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【これがお嫁さまのしきたりです。】

これが手にした幸せです。

作者: 朝野とき

流血とは違う気もしますが、血という言葉が出てきますので、苦手な方はご注意ください。

「これがお嫁さまのしきたりです。」のさなえ視点の軽快さはありません。後日編ではなく、あくまで婚儀の後の初夜の炎鳳の感じた世界で、武骨で生臭い感じです。

仮性の三人称ですが、男性視点が苦手な方、ご注意ください。


 



 明かりのない、闇が広がる寝所の床。

さなえは、かすかなこぼれるような吐息をひとつした。

 

 ――……そして、返事をしなくなった。

 


 炎鳳は、さなえを焦ったように抱きよせた。


「さ、さなえ!?」


 さなえの願いにより明かりを落とした部屋は暗く、そのせいで彼女の顔色も身体も見えない。

 炎鳳(えんほう)の鍛えられた腕にはさなえの身体の重さは、妙に軽すぎて、そしてよりかかる肢体はしなやかすぎて、炎鳳は一瞬腹の底から恐怖を感じた。

 すぐさま小さなさなえを腕に囲い、その柔らかな裸の胸に耳を当てた。

 


 トクトクトクトク――……



 規則正しい、心の臓の音。

 指でさぐると触れる小さな唇からは、安らかな息。


「……気をやったのか……」


 大鬼、大熊、暴れ獅子……敵からだけでなく味方からさえもそう評される、泣く子も黙る晶国(しょうこく)の将軍炎鳳は、今日婚儀をあげたばかりの新妻が無事だったことに、全身を震わせるようにして安堵の息を吐いた。一瞬、おのれの巨体でか細い妻を押し殺してしまったのかと思ったからだった。

 

 左腕でさなえを抱きかかえたまま、右腕を伸ばして寝床の枕元をさぐり、種火を残した小さな炉から蝋燭に火をともした。ほんのりと寝所があかるくなる。

 つけたばかりの蝋燭の火は安定せず、ジジッと音をたてながら揺れ、炎鳳の大きな身体の影が寝所の壁にゆれる。

 

 炎鳳は片手で床に散る肌着をたぐりよせ、それでさなえをつつみこむようにしてから抱きなおした。

 細心の注意が払われた動きにより、さなえは目を覚ますことなくただ炎鳳の胸に微かな規則ただしい寝息をたてながらそっと身体をあずけている。

 それを見て炎鳳のいつもは堅く結ばれた唇が、少しゆるやかな弧を描きかけた――……その瞬間。

 太い幹のように発達した炎鳳の腕が、ビクリっと大きく揺れ、口元がぐっと引き結ばれた。

 

 炎鳳の黒の双眸は、さなえの太ももを凝視していた。

 もともと三白眼で厳めしい目つきの炎鳳だが、今はすべてを焼き払いつくすかのような強く険しい眼光。


 炎鳳の視線の先にある、蝋燭の淡い光に照らされたさなえの白き太もも。

 いましがた炎鳳がかけた白い衣のあいまから見える、その柔肌……だが炎鳳が見つめる先はその柔肌にそって幾筋か流れる……赤い血だった。


 炎鳳はぐっとさなえを抱える腕に力をこめた。さなえには負担がかからないように、自らを戒めるように。

 炎鳳は視線をずらし、さなえの身体の下に血の溜まりがないか確認する。いくつか散る赤い花。

 だがそれはもう広がっておらず、血は止まっているようだった。炎鳳はそのことに、また安堵の息をもらした。


 炎鳳は婚儀の前に赤龍家に長く仕える老医師から聞いた話を思い出す。

 日本……異世界とさなえは言っていたが……炎鳳には想像もつかない、この晶国と大地が続いていない遠き遠き国より、さなえは来たという。

 さなえは婚儀をあげるにあたり、その遠き国より来た自らの身体が……この国の外見だけでなく体内も女性と同じかどうか、また男女で身体を交えることができるのか、またその方法は同じであるのかを調べるように、自分自身から医師に頼んだらしい。


 ――……そんな調べがなぜ必要だったのか。

 

