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視線を前方へと戻したレイヴァンは周辺の様子にちょっとした変化が起き始めていることに気がついた。
進路方向が微かに霞んできているのだ。
この天候で、この時間帯に霧が発生するのは明らかに異様。
悪魔の襲来かと訝しんでいると、先を行くリルが何故か鼻をつまみながら「何か急に臭ってきたです。 くっさいです!」と声を上げており、それに同意して隣を歩くマリアンとブライトが「確かに」と頷いている。
「……もしかして、ブライトがオナラしたですか!?」
「何でそうなんだよ!」
「だとしたら、まさかまさかのマリーさんが!?」
「絶対にありえません!」
「なんと! マリーさんでもないということは…… 前を行くノアから臭いが流れてきたのでしょうか?」
リルが先頭を行く少年を見つめると、怪訝な目で見られた彼は大きく首を横に振って答えた。
「ち、違いますよ! 断じて僕ではありません! これは精霊の泉が近づいてきた証拠と言いますか、精霊の泉の臭いなんです」
「精霊さんがオナラしたですか?」
「オナラではありませんが、この近くにある精霊の泉は硫黄泉とも言いまして、少しばかり独特な臭いがあるのです」
「少しどころかリルにはオナラか卵の腐った臭いにしか思えないです」
「そうですね。 実際その臭いに近いと思います」
「ノアは何でこんな臭い所を目指しているですか?」
「泉を目指しているのは僕ではなく妹のリノたちです」
ノアが視線を最後尾に向けると、そこにいた三人娘の中で一番最初に話を振られたと察した青髪の少女リノが「あなたたちって本当に無知なのね」と言葉を漏らした。
第一声から嫌味が含まれていたが、リルはそんなことは露知らず素直に「知らんです」と即答すると、彼女は「仕方がないから教えてあげる」と綺麗に結った髪を手でなびかせてから続ける。
「精霊の泉で湯浴みをすれば立ち所に疲労から回復し身体の痛みが取り除かれるばかりか、打撲や切り傷といった外傷の治癒も早まるし、健康状態の維持や美容効果といった恩恵も授かることができるのよ」
「な、なんですか、そのお金を気にせず精霊道具を大盤振る舞いで使用したかのような効力の数々は! 精霊の泉、怒るべしです!」
「それに加えて、この地方の精霊の泉には、もっとすごい効力があって」
「……あって?」
意気揚々と話していた相手が急に口を閉ざしたので、リルが不思議そうに首を傾げて続きを促すと、尋ねられたリノは何故か突然立腹した様子で「それは、別にあなたには関係のないことよ!」と顔を背けた。
「何で急に怒り出すですか! もしかして、お腹が空いてきたですか?」
「違うわよ!」
リノが不貞腐れていると、隣にいたアーシェが笑いながらリルを手招いた。
そして、近づいた彼女に向かって静かに耳打ちをする。
口元を両手で隠されたので読唇も出来ず話の内容は分からなかったが、耳を傾けるリルの目が見る見る輝いていくので、悪い話ではないのであろう。
聞き終えた彼女は「そういうことでしたら臭くても精霊の泉には行く価値があるです!」と意気込み、続けて「ご主人様、リルは早く村に着きたいです。 皆で駆け足するです!」と言い出した。
普段ならこの時間帯に不平不満を言い出す彼女がここまでの意欲を見せるとは、いったい何を吹き込まれたのか妙に興味が湧いてくる。
それを問うことは容易だが、その前に悪魔の出る山林で、しかも大勢での行動で足並みが揃わなくなる走るという行為は以ての外だったので、提案に対して即「却下だ」と答えた。




