~ 8 ~
静かな山中にレイヴァンの深いため息が響く。
「つまりマリアンが、俺のことを名前で呼べば俺が喜ぶと言ったんだな?」
「そうです! だからリルはご主人様に喜んでもらいたくて名前で呼ぶです! 解ってくれたですか?」
「理解した。 十分に理解したから答えるが、それは認められないな」
「な、何でですか!? 嬉しくないですか?」
「そうだな。 正直に言ってしまえば、何と呼ばれようが嬉しくも悲しくもない。 だが今更お前から名前で呼ばれると違和感があって、どうも調子が狂う。 だから認められない」
「そんな……」
がっくりと肩を落としたリルは主人に背を向け「リル、マリーさんに嘘を教えられたです」と呟きながら重い足取りで洞穴へと向かい始める。
うなだれる彼女の背中にレイヴァンは慌てて声をかけた。
最後の一言を聞いて、このまま帰してしまえば明朝からマリアンを巻き込んで面倒な口論が起こることは容易に想像ができた。
ただでさえ今は彼女と気まずい雰囲気なのだ。
余計な厄介事は避けねばならない。
「何ですか、ご主人様」
振り返るリルにレイヴァンは「言い直そう」と切り出した。
「マリアンの言うとおり名前で呼ばれれば嬉しく思うかもしれない。 だから俺のことを名前で呼んでくれて構わない。 だが、お前は本当にそれで良いのか?」
首を傾げるリルに向かって彼は続ける。
「解っていないから言い出したのだろうが、俺を主人と呼べるのは広い世の中で唯一お前だけだ。 それを自ら止めると言うのか?」
「……リルだけ、ですか?」
「そうだ。 ブライトやマリアン、フィーネだって俺のことは名前で呼んでいるだろう?」
「確かにです」
「だが、お前だけは特別な呼び方で俺を呼べるわけだ」
「特別……」
「しかし、それも今日までだな。 明日からはお前も皆と同じだ」
「ちょ、ちょっと待って欲しいです! リル、もう少しご主人様を何て呼ぶか考えたいです!」
「そうか…… それなら、ゆっくりと考えれば良いさ。 俺は何と呼ばれようが構わないからな。 お前の意志に任せる」
「解ったです」