第二話 石のように固い意思で
うららかな午後の陽気に誘われて、ボクの体がこくりこくりと揺れ動く。とめどなく続く混濁と覚醒のループ。それはもう何回ぐらい繰り返されたんだろう……。周期的に訪れる覚醒期のたびに、ボクはわずかばかりの意識レベルで、今どこにいるのかを認識する。今は放課後……。ここは生徒会室……。
夢心地のなか、カタカタというキータッチの音が耳を刺激する。その単調なリズムは、このどうしよもない眠気を妨げるどころか、かえってそれを助長する。あぁ、また目を開けてるのが辛くなってきた。今度もこの甘美な誘いに抗うのはムリっぽい。次、目を覚ますのは何秒後? それとも何分後かな……。
「千里。悪いけど、お茶、もらえる?」
不意に飛び込んできた聞き慣れた響き。
「は、はいっ!」
鶴ならぬ会長の一声で、ボクの睡魔は跡形も無く霧散する。勢いよく立ち上がったのに合わせて、椅子がガタッと派手な音をたてた。
訝しげな顔でこちらを見る会長。だけど、彼女はすぐさま顔をほころばせ、口角の上がった口元をチョンチョンと指し示した。
今度はボクが怪訝の表情をつくる番。一体なに? ご飯時じゃあるまいし、食べこぼしってわけでも……。
おずおず伸ばした指先に湿り気! とっさにボクは、ハンカチを取り出し、口元を押さえた。
(うわぁ……。うたた寝して、よだれだなんて)
『穴があったら入りたい』って、まさにこのこと。恥ずかしさに頬を染めながら、ボクは会長の様子をチラリとうかがった。
「お茶、眠気覚ましに濃いめでお願いね」
笑みをたたえながら、手元の資料に目を落とす会長。うぅ……、笑われた。しかも、ご丁寧に皮肉の追い討ち付き。
「はぁい」
バツの悪さを隠すため、不満顔で生返事。無駄な足掻きと知りつつも。
ボクはトボトボ部屋の片隅にある給湯場へと歩き出す。これじゃ、副会長の面目丸つぶれ。もっとも、面目なんてあればの話なんだけど……。
生徒会副会長!……と、言えば聞こえはいいけど、あらゆる実務をそつなく、ボクから見れば完璧にこなす現会長の下では、補佐役なんて無用の長物。ボクに与えられる役割といえば、今みたいなお茶汲みと、報道官まがいの広報活動がその大半。この前の経過報告もその一環だったりする。
それだけ聞くと、結構楽な仕事ように思えるかもしれないけど、実際は違う。はっきり言うと、仕事どうこうよりも、精神的負担のほうが大きい。今まで何度、涙で枕を濡らしたことか……。世の中で一番恐ろしいのは、結局人間だって言われるけど、ホントその通り。今の役職についてから、ボクはそのことを身をもって実感させられた。それはもう、嫌って言うほどに。ボクがそんな数々の辛酸をなめるに至った元凶は、もちろんこの部屋の主、二条会長その人。
卓抜したルックスと、ちょっと過激な弁舌。それらを武器に、生徒会活動に無関心な一般生徒を巧みに取り込み、ウケるが勝ちという風潮のある選挙戦を圧倒的な支持を集めて制した二条会長。彼女はすぐに、歴代生徒会が放置してきた諸問題にメスを入れ、大胆な改革を断行した。
この概略だけなら、一見辣腕生徒会長のようにも思えるけど、実際はどうなんだろう? ボクが疑問符をつける理由。それは彼女が手をつける改革が、どういうわけか痛みをともなうものばかりだから。それもかなり恣意的な手法を採ることが多い。当然そうなると、改革推進をこころよく思わない人も出てくるわけで。不満分子が集まって、校内にはアンチ二条派が暗躍してるっていう噂もちらほら。
その改革関連で、関係部署との調整を行うのもボクの役割。でも、結局は会長が独断で決めちゃうから、ただの事後説明になってしまうのが現状だったりするんだけど。そういう事情があるから、ボクがひょこひょこ出向いて行っても、「はい、そうですか。わかりました」なんてことあるわけもなく。大抵は吊るし上げを食らって、散々厭味を言われた挙句、やっと開放されるっていうのが定番。この前なんか、簀巻きにされて、床の上に転がされて……。あれは本当に生きた心地がしなかった。しばらくトラウマで、布団に包まって寝られなくなったくらい……。
そもそもみんなズルいんだよ。会長本人には、面と向かって何も言わないくせに。まぁ、会長は公約を忠実に実行してるだけだから、そんなことしたら選んだ自分たちの良識が疑われることになるってことはわかるけど。でも、代わりにボクを標的にして言いたい放題、暴言の限りを尽くすなんてヒドすぎる。いくらボクが会長から任命された立場だからって……。
それに会長も会長なんだから。ボクが惨い仕打ちに遭っていることを知りながら、完全に見て見ぬフリ。ホント何もかもわざとやってるとしか思えない。
会長の横顔をねめつけながら、ボクは淹れたお茶を机の上にそっと置く。
「どうぞ」
「ありがと」
湯飲み茶碗に手を伸ばした会長は、お茶を少し口に含み、またそれを茶托の上に戻す。その満足気な表情を確認して、ボクはお盆を抱えて歩き出す。会長の好みの温度はちゃんと心得てるんだから、文句なんてゼッタイ言わせない。勝ち誇って取って返すボク。その前に、すっとティーカップ差し出された。
「千里。私にもおかわりね」
ティーカップの出所は、今の今までパソコンでの作業に勤しんでいた会計の藤原紫さん。仕事が一段落して小休止ってところかな?