 最初、炎鳳は驚いた。しかも、さなえが自分には話さずに、長老の域ではあるがれっきとした「男」である医師にそれを相談したと知って、胸の中にどうしようもなく苦いものが走っていくのを留められなかった。

 だが、よくよく話を聞いてみると医師を通してさなえは産婆も呼んだとのこと。妊娠や出産についてもいろいろとたずねていたという。

 つまり……おそらくいずれ子を為すことを考えての相談。

 そう思うと、身よりがないまま遠き国から一糸まとわぬ頼りない姿でここに現れたさなえの「婚儀への覚悟」を感じて、炎鳳は背筋が伸びる思いがした。

 

 そしてそのとき伝えられた、もう一つのこと。

 産婆によって内診をうけたところによると、さなえは……男性の身体を知らないということ。

 炎鳳はそれを聞いたとき、そうか……としか、正直思わなかった。


 ――……今のいままで、そのことの重みを思わなかったのだ。


 炎鳳はそっとさなえにかけていた衣をなおした。

 


 炎鳳にとって赤き血の色は、馴染みの色だ。

 戦場を駆け抜けてきた日々、鮮やかな赤も濁り固まった赤もその生臭さと共に見つめてきた。自分が大剣を奮って奪っていく命から目をそらすことは、武人として相手への敬意に欠ける行為だと思ってきた。

 自らの血も、敵の血も武人として逃げてはならぬ道だった。


 だが、今、さなえの肌にみる血には、さなえに与えた痛みをつきつけられているようで、炎鳳は見つめ続けることができなかった。

 もちろん、出来うる限り彼女の身体をほぐし、ひとつになるための手順を踏みはした。

 さなえも怖れながらも微笑んで、「大丈夫」と言ってくれたから、踏み込んだのだ――……決して一方的ではなかったと思う。


 だが、炎鳳は知らなかった。

 心から欲しいと思ってきた女が腕の中にいる……この喜びと悦びを――……今のいままで、さなえを腕に抱くまで、知らなかった。


 まさか、自分が我を忘れるほどに溺れるとは。

 ――……いや、さなえだからか。


 

 炎鳳はそこまで思いだして……がしがしと頭をかいた。

 これは考えすぎてまとまらなくなったときの炎鳳の癖だった。

 

 炎鳳はため息を落とすと、節張った手で、そっとさなえの頬を撫でた。

 炎鳳の手でつつめば、さなえの頬どころか頭ごと包めてしまう……こんな小さな身体で。


「――……私を包んでくれたのだな」


 小さく呟いた。

 その低い声が響いたのか、さなえの瞼がふるえた。

 

 ――……起きるだろうか?


 炎鳳はさなえの長く黒いまつげの震えを見つめていたが、その目は開かず、またスースーと安らかな寝息をたてた。


 炎鳳は良く眠っているさなえをたしかめてから、血をぬぐってやるためにいったんさなえを床に寝かそうと腕をうごかした。


「ん……んぅ」


 さなえが小さくうなる。

 炎鳳は腕にさなえをのせたまま、身体の動きを止めた。

 止めてしばらくすると、また落ちついた寝息。


 しばらく床の上でさなえを腕にのせたまま固まっていた炎鳳だったが、さなえは目覚めないようだったので、もう一度床に寝かせようとした――…。


「うぅ……ん」


 再び、炎鳳は身体の動きを止めた。

 さなえは瞼を震わせたが、その後、炎鳳の腕を抱きこむようにしてうつ伏せになってしまった。

 炎鳳は床でさなえに左腕を抱え込まれてしまい、しゃがみこんだまま動けない。

 だが、ぎゅっと自分の腕を抱え込みスースーと安らかな寝息をたてているさなえを起こすのはしのびなく、炎鳳はそのままさなえに左腕を預け、半ばかぶさるようにしゃがんだまま、膝をついていた。


 炎鳳の視線のしたには、蝋燭のあかりに照らされ光を跳ね返す黒い髪がさらさらと床布に広がっている。

 ほのかに露天風呂で使った石けんの甘い香りが鼻をくすぐった。

 炎鳳はその髪をまた指で梳きたいと思ったが、身動きするとさなえが目覚めてしまいそうで、ただじっと黒の髪に蝋燭の明かりがゆらゆらとゆれて照り返すのを見ていた。

 

