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第三話 塵も積もれば山となる

「えぇ!? 新聞部の取材ですかぁ? しかも、これから?」

 晴天の霹靂。二条会長のもたらしたご通達に、ボクたち三人の動きが瞬時に固まった。

「そ。だから、できるだけ協力してあげてね」

 その反応を前にして、会長はどこか楽しげに目を細める。

 人の都合なんてお構いなし。この人は、いっつもこれなんだから!

「そんな急に困ります! どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!」

「そんなこと言われても困るわ……。私だって、申し出を受けたのはついさっきなのよ」

 ボクの抗議に対し、自慢の黒髪を指でクルクル弄びながら、沈んだ表情をうかべる会長。でも、ボクは知ってる。そのしおらしい態度は紛れもなく演技! だからこそ、ここで糾弾の手を緩めるなんて選択肢はありえない。

「それでも、せめてボクたちに確認をとるくらいのことはしてください! なに勝手に引き受けてるんですか! こっちにだって心の準備とかあるんですよ!」

「ごめんなさい。だけど、仕方なかったのよ。どうしてもって頼まれたら、むげに断るわけにもいかないでしょ?」

 会長が、なまめかしく身をくねらせる。言動こそは神妙だけど、その目に宿る妖しい光は明らかに確信犯のそれ!

「しなをつくったって無駄です! そんなんで篭絡なんかされませんから! ゆかりさんも、いずみちゃんも何んとか言ってやってください!」

 ふたりとも、今はお仕事の真っ最中。こんなアポなし取材、さすがにオッケーするはずなんてない。ボクは援護を期待して振り返った。

 だけどそこには、ぽわぁ~ん、と魂が抜けたように会長を見つめるゆかりさんの姿が……。

「それが諦華様のご意向なら、私は別に……」

 心ここにあらずといった感じの気の抜けた返事。ダメだ。ゆかりさんは完全に会長のチャームの虜。仕方なく、ボクはいずみちゃんへと視線を移す。

「あたしも、あたしもー!」

 片や、机から身を乗り出して、元気に手を上げるいずみちゃん。そのイノセントな挙動には、もはや懐柔の余地なんて……。

 あー、もう! この人たちは、いっつもこれなんだから!

「三対一。これで決まりね、千里」

 ボクを見て、不敵に笑う二条会長。さっきまでとは打って変わって、仕草も口調も俄然アグレッシブ。今までのは演技だってわかってたけど、こうあからさまに手のひら返されると、やっぱり釈然としない。

「ちょっと待ってください! こんな出来レース、承服できません! 可否の決定は、もっと公正にお願いします! 会長には常識ってものがないんですか!」

「あら、随分な口の利きようじゃない? どうやらあなたは自分の立場ってものを理解してないみたいね。そもそも誰があなたに同意を求めたの? これはお願いじゃなく命令。あなたは黙って私の言うことに従っていればいいの。それがあなたの本分なのだから。それとも何か不服でもある? なら聞くけど、諸事の決定権を有するのは一体誰? あなた? それとも、わ・た・し?」

 うわっ、会長の目が完全に据わってる……。な、何なのこれ? 今日はまさかの女王様バージョン!? たぶんこれも演技なんだろうけど、やっぱり、こわい……。

「か、会長です。決定権者は……」

 ボクは、たまらず視線を背けた。

「フフッ……。物分りのいい子は好きよ」

 満足げに胸を反らす会長。その威厳に満ちた態度といったら、まるで本物の女王様。言ってることは完全にアレなんだけど、きっと会長に入れ込んでる人にとっては堪らないんだろうなぁ、こういうの……。横目でチラッと、ゆかりさんといずみちゃんを垣間見る。

「あぁ、諦華様。なんて凛々しいお姿……」

「諦華さま、ハクイ!」

 悩ましげに吐息をもらすゆかりさんと、賞賛の声をあげるいずみちゃん。やっぱり予想通りのリアクション……。

 呆れて溜め息をつくボクに、二条会長がにじり寄る。

「だけど、さっきの言動は感心しないわね。常識? 正義? 国民の声? くだらないわね、まったく。勝手に不特定多数の代弁者を気取るのもいいけれど、そんなあやふやな能書きを後ろ盾にしなければ論を張れないなんて、とんだ無能者ね。そんなに自分の主張に自信がないの? だったら、言論なんてやめたらどう? どうせあなたの弱論なんて、誰も心に留めたりしないのだから。そもそも本当に人を糾弾する覚悟があるのなら、そんな姑息な手段に頼らずに、一個人として相手に対峙してみなさい。あなたにそんなことできる? できっこないわよねぇ。ヘタレなあなたの言論は、すべて自己顕示欲のためなんですものね。結局、どんなに公を謳っていても、自分さえよければ他人なんてどうでもいい。あなたの発する文言からはね、そういう臭いがプンプン漂ってくるのよ。どうしようもなく下品で下劣な臭いがね。ま、自分の臭いって当の本人にはわからないものだから、自分で気づけってほうが無理なのかもしれないけれど。要するに、あなたはね。まったく意味のないことをムダに喚き散らしているだけのただの人畜。餌をねだってブーブー鳴いてるだけの醜い豚なのよ」

 ひ、ひどい言われよう! こんな屈辱的な言葉、浴びせられたの生まれて初めて……。あのゆかりさんも真っ青な毒舌ぶり。あ、そうか。ゆかりさんのアレも、結局は会長へのオマージュ、リスペクトなんだ。……でも、今はそんなことどうでもいい。頭が真っ白になって、もう何も考えられない……。これが洗脳とかに使われる人格否定ってものなのかな?

