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天井を見つめ物思いに耽っていた黒髪の悪魔メフィストフェレスが徐に「そろそろお暇しようかな」と席を立つと、用意された酒の最後の一杯に手をつけようとしていた銀髪の悪魔ベルゼビュートが手を止め「おや? お帰りかい?」と尋ねた。
「ベルゼさんに言われて思わず考え込んでいたけれど、僕は忙しかったんだ。 だかろ、そろそろ行かないと」
「そうだったね。 引き止める形になってしまって申し訳なかった。 ……ところで、五つの封印について何か違いを思い出したかな?」
「残念だけど何も思い出さなかったよ。 やっぱり僕の勘違いだったみたい」
メフィストフェレスは微笑を浮かべながら答える。
「それは残念だ」
「とりあえず何かわかったら教えてあげるからさ。 ベルゼさんも何か情報を手に入れたら、また遣いを寄越してよ」
「良いとも」
ベルゼビュートも不敵な笑みを返した。
「それじゃこの辺で」
淡々とした会話を済ませるとメフィストフェレスは背中に意識を集中させ黒羽根の翼を広げる。
その様子を見たベルゼビュートは「ウコバク、お客様がお帰りだ。 其処の窓を開けて差し上げて」と従者悪魔に指示を出した。
「ま、窓でございますか?」
突拍子もない指示にウコバクが戸惑っていると、主人は「さあ早く」と急かす。
「……かしこまりました」
主人の言葉は絶対であり逆らうことは許されない。
許されないが、疑問を抱いていけない訳ではない。
客人が帰るのに際し、どうして入り口の扉では無く部屋の奥にある窓を開けるのか。
首を傾げながらもウコバクは指示に従った。
そして「これで宜しいでしょうか?」と部屋の中央に座す主人に向かって振り返る。
すると目前には主人ではなく客人の姿があった。
驚きの声を上げたり目前にいる理由を尋ねる間もなくウコバクは顔面を踏みつけられた。
床に崩れ、呻いている間に踏んだ相手は軽やかに窓の格子へと足をかける。
「鼻垂れ君、なかなかの踏み台っぷりだったよ。 君は良い踏み台になれる」
「お、恐れ入ります……。 まさか、この窓からお帰りになるとは思いもしませんで……」
「じゃあ、そう言うことで。 さようなら、ベルゼさん!」
返事も聞かず静寂の続く白銀の世界に飛び出したメフィストフェレスは大きな羽根を羽ばたかせ、あっという間に二人の前から去って行った。
彼の姿が見えなくなると、ベルゼビュートは鼻を摩る従者に対して次の指示を出す。
「ウコバク君、鼻が痛いところ悪いけれど、偵察に向いた悪魔を数名集めて彼の行動を見張らせてくれるかな? それから、将軍たちには目星をつけた人間を速やかに殺すよう伝えて。 時間は無さそうだから、早急にね」
「それは、どのような……」
「彼は間違いなく嘘をついているって事さ。 五人の人間の王族を殺したようだけど、その内の最低一人は殺した確証が無さそうだ。 だから封印を完全に解き放った自信もない。 彼の表情から見て取れたよ。 それに、封印を解いたとしても我らが王を素直に蘇らせるつもりもなさそうだし…… いろいろと面倒なことになってきたね。 これからは忙しくなるよ」
主人の口調は柔らかいものの眼光は鋭く、これは一大事だと察したウコバクは深々と頭を下げ「かしこまりました」と答えた。