 しばらくそうしていただろうか――……。

 うつ伏せになっていたさなえが、「ん……」と寝言を言いながら、寝返りを打った。

 抱きこまれていた腕が解放されて、ひんやりとした空気が左腕を包んだ。

 しゃがみこんだ炎鳳の体躯の下の隙間でころんと寝返って仰向けになったさなえが、寝息のあいま、


「…ん…ぅ」


と、何か呟くように言った。

 炎鳳は吸い込まれるように、その唇に自分の耳を近づけた。

 腕のなかで小さな寝息をたてている女のつぶやくことばを、すべて飲みこみたかった。


「え…ん、ほぅ…」


 さなえの唇の向こうで転がされているのは、自分の名であった――…そのことに、炎鳳は胸がつかまれたように苦しくなる。


「……なんだ、さなえ」


 相手は眠っている……それがわかっているのに、答えてしまう。

 険しい三白眼も、頬をわたる傷跡も、岩のようなごつごつした身体付きも――……まるでとろけて夢であるような、誰にも聞かせられない、低く甘く響く声音を、炎鳳はさなえだけに向けて奏でる。

 炎鳳のよびかけに、さなえは目は開けないまま、まるで夢と対話するようにふわふわとたずねてきた。

  

「ん…うで、いたくなぁい?」


 何か夢を見ているのか、さなえの手は何かをさするように空をさまよった。咄嗟に炎鳳はさきほどさなえが抱えこんでいた自分の左手を差し出す。

 傷痕がいくつも重なりあい、皮膚が盛り上がっている部分もあるような醜い不節ばった太い幹のような腕に、さなえの柔らかな白く細い指がたどり着く。

 するとさなえの頬に微笑みが浮かんだ。

 小さな指先が炎鳳の腕をさするように往復する。

 まるで小動物が腕を歩いているようなさわさわとした感触に、炎鳳はなんともいえない気持ちになって、さなえを見つめていた。


 すると何度かさすった後、さなえは安心したような笑みを浮かべた。


「えんほぅ…よかった。傷、ふさがったね。も、痛くないね」


「!」


 さなえはそのまま、すやすやとまた深い眠りの中にまた落ちていった。

 

 炎鳳はさなえの頬をそっとなでた。

 さなえが確認したのは、婚儀の前に国境付近であった小競り合いの鎮圧に行ったときに出来た刺し傷だ。

 白い包帯を巻いて、婚儀のために帰宅した将軍炎鳳を、さなえはとても心配していた。

 たった左腕の剣の傷。しかもこれは、敵の心に隙を与えるためにわざと刺されてやった傷だった。炎鳳にとっては、痛みのうちにならないほどの軽傷。

 

 もちろん婚儀までには傷はふさがった。

 ふさがることはわかっていた。そうでなければわざと刺されてやるわけがない。

 夫婦の露天風呂の湯を汚すわけにはいかない。


 だが、さなえはそんな傷を覚えていて――……夢の中でさえ、いたわってくれるのだ。

 さなえの方こそ……慣れないしきたりだらけの婚儀、緊張しつつ入った露天風呂、そして初めての閨で……血を流し痛んだろうに。

 我慢して、吐息で痛みを隠して、私にしがみついて……最後、意識を失うくらいにつらかったというのに。


 炎鳳はしゃがみこむ自分の身体の下ですやすやと寝息をたてる、ちいさな命を、心から尊いと思った。

 