 ボクは、その場にペタリと座り込んだ。

「どうしたの? そんな冷凍イカみたいな目をして。私の言ったこと、ちゃんと理解できたの?」

「……はい」

「よろしい。それじゃ、さっきの件に関しても異存はないわね」

「はい。会長」

「違うでしょ、千里。私、察しの悪い子は嫌いよ」

 会長の意味深な視線がボクを射抜く。

「イ、イエス ユア マジェスティ……」

「そう。それでいいのよ、いい子ね。じゃあ、特別にご褒美をあげましょう」

 そう言うと、会長は流麗な動作でおみ足を差し出した。当然、ボクの面前にはその靴先が……。ってことは、ボクにアレをしろっていうこと? そんなこと、そんなこと……。

「そんなこと、できるわけないじゃないですか! いい加減にしてください!」

 ボクは、飛び退くように立ち上がった。

「あら、もうかえってきちゃったの? 残念。せっかく計画完遂まであとちょっとだったのに」 

 いかにも残念そうにため息をつく会長。もう、この人ときたら! この人ときたら!

「ボクになんてことさせるんですか! ホントにホント、警察呼びますよ! だいたい何なんですか、その計画って!」

「もちろん、千里奴隷化計画に決まっているでしょう?」

 ゆかりさんのその言葉に、ボクは思わず絶句する。

「え~、でもでも。今でも十分、奴隷みたいなものだよ、千里ちゃんは」

 キシシッと笑ういずみちゃん。

「い、いずみちゃんまで! それが実の四親等者の言う言葉!」

「いずみ、それは言い過ぎ。でもまぁ、私もその意見には大方同意するけれど」

「なっ! 今回はフォローすらなしですか!? ひどい! ひど過ぎです会長!」

 状況はまさに四面楚歌。打ちひしがれたボクは、その場に呆然と立ち尽くす。そんなボクを放置して、会長は満足げな表情で自分の席へと歩みを進めた。

「さ、恒例の千里いじりはこれくらいにして、そろそろ本題に戻りましょうか」

 うぅ……。人のこと弄んで……。これじゃ完全にボクは会長の……。い、いやだ! それだけはゼッタイ認められない!

ボクは大きく頭を振った。

「何をしているの、千里。早くお客様をお出迎えして」

 会長の喚起が、ボクを現実に引き戻す。

「えっ!? 新聞部の人、もう来てるんですか? なのに、あんなバカみたいなおふざけを?」

「それはそれ、これはこれでしょ?」

 唖然とするボクに、会長が妖艶に微笑みかける。

 あぁ、もう何も言う気になれない……。ボクは大きくため息をついた。



「お待たせしました」

 生徒会室の扉を開いたところで、ボクはハッと息を呑む。

 廊下にいたのは、壁にもたれ掛かりながら鼻歌を口ずさんでいる美少年……。って、そんなはずないない。美少年のような女子生徒……だよねぇ、たぶん。

 その人は、ちょうど区切りのいいところまで歌いきってから、メロディーを口ずさむのを止めた。

「歌はいいねぇ」

「え?」

「歌は心を潤してくれる。人類の生み出した文化の極みだよ。そう感じないか?」

 彼女はそう言うと、ボクのほうに向き直った。

 その長身と短めに切りそろえられた髪から、最初は男の人かと思ったけど、正面から見るとホントきれいな顔立ち。そのかもし出す雰囲気は……。そう! まるで宝塚のトップスター!