画面とにらめっこで疲れたのか、ゆかりさんは物憂げに、前に掛かった縦ロールの髪を後ろに掻き流す。校則でブリーチ・カラーリングが禁止されてることもあって、そのライトブラウンの髪色は、彼女のはっきりくっきりした目鼻立ちとともに、多くの生徒の羨望の的。これもクォーターの特権てやつ? でも、それはそれでまた、別のところで色々な気苦労があるんだろうけど。何事も功罪半々、光と影。だけど、つまらない思考の持ち主ほど、その『功』と『光』の部分だけを見て羨んだり、ときには妬んでとんちんかんな批判とかするものだしねぇ……。ま、ボクがこんなんこと思ってみてもしょうがないか。トウヘンボクは治らないって言うらしいし。
「はい、はい。ただいま」
ソーサーごとカップを受け取って、お盆にのせる。
「『はい』は一回」
ゆかりさんがボクを一瞥。
「は~い」
「返事は短く、はっきりと」
すかさず飛んでくるお小言。まるで口うるさいお姑さんみたい。
ゆかりさんは、仕事のできる人にありがちな、自分にも他人にも厳しいってタイプ。現実的かつ堅実的思考の持ち主ってことで、会計っていう重要な役割を担ってる。性格的には責任感が強く、それでいて、わりかし思ったことをズバッと口にする人。だから、結構彼女を煙たがる人は多いって聞く。でも、自分のことを棚に上げて、何かにつけ人を非難するってことはしないから、恨まれたり、軽蔑されたりとかはされてないみたい。だけど、彼女の前で他人を批判するのはご法度。口にしたことの倍返しの勢いで悪態をつかれることになるから。
『批判の意義が改善にあるのなら、当事者に届かなくちゃ意味なんて無いでしょ? なのに、当の本人に直接言わないで、わざわざ公言して他人に言いふらすようなマネをする。そんなの批判じゃなくて、ただの誹謗中傷、陰口よ。私は、そういうバカなことをする連中に、同じように誹謗中傷される気持ちがどんなのか味あわせてあげるの。徹底的にね』っていうのは彼女の言。おかげでゆかりさんは陰で『毒舌裁き人』として恐れられているって話。なんでも毒っ気だけなら会長以上だとか……。
まぁ、ゆかりさん自体は、多少……、う~ん、かなりクセはあるけど、親しみやすい人には違いないんだけど。だからボクも、こういうおふざけ的なお小言には勇猛果敢に反撃する。
「それってどうなんですかぁ? 頼み事をしている相手に、わざわざ気分の悪くなるようなこと言うのって? そんなの良くないと思います」
「口答えなんて生意気ぃ~。せっかく人がメイドの心構えを仕込んであげようっていうのに」
こっちを向いてニンマリするゆかりさん。やっぱりおふざけだったんだ。
「そんなの仕込まれたくありません。だいたいこれって、ボク本来の仕事じゃないんですからねっ」
電気ポットの設定を、紅茶の適温に直しながらの抗戦。
「いいじゃない、別に。どうせ千里はこのなかで一番の暇人なんだから。違う?」
「それは、確かに、そう、ですけど……」
痛いところを真っ先に突かれて、あっという間に意気消沈。なにもそんな露骨に核心に触れなくても……。
「千里は生真面目ねぇ。ゆかりの冗談を真に受けるなんて。そもそも、私がこの仕事をお願いしているのは、あなたが一番お茶を淹れるのが上手だからよ。適材適所。それ以外のなにものでもないわ。事実、私は千里の淹れてくれるお茶、好きよ」
会長が甘い言葉と笑顔を投げかけてくる。こうやって如才なくフォローを入れてくるあたりが、無類の人たらしと言われる一因なのかも。でも、それがあるから、ボクなんかは、かえって言葉の裏を勘繰ってしまうっていうのが正直な心情。
「そんな見え透いた甘言に乗せられるほどボクは単純じゃありません。もっとも、褒めたって何も出ませんけどねっ」
「あら、何も無しなの? 残念。ちょっとは期待してたのに」
いかにもって感じでため息をつく会長。ボクは、そのわざとらしいガッカリ顔を苦々しく見つめ返す。まったく、この人の真意はどこにあるのやら……。
「バカなこと言わないでください。そもそも何を期待するって言うんですか? ホントにもう」
