ、手にした麻袋を振りながらがなり立てる。恰幅のいい庄屋の男はたじろぎながらも首を横に振った。


「そうは言うが、それでも村の貴重な蓄えからひねりだしたもんだ。これ以上は出せねぇ」

「嘘ばっかり。おじさん離れの床下に米俵たくさん隠してるじゃない。あれって地頭に納める税からこっそりちょろまかした分でしょ?」


 眞白が母屋の後ろを指さして言うと、庄屋は顔を青くした。


「なんでって聞きたそうだけど私にはわかるの! これ以上渋ると村の真ん中で言いふらすからね!」

「わ、わかった! だからあんまり騒ぐでねぇ!」


 庄屋は身を翻して母屋に走り、すぐに同じ袋をもう一つ持って現れた。


「いくら何でもこれ以上はやれねぇからな。もういいからとっとと出てってくれ!」


 眞白は男から袋を受け取って中身を確かめると、さっさとその場を後にした。


「三郎、行こ」


 庄屋の家の門を背にして佇んでいる三郎に声をかけ、足早に門をくぐる。ゆっくりと壁から背を離した三郎の錫杖がチリンと鈴のような音を奏でた。


「村を救った恩人に出ていけとかいう? このお米だって雑穀で水増ししてるし、とんだ安請け合いしちゃった」


 眞白が手に持った袋を振りながら唇を尖らせる。三郎はそれをちらりと一瞥しただけで相槌すら打たない。


 村の中央に差し掛かったところで、眞白は自分たちに向けられた視線に気づいてあたりを見渡す。真っ昼間だというのに人の姿はない。だが薄暗い家屋の中にはいくつもの気配が感じられる。いうまでもなく恐れているのだ。三郎と、それを引き連れた自分のことを。


 眞白の白い旅装束は長旅のせいであちこちほつれ、黒ずんでいる。手甲も足袋もボロボロだ。それに引き替え三郎の衣服は引き裂かれたような左袖以外は汚れすらなく、脚半も草鞋も仕立てたばかりのように真新しい。顔立ちの美しさや肌の青白さもかえって三郎が持つ不気味な雰囲気をいや増していた。誰であれ一目で定命の者ではないと知れるだろう。


「ま、穢憑きだしね。慣れてるけどさ――」


 眞白はため息混じりにつぶやき、再び歩き出す。


 村の出口に簡素な物見台が組まれ、吊り橋が村全体を囲んだ堀の向こう側へと架けられている。まるで砦のような造りだが、今はこれくらいの防壁がなければ野盗や穢神から身を守れない。