 でも、さっきの歌ってアニメの主題歌? それに今のセリフもどこかで……。

「どうしたんだい? 何か変なことでも言ったかな?」

「いえ、違います! その、急に文化の話をふられたので、面食らったと言うか……。まさか新聞部の人からそんな話をふられるとは思ってなかったので」

「言葉は心に響いてこそ意味がある。そして、文化とはその時々の人の心が反映されたもの。文化を解さない者に、人の心に響く言葉を届けることは不可能さ。違うかい?」

「え!? あ、はい! 確かにその通りだと思います!」

「理解が得られてうれしいよ」

 投げかけられた笑顔に不思議と引き込まれる。会長とはまた違った魅力の持ち主だ、この人。きっとモテるんだろうなぁ……。

「ん? どうかしたかな?」

「いえ! それより長々と待たせてしまって、すみませんでした!」

 とっさに視線をそらし、取り繕うように頭を下げる。

「構わないさ、無理を言ったのはこっちのほうだしね。それより、早速で悪いんだけど、中へ案内してもらえるかな、大江千里さん」

「ボクの名を?」

「知らない者は無いさ。失礼だが、君は自分の立場をもう少しは知ったほうがいいと思うよ」

「そうですか? ところで、あの、あなたは新聞部の……」

「私はなぎ子、清原なぎ子。新聞部部長さ」



「という訳で、こちら新聞部部長の清原さんです」

「よろしく」

 ボクの紹介に合わせて軽く会釈する清原さん。

「これはお菓子、みんなでどうぞ。心ばかりだけど」

「やったー! おっかし、おっかし!」

 清原さんが持っていた包みを、いずみちゃんがひったくる。

「もう、いずみちゃんたら! お行儀悪いよ! 受け取るのはちゃんとお礼を言ってから!」

 いずみちゃんをたしなめてから、ボクは「すみません」と頭を下げた。

「はははっ、構わないさ。子供は元気が一番だからね」

 清原さんが優しい眼差しで、はしゃぐいずみちゃんを見つめる。落ち着き払ったその対応、大人だなぁ。でも、さすがに子供扱いはちょっといずみちゃんがかわいそうかも。言動も体型も、そう言われて仕方のない部分はあるけど……。

「ふん! 物で釣ろうなんて見上げた根性ね」

 その様子を見ていたゆかりさんが、不機嫌そうに皮肉をとばす。

 あれ? どうしちゃったんだろう。さっきまでは何ともなかったのに。

「おや? そちらのフロイラインは随分ご機嫌ななめだね。私は何か不興を買うようなことでもしでかしたかな?」

「しらばっくれるんじゃないわよ! こんな怪文書まがいのことしておいて!」

 ゆかりさんが取り出したのは、会長批判の記事が載っている新聞部発行の裏新聞。そういえば、そんなこともあったっけ。

「ああ、そのことか。確かにその記事は、キミたちにとっては気持ちのいいものではないね。だけど誤解しないで欲しい。その記事、手掛けたのは私じゃないんだよ」

「苦しい言い訳ね! いくら自分で書いたものじゃなくても無関係ってことはないでしょう? あなた、部長なんだから!」

「その通りだね。だけど私は基本、何を書き、何を載せるかは部員の判断にゆだねている。どこぞの全国紙みたいに、一方にのみ偏るっていうのは主義に反するんでね」

「どうだか。ただ単に、この記事の反響の無さを人のせいにしてるだけなんじゃないの?」

「ははっ、これは痛いところをつかれたね。でも敢えて言うけれど、もしその記事を私が手掛けていたのなら、結果がどうなっていたかはわからないよ」

「たいした自信ね。だったらなんで、あなた自身が書かなかったのよ」

「言っただろう? 何を書くかは部員の判断にゆだねてるって。当然、それは私にも当てはまる。そして私は、現会長の手腕を大いに買っているからね」

 清原さんが、二条会長に笑いかける。

「ありがと」

 会長も会長で、その笑顔ににこやかに応えた。

 うまいなぁ、清原さん。会長との友好関係を示せば、ゆかりさんもそれ以上は糾弾できないよね。

「……」

 案の定、ゆかりさんは苦渋の沈黙。でもその表情は、まだまだ文句を言い足りないって雄弁に語ってる。

 困ったなぁ。まさかまさかのしょっぱなからの険悪ムード。ホントこれからどうなるんだろう……。

 そんなボクの心配をよそに、生徒会室には、いずみちゃんの場違いな歓声が響き渡った。

「見て見て、千里ちゃん! 萩の○だよ、○の月!」

 見ると、いずみちゃんが目を爛々と輝かせながら、さっき清原さんからもらった菓子折箱を見つめてた。

 この空気読まなさ感、さすがいずみちゃん。でも、今はその性分にちょっと感謝かも。

「なんだ。キミたち、このお菓子のこと知っていたのか」

 如才なく、清原さんがその話題に乗ってくる。

「はい。ボクたち、宮城県に祖父がいるんですが、遊びに来るときのお土産がいつもこれなんです。だから、ボクたちにとってはなじみのお菓子で。あ、でも。ボクもいずみちゃんもこのお菓子、大好きなんですよ。ね、いずみちゃん」

