恋は本屋で始まった
大学を卒業してから特技もない自分は不況で就職できずに派遣をやって2年になる。
実家から通える範囲の仕事場にしているためにどこで仕事しようとも、仕事帰りに帰宅途中で乗り換えで降りた駅にある大きな本屋さんに寄り道をするのが、働き出してからの変わらない日課だったりする。
今日も疲れた身体に最後の活を入れて本屋さんに足を運んだ。
「面白そうなのあるかな?」
ふらふらと小説コーナーを歩いていると、一人の男性の姿が目に飛び込んできた。
――また、あの人だ。
ここ一か月の間に同じ時間に週二回ほど見かける。
スーツの似合ういかにも仕事ができるって雰囲気の背の高い男性。
派遣先は女性の多い職場ばかりなので若い男性の姿は会社では見ない。
大学は共学だったけど、文学部で女子の比率が高くて地味な自分に声をかけるような男性はいなかった。
そのため、社会人になっても合コンなどに誘いもされずのほほんと過ごしている。
恋人を作りたいという欲求もないし現状に甘んじて恋愛小説なんかで素敵な男性を妄想するのが楽しかったりする。
普段からそんな状態だから、現実に素敵な男性に出会うことはない。
そんな自分が10人中7人の女性が素敵だと認めそうな男性に最初に気付いたのは、背中合わせに接触したときのことだ。
「大丈夫ですか?」
やけに色気と存在感のある人だから頷くだけで手一杯。
ばくばくする心臓と赤くなっている顔の熱を抑えようと必死になった。
慌てて本屋から帰宅するしかなかった。
それからたまに見かけるようになる。
スーツの似合う男性は目の保養にとても良かった。
付き合いたいとかは全く思わなかった。妄想はしても現実的に考えると自分と付き合うはずがない人だ。
憧れで十分だった。
仕事ができる雰囲気通りに、男性が購入する本はビジネス書で自分は小説とジャンルは違うけど本屋の配置で近いために見掛けた。
遠過ぎず近過ぎずのほどよい距離感が自分にはちょうど良い。
その男性が珍しくも小説コーナーにいるから驚いた。
至近距離で男性の顔を見れるわけもなく、慌てて男性のいる棚から一つずれた棚の本を手に取りに歩いた。
たまたま探してる小説はその棚にあるはず。
「うーん、まだか」
近日発売予定の小説が入荷したんじゃないかと探したのに見つからない。
発売日っていつになった?
壁に貼られた新刊発売予定表で探した本と他にも気になった本の発売日を確認していた。
集中すると周りの様子が一切気にならない特技を使って表を確認していれば、突然耳触りの良い男性の声がした。
「すみません」
「うわっ」
思わずびっくりして声が出てしまって恥ずかしい。
慌てて横を見ればスーツの男性がいる。
あのスーツの男性だ。
「……ちょっといいかな?」
彼が指先で示した先は検索機があった。
塞ぐ形で発売表を確認していたのが分かってすぐに自分の身体を横にずらした。
「ご、ごめんなさい」
「いや。こちらこそ申し訳ない」
思わずみとれそうになった。
なに、この素敵な笑顔。
本当に目の保養にはもってこいだ。
でも恥ずかしいから早く立ち去りたい。
慌てて軽くお辞儀してその場から離れようとした。
「たまにここ利用してるよね?」
「は、はい」
「小説が好きなのかな?」
「ええ、まあ」
突然話しかけられて反射的に答えた。
笑顔のまま男性は言葉を紡ぐ。
「ぼくも最近このお店を利用するようになったんだけど、以前に少し話したの覚えてくれている?」
「……ぶつかったときの?」
「あ、覚えててくれたんだ。良かった! あれからたまに見かけたんだけど、小説ってどんなの読んでるのかな? 実は年の離れた妹がいてもうすぐ誕生日なんだ。ミステリー小説が好きでプレゼントは小説が良いって言うから探してたんだけど、あまりそういう種類の本は分からなくて……。もしお勧めあれば教えてもらえないかな?」
「お勧めですか? 店員さんに尋ねた方がいいんじゃないですか?」
「君の好きなのを教えてもらいたんだ」
その言葉にドキっとした。
大人の男性との接触になれていない状態でどうしたらこの状況から逃げれるのか分からない。
でも困った人を見捨てるのもできない。
どうにか小説だけ説明してすぐに本屋さんから出れば良いという考えが出てきた。
「……えっと、でも同じ本を持ってたら困りますよね?」
「最近ハマり出したばかりだから有名な小説以外に面白いのなら何でも良いって言ってた」
「んー。日本とか海外とかこだわりはありそうですか?」
二人で小説コーナーにある本棚に進んだ。
男性は一瞬考えてから「日本の作家さんかな」と言った。
「できれば最後に探偵が犯人とか探偵の恋人が死んだとかじゃないのをお願いしたいな」
それからしばらく二人であれこれ話し合いながら5冊ほどの小説を選んだ。
元々ミステリー小説を好きでよく読んでいたので人のためとはいえ選ぶのは楽しかった。
「こんなに長い間つき合わせてしまって悪かったかな」
「いえ。私も楽しかったですし。妹さんが喜んでくれたら良いんですけど……」
人に選ぶことなどした経験がないから本当に喜んでくれるか不安になってきた。
「大丈夫だよ。教えてもらったあらすじ読んでみてもぼく自身興味を持ったし、妹も楽しめると思うよ」
「本当にそうなると安心します」
本を選ぶ内に少しずつこの男性に対する警戒心が薄れてきた。
異性で話を交わして自分よりも年上で緊張したけど、その緊張をほぐそうといろいろ話題を振ってくれているのが分かって印象が更に良くなった。
こんなに気配りできる人の恋人はきっと素敵な女性なんだろうと暢気に思っていると、男性から声をかけられているのに気付くのが遅れた。
「……えっと、今何を?」
「お礼に食事でもどうかな? って言ったんだけど。このあと時間ある?」
その言葉に慌てて腕時計を確認するといつも帰宅するよりも30分は時間が経過していた。
「やばっ! もう帰らないといけないのでこれで失礼します」
軽くお辞儀だけして店から出ようとする自分の腕を彼が掴んだ。
そこから男性の必死な思いが伝わってきた。
「あの?」
「急いでる所悪い。本当にお礼がしたいんだ。今日が無理なら次の機会をくれないか?」
「えっと、私も選ぶの楽しかったので別に……」
腕を掴んだままの男性はしっかりと目を合わせてもう一度口に出す。
「連絡先を教えてくれるかな?」
こんなに自分を真剣に見つめる男性に断ることなど不可能だった。
まさか本屋さんで恋が始まるなんてこのときまで思いもしなかった。
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