 橋に近づいた眞白は小さな人影が橋のたもとに座り込んでいることに気づいた。向こうも眞白に気づいたらしく、立ち上がって小走りで駆け寄ってくる。


「お姉ちゃんすごいね! あいつらやっつけたんだね」


 粗末な麻の着物を着た、眞白よりもずっと小さな女の子だった。顔は泥だらけで黒ずんでいるが、目はきらきらと輝いている。十歳かそこらだろう。


「まーね。ところであんたは?」

「あたしのお父さんとお兄ちゃんあいつらに殺されちゃったの。あいつらが村にきたとき畑仕事に出てたから」


 眞白は堀の対岸へと目を向けた。一部の者をのぞき、田や畑は村の外側にある家が多いのだろう。少女の身なりをみる限り、彼女の家族もまた例に漏れずといったところか。

 哀れだとは思うがこんな時代だ。眞白はさして気にも留めなかった。


「そう、残念だったね。まぁあんまり気を落とさ――」

「でもお姉ちゃんが無事でよかった。お姉ちゃんあんまり強そうに見えないのに、あんな怖そうな人たちやっつけるなんて危ないもん」

「は? なに言ってんの。あんた家族が奴らに殺されたんでしょ? だったら仇をとってほしいとか思うのが普通じゃない」

「でもお父さんたちが生き返る訳じゃないもん。それよりお姉ちゃんが戻ってきてくれてよかった」

「よかった、じゃあないでしょ。あんた一人になったんだよ? 私のことより自分のこれからを心配しなよ」

「あ、そうか。そうだよね、えへへ」


 はにかんだ笑顔を見せる少女を見て、眞白は呆れて言葉を失った。頭が悪いのか、それとも幼すぎる故か。この分だとこれから先もろくな目には合わないだろう。

 眞白がそんなことを考えていると、少女があかぎれだらけの手を差し出してきた。


「これあげる。お兄ちゃんがくれた私の宝物」


 少女の掌に乗っていたのは綺麗に磨かれた小さな首飾りだった。鏃のような形をした黒い石。眞白はそれを見て目を見開く。三郎ですら伏せていた目を開き、視線を落とした。


「あんた、これどうしたの!?」

 眞白が首飾りをひったくるようにして取り上げると、少女は首をかしげながら言った。


「少し前にお兄ちゃんがどこかで拾ってきたの。綺麗だからって首飾りにしてくれたんだよ」


 眞白は首飾りに使われている石に目を凝らす。黒曜石に似たその石は怪しげな暗い輝きを内包していた。間違いない――純粋な瘴気が結晶化した黒妖石、または紫瘴石とも呼ばれる石だ。


「あんたこれがなにかわかってる?」


 眞白が尋ねると少女は首を横に振った。知らないのも無理はない。そもそも眞白ですら見たことは数える程しかないのだ。


「なにか悪いものなの?」


 少女が不安そうに眞白を見上げる。

 眞白はどう答えるべきか一瞬迷ったが、大きなため息をついて首を横に振った。


「んーん。綺麗な石だし珍しいなって思っただけ。ありがと」


 そういってから持っていた袋の片方を少女に押しつけるように突き出した。突然差し出されたその袋を両手で受け止め、少女はきょとんと首を傾げる。


「私は理由もなく人から物をもらったりしないの。だから交換」


 少女は袋の口から中をのぞき込み、すぐに戸惑ったような顔を向けてくる。


「でもこれお姉ちゃんのごはんでしょ? もらっちゃったらお姉ちゃんが――」

「子供のくせに私の心配なんて十年早い。じゃ、元気でね」


 眞白は少女に背を向け、ひらひらと手を振った。

 堀に架けられた橋を渡りきってから振り向くと少女が小さな背をいっぱいに伸ばして手を振っていた。


「安請け合いって思ったけど、とんでもない物手に入ったね」


 山道に差し掛かったあたりで後ろを歩く三郎を振り向く。相変わらずの仏頂面だが、視線は眞白が手にしている首飾りに注がれている。


 黒妖石は本来穢神が体内に宿しているもので、その希少価値は非常に高い。然るべき筋に売り渡せば都に家の一軒も建つだろう。


 もっとも、普通の人間にとっては全く意味のないものでもある。それどころか純粋な魔力の塊ともいえるこの石は穢神や成り損ないを呼び寄せてしまうため、疫病神といって過言はない。内に込められた魔力が活性化したならばこの石自体が穢神と化すことすらありうるのだ。


「知らないほうがいいよね。もしかしたらこの石が連中を呼び寄せて、自分の家族が死んだかもしれないなんて」


 三郎は何も答えない。眞白が首飾りを顔の高さまで持ち上げると、日の光を受けた黒妖石が怪しげに輝く。


「あの娘、これから大丈夫かな――」


 眞白は誰にいうともなく呟いた。ありがとう――そんな言葉をかけられたのは一体いつ以来だっただろうか?


 眞白が三郎をちらりと振り返ると、三郎は答える代わりに錫杖をシャンと鳴らした。


「――人の心配してられる身分じゃないか。あたしだってどうなるかわかんないしね」


 事も無げにいうと、眞白は前を向いて首飾りを懐にしまった。日が暮れる前に距離を稼ごう――そう考え少しだけ歩みを早める。


 他人の心配など無用なことだ。何故ならこの世界で明日が保証されているものなど誰一人としていないのだから。


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