 ボクの呼びかけに、まるで首振り人形のように何度も首を上下させるいずみちゃん。

「そうなのか。ちょうど立ち寄ったデパートで宮城物産展が催されていてね、たまたまそこで買いもとめた品なんだが。そうか、それは良かった」

「はい。良かったね、いずみちゃん」

「うん!」

 いずみちゃんはニッコニコ。清原さんも、会長も笑顔。だけど……。

「なによ。お菓子なんかで手なずけられて、ホント意地汚い子」

 ゆかりさんだけ違ってた……。

「え~。じゃあ、ゆかりちゃんは食べないの?」

 いずみちゃんが、お菓子の入った化粧箱を、これみよがしにチラつかせる。

「た、食べるわよ。誰も食べないなんて言ってないでしょ」

 なぜか決まり悪そうに口ごもるゆかりさん。

 そうか。ゆかりさんも好きだったんだ、このお菓子。そういえば、おすそわけで何回か持ってきたことあったっけ。

「それじゃ、ゆかりも手なずけられたことだし、お茶にでもしましょうか。千里、お願いね」

 口に手を当てながら、会長がクスクス笑う。

「諦華様っ!? ご、誤解です! 私、手なずけられてなんていません!」

 必死に弁明するゆかりさん。だけど、会長のクスクス笑いは止まらない。

「はい、はい。ちゃんとわかってるわよ。ゆかりはただ、おいしいお菓子が好きなだけで、意地汚くなんてないのよね」

「諦華様ぁ~」

 みるみるうちにしょげ返るゆかりさん。その姿は、ちょっと見ていてかわいそう。

 でも、良かった、場の雰囲気が和んで。ボクはホッと胸を撫で下ろした。 

 


「そろそろ取材に移らせてもらっても構わないかな?」

 いずみちゃんが「けぷっ」としたのをきっかけに、清原さんが手帳とペンを取り出した。

「じゃあ、先にテーブルの上を片付けちゃいますね」

 ボクは、それに呼応して立ち上がる。

「すまないね。それじゃあ、副会長は後にして、まずは会計の藤原さんからお願いしようかな」

 そう言って、清原さんがゆかりさんへと向き直る。

「え!? 私?」

 目を瞬かせたゆかりさんが二条会長へと視線を移す。たぶん、ゆかりさんの疑問は、ボクが感じたのと同じもの。

「会長への取材はいいんですか?」

「うん。生徒会長はあまりに有名すぎて、今更感が否めないからね。今回は彼女を支えるキミたちの特集なんだよ」

「そうなんですか」

 ゆかりさんもボクも、これで納得。会長の『協力してあげて』って、そういうことだったんだ。

「では早速、会計の藤原ゆかりさんへの質問。今の格差社会についてどう思いますか?」

「随分社会派的な質問ね。本当にそんなのに需要があるの? これ、学内新聞の取材でしょ?」

「堅いのも柔らかいのも織り交ぜていくつもりだよ。そうしたほうが、その人の人となりが浮き出てくるからね。それとも別の質問のほうが良かったかな?」

「今ので別に構わないわ」

 コホンとひとつ咳払いをして、ゆかりさんは居住まいを正した。

「わたくしも、昨今の経済格差問題に対しては心を痛めている人間のひとりです。ですが、この問題は一介の学生であるわたくしなどがどうこう言えるような単純なものではないと重々承知しています。ですので、断定的なコメントは差し控えさせていただきますが、わたくし自身、あまたの人々が豊かな生活を送れるお手伝いができるよう、この学園で学習、研鑽に努めていきたいと思っています」

 でたっ、絵にかいたような猫かぶり発言! でも、実際外向けの発言なんだし、これはこれでいいのかな?

「う~ん。ちょっと面白味に欠けるなぁ。もう少しラジカルな感じで頼めるかなぁ」

 ペンで頭を掻きながら、渋い顔の清原さん。

「何ですってぇ!? それ、どういうこと!?」

 ゆかりさんが、声を荒げて立ち上がる。でも、すぐにそそとして座り直すところは流石。

「いやぁ、最近の読者は表も裏も関係なく、一律に刺激を求める風潮があってね。そのニーズに応えるために私たちも必死なんだよ。そういうわけだから、協力よろしく」

 そう言って屈託なく笑う清原さん。さすがにそれには、ゆかりさんも呆れ顔。

「それって『やらせ』って言うじゃないんですか? 公平中立が求められる報道でそんなこと許されるんですか?」

 つい口を出してしまったボクに向け、清原さんが不思議そうな表情をうかべる。

「ん? キミはいつの時代の話をしているのかな? 今の時代、そんなお題目が後生大事に守られていると本気で思っているのかい? もっとも、私も一部の識者と同じで、公平中立な報道なんて、時代云々に関わらず不可能だと思っているけどね」

「どういうことですか?」

「情報を受け取る側には、自分の求める情報を引き出そうという心理が働く。そして、それは取材する側にも当然ある。言うなれば、物事から情報を引き出そうとした瞬間から情報改編は始まっているんだよ。つまりは、公平中立な報道なんて、はじめっからありえないってことさ」