 ――どうか、神よ。この大地を守り給いし神よ。この平安と慈しみに満ちた命を……どうか守り給え。


 炎鳳は自分の手が血に汚れていることを知っている。

 そして、命にも限界があることを知っている。

 おのれの力の最善を尽くしても、さなえを守ると全身で誓っても。

 どうしようもない何かが命を取り去り、奪っていく悲劇がこの世には満ち溢れていることを知っている。


 だからこそ。

 祈った。心から、この尊い命に祈りをささげた。

 腕の中に幸せが生きている――その奇跡を感謝した。




*****************



 ノックの音がする前に――侍女頭の気配が扉の向こうにした時に、炎鳳は覚醒した。


 次いでノックの音とともに侍女頭の声がする。

「失礼いたします。床布の取り換えにまいりました」 

 隣でごそごそとさなえが起きだし、

「炎鳳さまはまだおやすみで……」

 と答えている。


 それを遮るように炎鳳は、

「いや、起きているぞ。交換をたのむ」

と伝えた。


 さなえは知らないが、炎鳳は人がいるところで完全に眠ることはない。

 身体の疲労をとるために横になり意識を下げはするが、常に何か張りつめたものを残している。それが炎鳳の将軍としての在り方で、だからこそどんな戦場でも先陣をきっていき、王を迎えるための道を作ることができたのだ。

 

 だが、今は唯一、さなえの横でだけは熟睡することができるのだった。


 昨夜、眠っているさなえの足の血をぬぐって、肌着で包んだあと、寄りそっているうちに眠りに落ちた炎鳳だったが、さなえ以外の気配が近づいた途端、すぐに覚醒してしまったようだった。

 

 初夜の明けの乱れた床に人が現れることを恥じているのか、さなえはうつむきかげんで所在なげにしている。炎鳳はさなえを抱きあげて、胸にさなえがもたれかかれるように、腕の高さを意識しながら座った。

 炎鳳には、腕の中でさなえがすくんでいるのがわかる。

 何かさなえがホッとできるようにと、炎鳳はかけるべき言葉を考えてみる。しかし床布の交換はすぐに終わってしまい、侍女頭は手際よく茶器のセットを運んできてしまったのだった。

 侍女頭はもとは炎鳳の母親付きであり、長年赤龍家に仕えてきた者だ。

 炎鳳も厳しくしつけられ、そして助けられた存在だった。

 

 侍女頭は、そっと炎鳳の腕のなかで縮こまってしまっているさなえに、


「さなえ様、お顔をあげてくださいませ」


 と声をかけた。 

 のろのろと顔をあげたさなえに、侍女頭は


「ご婚礼おめでとうございます」


と挨拶する。

 その穏やかな声音から、炎鳳はこの年老いた侍女頭がさなえを大事に思っていることを感じ取った。

 そして、侍女頭の淹れたお茶が、さなえに差し出された。


「初夜の明けは、旦那様からではなく奥方様からお飲みになってよいのでございます」 


 腕の中でさなえは小さく「あ……」と呟く。


「痛みを和らげる香りのお茶です。どうぞ」


「……ありがとう」


 腕の中に囲うさなえの硬くなっていた身体から、ふっと力が抜けるのを、炎鳳は感じ取った。

 ふぅ……とお茶を飲むさなえの頭越しに、炎鳳は侍女頭と視線を交わした。

 侍女頭のいつもすっとした静かな目線が、今日は深くしっとりと喜びに満ちた穏やかさを持っていた。


 退室する侍女にふたたび「ありがとう」と声をかけたさなえに、侍女頭は、

「代々、これが赤龍家のお嫁さまのしきたりでございます……。御身を大切になさってくださいませ」

と一礼していく。


 そのシャンと伸びた背中を見ていると、自分が幼きころに、

「これが赤龍家のしきたりです」

と言って、さまざま作法を厳しく教えてくれた姿を炎鳳は思いだした。

 誰よりもお嫁さま――女主人が来てくれることを待っていた侍女頭であろうに、一度も炎鳳に嫁取りを催促したことがなかったということも同時に思いだす。


 ちょうどその時、さなえが呟いた。


「私……結婚したんだね」


 炎鳳はそのことばに一瞬目をつむる。

 頭にかすめる……白き腿と床布に散った赤い花々。

 ――……たしかに炎鳳は、このさなえの命を受け取った。

 

「そうだ、我が妻となったのだ」


 目を開いて炎鳳が腕の中のさなえにそう囁くと、さなえは嬉しそうに目を細めた。

 そして微笑みながら――……小さく平和なあくびをしたのだった。



 

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