「でも、せめてそれに近づけるように努力しなくちゃいけないんじゃないんですか?」

「建前上はね。でも、ついつい忘れがちなことなんだけれども、マスコミは慈善事業じゃないんだよ。数百円か数千円、民放に至っては直接お金を払っているわけでもない。そんな低負担で、虚偽・誤りのまったくない情報を得ようとする姿勢のほうを私は疑うね。そもそも情報って貴重なものなんだよ。重要なものになればなるほどね。だからこそ、欲しい情報があるのなら、それに見合うだけの労力や対価を支払う必要がある。ローリスク・ハイリターンなんて、どこの世界でもありえない話さ。たとえるならこれは既製品とオーダーメイドの関係かな? オーダーメイドの場合は、もし注文した服が体に合わなかったりしたら、当然そのことに対してクレームを言う権利がある。もともとオーダーメイドとはお客さんのニーズに合わせることを旨とした契約だし、それだけの対価を支払っているからね。でも、既製品の場合はそうじゃない。支払う対価が低い代わりに受けられるサービスもそれなり。性質的に特定の誰かに向けてではなく不特定の誰かに向けて作られたものなんだから、買手のニーズと完全に一致するなんてことも稀。でも、そのことについてクレームを言うなんて、よっぽどおつむが弱い人じゃない限りしやしないだろう? 既製品の場合、買い手側には自分で選んだ物に対して責任を負う義務があるんだよ。立ち返るけど、これと同じように、もし不特定多数に向けてのメディアの中に、自分の満足できない点があったとしても、それに対しクレームを言うなんて本来筋違いなのさ。おそらくそれは、キミ以外の誰かに向けて発信されたものなんだからね。現代みたいに情報の氾濫する社会では、情報の拾捨選択は個人の当然の責務。本当に知りたい情報があるのなら人に頼らず自分で集めろ。それができないなら、情報にみあったお金を出せってことなのさ」

「でも、そうやってすべてを利害で片付けてしまうのはどうかと思うんです。もっとこう、人の善意とか誠実さとかを信じても……。スミマセン、生意気言って」

「キミの言いたいことはわらなくもないよ」

 恐縮するボクに対し、清原さんが優しい笑顔を向けてきた。

「心が痛がりだから、傷つくのを恐れて他人に善意や誠意を求めてしまう。ガラスのように繊細だね、特にキミの心は」

「ボクが?」

「そう、好意に値するよ」

「好意?」

「好きってことさ」

 え!? 今なんて?

 一瞬、耳を疑った。

「キャー! エヴァネタだよ、エヴァネタ!」

 いずみちゃんが、やけにはしゃいでる。あ、そういえばこんな展開、いずみちゃんに見せられたアニメにあったかも……。

「エヴァ? ネタ? あなたがワーキャー言うってことはアニメか何か?」

「え~。ゆかりちゃん、知らないの~。おっくれてるぅ~」

「何よ! 知らないわよ、そんなの!」

 いずみちゃんにからかわれて、ムキになるゆかりさん。でも、その言い方もそうだけど、古いのはむしろいずみちゃんのほうじゃ……。ボクだってあのアニメ、いずみちゃんに見せられてなければ知らなかったし。

 だけど、知らないうちにのせられてたなんて、恥ずかしい……。

「って、千里! あなた、なに紅くなってるのよ! ホントいやらしい子! このソロリティに属する以上、身も心も諦華様に捧げるのが決まりでしょ!」

「え~!?」

「何してるの、千里ちゃん! そこで『初めて人から好きだって言われたんだ』でしょ!」

「え~!? え~!?」

 なぜかヒートアップしてるゆかりさんといずみちゃん。

「もう! いずみちゃん! キミが何を言っているのかわかんないよ! それにゆかりさんも! ここは生徒会であって、そんな怪しい組織じゃありません!」

「ふん!」

 ゆかりさんが不機嫌そうに顔を背ける。

「ふんふん、やればできるじゃない」

 でも、いずみちゃんはなぜか上機嫌。

「はははっ。なにやら随分もめているようだが、ここは私に免じて収めてくれないかな?」

 何食わぬ顔で言ってのける清原さん。ことの発端はあなたなのに……。

 この取材、ホント先が思いやられる……。



「じゃあ、気を取り直して、仕切りなおしといこうか」

 再び、清原さんがゆかりさんへと向き直る。

「ちょっと待って。要求はさっきと同じなんでしょ? でも私、ラジカルな発言なんて、どうすればいいのかわからないわよ」

 ゆかりさんが、困ったように眉をしかめる。

「いつも通りでいいんじゃないの?」

 言いにくいことをけろっと言うあたり、さすがはいずみちゃん。

「何よそれ。それじゃまるで、私がいつも過激な発言してるみたいじゃない」

 でも、ゆかりさんはいたって澄まし顔。もしかして、自覚ないのかなぁ……。

「だったら、相手を思い浮かべてコメントしてみたらどうですか? 例のネットの向こう側にいる嫌いな人とか」

「そうね、それならできそうね」

 ボクの提案に、ゆかりさんは案外乗り気で頷いた。やっぱりゆかりさんは、敵がいるとスイッチが入る人なんだ。

 方策が決まったところで、清原さんが再び同じ質問を口にする。

「では改めて、会計の藤原ゆかりさんへの質問。今の格差社会についてどう思いますか?」

 コホンとひとつ咳払いをすると、ゆかりさんは堰を切ったかのようにしゃべりだした。

「格差!? 別にいいじゃない。社会にはお金を稼げる人間と稼げない人間がいる。ただそれだけの話でしょ。何が悪いっていうのよ。大体、今の日本はまだ、最低限度の生活は保障されるわよね、それも発展途上国と比べたらはるかに高い水準の生活を。それで十分じゃない。一体それ以上の何を望むって言うの? そもそも、社会正義の観点から格差が悪いって言うんだったら、その範囲は当然日本国内だけじゃなく世界中が対象よね。でも地球は、今の全人口を先進国並みの生活水準で養うだけの生産力を持っていないわ。つまり、格差の平準化のためには生活水準を落とす必要があるってことでしょう? だけど、見て御覧なさい。格差社会を批判する人間で、『今の生活を捨てましょう』なんて言う人、だ~れもいないじゃない。自己顕示欲と自己保身。ホント、呆れるくらい裏にある意図が見え見えなのよ。まぁ、それに同調する人間も、どうかしてるとは思うけれど。あれでしょ? ただ単に楽して贅沢がしたいんでしょ? 労働の成果や才能を的確にお金に換える能力もないくせに? バッカみたい。そんな都合のいい話、あるわけないじゃない。そんなことでお金のある人や企業を批判するなんて筋違い、恨むんなら能力のない自分を恨みなさいよ」

 あ~あ、今日もゆかりさんは舌好調。こんな話、本当に学内新聞に載せられるのかな?

「そうそう。こういうことを言うと必ず『資金や時間、機会さえあれば自分だって』みたいなことを臆面もなく言う人いるわよね? でもね、そんな考えしかできない時点で終わってるのよ、その人は。だってそうでしょう? お金とか時間とかチャンスとか、そういうもの全部上手にコーディネイトできるってことが能力があるってことなんですもの。結局、世間に向かってグチグチ愚痴ってるような人間は、な~んにもできないまま一生を終えるのよ、分相応の生活を送ってね。人は自分自身の能力に見合った生活しか送れない。良くも悪くもそれが現実なのよ。そもそも生物世界は弱肉強食。人間世界も優勝劣敗。誰だって例外なく他の存在を『くいもの』にして命をつないでる。生きるってそういうことでしょ? 当然、自分だって『くいもの』にされることだってあるわ、因果応報よ。みんなそのリスクを常に背負ってる。特別な人間なんていやしないわよ」

「つまりそれは、社会的弱者は『くいもの』にされて当然ということですか?」

 清原さんの質問に、ゆかりさんがクワッと目をむく。

「違うわよ。私だって、本当にどうしようもなく困窮している人の存在くらい知ってるわよ。そういう人のために生活保護とかセーフティーネットがあるわけでしょう? ちゃんと機能してるかどうかは別として。でもね、その陰で、ただ働く意欲がないってことだけで生活保護を受給し続けている人もいる。しかも、そういう人の割合は年々増えてるってことじゃない。つまりはね。二極化の下のほうにくるような連中はね、能力以前の問題として意識が低い人間が多いってことなのよ。意識が低いからこそ、本当はその人個人に帰属する問題を、社会や他人のせいにしたりするのよ。最後の最後は個人個人の問題に行き着くの。だから、何かしらの制度や仕組みをつくったって、いたちごっこを繰り返すだけで解決なんてするはずない。政治にばっかり責任を押し付けて、無責任な批判なんてするなって話よ。もしこれに異論があるんだったら、そうねぇ……。お仲間集めて無人島あたりで実験国家でも建国して、立派な成功例でも引っ提げて来なさい。話はそれからよ。でもまあ、はっきり言って、そんなことができるだけのバイタリティがあるんなら、どんな境遇にあってもとっくに成功してるでしょうけどね。ホント馬鹿ばっかりで困るわ、周りから善い人だと思われたいためにキレイごとを言う人間て!」

 スッキリした表情をうかべるゆかりさん。そんな彼女を尻目に、清原さんがいずみちゃんへと耳打ちした。

「彼女、いつもこんな感じなのかい?」

「そうだよ! ゆかりちゃんはイチイバルの歌を地で行く娘っ子なんだよ!」

 いずみちゃんは得意げにそう言うと、シュッシュッとパンチを繰り出した。たぶんそれには何の意味もないんだろうけど。

「はははっ、それは頼もしい限りだね」

「でしょ、でしょ!」

 ふたりだけにしかわからない会話が続いてる。

「何がそんなに頼もしいんですか?」

「否定していいのは否定される覚悟のあるヤツだけだってことさ。少なくとも彼女には、それだけの覚悟があるってことなんだろう」

「はぁ、そういうものなんですか」

 確かにゆかりさんが噛み付く相手って、誰かを否定してる人に限定されてるから、それなりの考えがあってやってることなのかな?

 ボクが考え事をしているさなか、いずみちゃんがまた歓声をあげた。

「やったー! 今度はル○ーシュだよ!」

 そういえば、さっきの清原さんの言葉も、いずみちゃんが好きなアニメにあったような……。でも、元のセリフはもっと物騒なものだったと思うけど。

「ルルなんですって!? いい加減、一部の人間にしかわからない会話するのやめなさいよ!」

「ごめん、ごめん。しかし、わからなくても好奇心があれば調べてくれる。そうやって増える知識もあるってことさ。きっかけを提供するのも我々の仕事。万人受けを狙って平凡なものを書いてもしょうがないだろう?」

 ゆかりさんの苦言に悪びれることもなく笑う清原さん。みんなとのやり取りを見てわかってきた、やっぱり清原さんも一癖ある人なんだ……。

 


「さて、じゃあ次は書記の大江泉さんの取材に移ろうかな。準備はいいかい?」

 一通りゆかりさんへの取材を終えた清原さんが、今度はいずみちゃんへと向き直る。

「バッチコイ! あたしだって、あるあるな真理を語っちゃうよ!」

「ほほう、それは楽しみだ。では、見せてもらおう。お子様書記の実力とやらを」

 清原さんの挑発とも激励ともとれる言葉を受けて、いずみちゃんがニヤリと笑って立ちあがる。

 向かった先は、生徒会室の片隅。そこに片付けてあったホワイトボードを引っ張り出して、なにやら文字を書き始めた。

 みんなが固唾を呑んで見守るなか、室内にはキュッキュッというマーカーを走らせる音だけがこだました。しばらくそのままでお待ちください。

 カチッ。 

 マーカーにキャップをはめ、いずみちゃんが振り返る。そして、ホワイトボードをバンッと叩いて言い放つ。

「熱いものにうまいものなし! 熱けりゃ味なんてわからない! 『熱いうちにお召し上がりください』なんて、味をごまかすためのギミックなんだよ!」

 再び室内は静寂に包まれる。

 え~と、その、なんていうか、期待通りというより予想通りといった感じかな、やっぱり。

 くすくす笑い声をたてる会長。眉をひそめ、ゆっくり首を横に振るゆかりさん。ところで、清原さんの反応は?

「これは驚いた。確かに彼女は真理を語っている。すばらしい! キミの意見に激しく同意だ!」

 これってどういうこと? 感嘆の声をもらし、ひとりスタンディングオベーションを敢行しちゃった。

「さもありなん。さもありなん」

 得意満面で頷くいずみちゃん。

 すかさず、清原さんがいずみちゃんへと歩み寄り、ふたりはガッチリと握手を交わした。その息の合い様は、今日初めて知り合ったっていうのが嘘じゃないかって思えるくらい。シンパシーを共有している人同士って、みんなこんな感じなのかな?

「何が真理よ。あなたたちが猫舌なだけじゃない」

 ゆかりさんが、呆れきったようにため息をついた。

「まぁ、真理っていうには大袈裟すぎかもしれないですねぇ」

「フッ、確かにそうかもしれない。しかし、世に流布している真理なんて大方そんなものだろう?」

 清原さんが、ニヒルな笑いをうかべる。

「そんなものですか?」

「そうだとも。ならば披露しよう。私がそう思うようになった経緯を。この語らいの場に敬意を表して」

 いきなりオーバーリアクションになる清原さん。もう話す気満々。

 それにしても語らいの場って……。これ、取材じゃなかったの? まぁ、元々お話好きのようだし、ふたりの話に触発されちゃったってことは十分考えられるけど。

「あれはそう。私がまだ若かりし頃の事だった……」

(『若い』って、一体いつよ)

 ゆかりさんが、ボソッとつぶやく。

(ダメですよ、話の腰を折るようなこと言っちゃ)

 ヒソヒソ声で注意するボクに、ゆかりさんは面倒くさそうに手を振って了解を示した。

「当時の私は、まだ青臭い人間だった。数多の人々と同じく懊悩にさいなまれ、真理を追い求め書物にあたり、先達に教えを請い、思索にふける日々を送った。そして私はついに行き着いたんだよ、ひとつの答えにね。すべての存在に共通する存在意義と呼べるものに。その時の歓喜といったらなかったね、まさに歌いださんばかりに喜んだ。そして、周囲の人間にこれみよがしに話してまわったんだよ、それは誰もがきっと知りたがる答えだと思ったからだ。しかし、予想に反して話を聞かせた人々の反応は芳しいものではなかった。もちろん理解をしてくれる人もいた。しかし、大半の人間の反応は概ね同じ、『それはそうかもしれないけど……』これだった。確かに私の答えは、すべての存在にあまねく妥当するものだから、人間にとって都合のいいものではない。その反応は、ある意味生物としては当然なのかもしれない。だが、当時の私はそういう人々の姿勢に失望したんだよ。否定も反論もできない。されど、受け入れることもできないという姿勢にね」 

「失望!? 最初から期待も望みも持たなかったくせに?」

 いずみちゃん!? 急に何を?

「はははっ。言われてみればそうかもしれない。実際、私はそのことを意外とすんなり受け入れられた。そして、悟ったよ。人は覆せない事実のことを真理と呼ぶのではなく、自分にとって都合のいい理屈を真理とみなし、それを崇め奉るものなんだってね。だから見てごらん。どんなに科学が進歩しても、時代錯誤な教義を信奉し続ける人はいなくならないだろう? 人はそれぞれの真理の下、否定し合い、争い続ける。これまでも、そして、これからもずっとね」

「でも、みんな本当は争いじゃなくて同じ目的、幸せとかを目指してるんですよね。だったらいつかは同じ到達点にたどり着くんじゃないんですか?」

「違うわ」

 ボクの疑問がいきなり遮られた。

「会長!?」

「たどり着けるのはあるがままを受け入れた者だけよ。彼らは幻想を望んだ。目の前の現実を放棄して、見せかけの思考遊びにすがったのよ。どこにもたどり着けるはずないわ」

「冷たいね、諦華さま?」

 会長まで悪ノリして……。もう、いずみちゃんが狂喜乱舞状態。まぁ、それは放っておこう。

「それってどういうことですか?」

「そうね。ならまず、自然科学の話をしましょう」

 立ち上がった会長が、講義でもするかのようにホワイトボードの前に立つ。

「私たちの生活を支える科学技術。それは様々な自然法則の発見によってもたらされた恩恵よね。でも、この発見という行為は、すでに在った法則を見い出すとうこと。その利用によって何らかの恩恵を生み出すからといって、何か別の新しいものが構築されたということじゃないわ。ただ知らなかっただけで、様々な法則はずっと存在し続けてきたし、私たちはそれに沿って生きてきた。逸脱も創造も許されない。これは動かしようのない掟なの。そうでしょう? 自然法則を無視したり、新たに構築するなんてこと、人類に果たしてできるかしら?」

「フィジカルキャンセラー?」

 目をキラキラ輝かせるいずみちゃん。

「ないない。そういうのマンガやアニメのなかだけだから」

 ボクのツッコミに、いずみちゃんは途端シュンとしょげかえる。

 会長は無言の苦笑をうかべると、何事もなかったように話を続けた。

「つまり今後、何かしらの革新的な発見がなされて、それが技術に応用されていったとしても、私たちができることは、この世界でそれまで可能だったことのさらなる高度化だけ。別次元のまったく新しいことができるようになるということではないの。ここまではいいかしら?」

 会長の問いかけに、みんな一様に首肯する。

「じゃあそれ踏まえて哲学の話をしましょう。多くの哲学者が追い求めてきた真理。その真理の発見によって、世界がより良い方向に導かれると思っている人は多いみたいね。でも、本当にそうかしら? さっきの自然法則の話を思い出してみて。私たちは自然法則を創造・逸脱できないって言ったわよね。これは、私たちの行為は自然の摂理によって制限されているっていうこと。そしてこれは同時に、私たちが行うことのできる行為すべてが、自然の摂理によって許容されているってことでもあるの。つまり、すべての事象は起こるべくして起こってるってことなのよ。私たちがそれぞれの価値観で善とか悪とか区分する行為全部含めてね。そういうこれまでに起こった様々な事象の中から見い出されるものが『理』。だからね、真理を探究していけばいくほど、この世界に起こった事象が、起こるべくして起こってるってことがわかるだけなのよ。もちろん、みんなが忌み嫌う戦争や殺人とかいった事象もね。要するに、真理を追い求めても理想の世界は訪れないの。もしそれらがお望みなら別の分野に移ることをお勧めするわ。たとえば法律とか、あるいは宗教とかね。ほら、実際に平和とかを訴えて、社会を良い方向に導こうとする人の話って変に宗教じみてたりするでしょう? つまり今考えられる方策は、心理面に訴えるか、利害で縛るかのどちらか。でも、その両方とも、時には抑制するどころか、悪いほうに助長する効果もあったりするから困りものなのだけれども」

「じゃあ、理想の社会を実現させようと必死になってる人の行動って全部無駄なんですか?」

「無駄ってことはないと思うわ。だって、そういう社会が実現する可能性もゼロではないんですもの。でも、今のままではダメなことは確かね」

「そうなんですか?」

「そうよ。真理や平和、理想の世界などなど。現在に至るまで色々人が色々なアプローチを試みてきたわ。でも、そこに至る道のりを示せた人は誰もいない。それはね、誰もがはまる落とし穴があるからなの。人間の思考の仕組み、意識にまつわる盲点がね。いいわ。ついでだから今日は、そのことについてレクチャーしてあげましょう。『今はわからないけど、いつかは必ず』そんな無意味な結論、もういい加減、飽き飽きでしょう?」

 会長が、マーカーのキャップをキュポンとはずす。

「でも残念。どうやら尺が足りないようね」

 時計を見上げた会長が、マーカーのキャップを再びはめた。

「なんてことだ。これからがいいところだというのに。でも、時間というのなら仕方がないな」

 清原さんが、名残惜しそうにペンと手帳をポケットにしまう。他のみんなもめいめい帰り支度をはじめちゃった、だけど……。

「あの、取材のほうはどうなったんですか?」

「これはうっかり。そういえば、キミへ取材は全然だったね。すまないがそれは次回ということで。あぁ、でも。なんならこれからってことでも構わないよ。ふたりっきりで、ね」

 冗談とも本気とも取れない目で見つめてくる清原さん。

「け、結構です! 次回でお願いします!」

「ははは! フラれてしまったね。でも、私は諦めないよ」

「尻軽……」

 ゆかりさんがジトッと睨んでくる。

「ボク!? ボクですか!?」

 なんて理不尽! ボクはなんにもしてないのに!

 あ~あ。やっぱり今日も散々だった……。


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