「もちろん、千里のお仕事はご奉仕が本分なんだから、あ~んなことや、こ~んなことに決まっているでしょう? ですよね、諦華様」
「そうねぇ。それも悪くないわねぇ」
意味深な笑顔を交わす二人。
カチャン。ボクの手からティースプーンが滑り落ちた。
「な、なに考えてるんですか! 不潔です! 破廉恥です! 警察呼びますよ!」
「あらあら、そんなに取り乱してどうしたの? 私もゆかりも、具体的な事柄なんて一言も口にしてないのに。想像力豊かな千里は、一体何を思い描いたのかしら?」
「あんなに顔を真っ赤にしてるってことは、きっと口では言えないようなことなんですよ。ホント、いやらしい子ぉ~」
底意地悪い光をたたえた四つの瞳がボクを見据える。
「うぅ……、変なこと言わないでください! そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
「だったら、きちんと説明してみなさいよ。ちゃんと自分の口で、ね」
「それは、その……」
「どうしたの? 言えないの?」
ゆかりさんの不敵な眼差しに、悪寒と一緒に直感が走る。
ダメ! このままじゃ、いいように弄ばれるだけ!
ボクはその挑発的な笑みに向かって言い放った。
「言いません! 言う必要なんてありませんから!」
「抗弁無しにダンマリなんて認めたも同然よ? それでもいいの?」
「もう、勝手にしてください!」
つまらなそうに顔をしかめるゆかりさん。そんなこと知ったことじゃないとばかりに、ボクは無言で淹茶に専念する。
「ほらほら、千里。そんなに怒らないの。私もゆかりも、ちょっと息抜きにからかってみただけなんだから」
すました微笑をうかべる会長。その『軽い気持ちでしたことだから許されるでしょう』って態度が、委細一切気に食わない。
「そんなのわかってます! わかっていても、不愉快なものは不愉快なんです!」
「それは道理ね。結局、理解なんてものは、内から沸き起こる感情の前では無益ですものね」
分別顔でうなずく会長。
「何の話ですか?」と言いかけて、あわてて口をつぐむボク。下手に首を突っ込んで、さっきの二の舞なんてもうこりごり。ここは無難にノータッチ。これできっとこの部屋にも、それよりなによりボクの波立つ精神にも、再び静寂が訪れるはず。
そんな儚い希望を抱いた矢先。バン! というけたたましい音とともに、生徒会室の重厚な扉が開け放たれた。
「大変! 大変! 大変!」
慌ただしく飛び込んできた一人の女の子。その子はボクの従姉妹で書記の大江和泉ちゃん。トレードマークのツインテールをなびかせて、会長席へと一目散に駆けて行く。
「タイヘン、タイヘンタイヘンタイヘンタイヘンタイヘンタイ、ヘンタイ? あれ?」
小首を傾げるいずみちゃん。そのアナグラムみたいに変化してしまった言葉に反応して、会長とゆかりさんがボクをジトッと見つめてくる。
「いい加減、その話題引っ張るのやめてください!」
ボクの抗議に、悪戯っぽい笑みで返し、会長がいずみちゃんに向き直る。
「どうしたの? いずみ。そんなに慌てて。さあほら、軽く深呼吸して」
いずみちゃんは言われた通り深く息を吸い込むと、そのまま鼻をクンクン鳴らしだし、キョロキョロ周りを見渡した。
「あー! みんなしてずるーい! 千里ちゃん。あたしにもココア、ココア!」
そうか、この紅茶の香りと会長の湯飲み茶碗に気付いたんだ。仕方なく、いずみちゃん愛用、デフォルメされたクマがプリントされたマグカップを用意する。
「もう、いずみちゃんまで……。ボクの本当の仕事、何かわかってる?」
「え? 茶坊主?」
少しも悪びれたところが無い素っ頓狂な答えに、ボクは思わず絶句する。
「あら、茶坊主って結構重要な役割だったらしいわよ」
しれっと口を挟む二条会長。
「そんなフォローいりませんから! そもそもボクは、好きでお茶酌みなんかしてるわけじゃないんですからね!」
「ホントにそう? その割には随分な熱の入れようじゃない?」
ゆかりさんが、目線で給湯場の一角にある嗜好品棚を指し示す。そこは唯一ボクの意思が尊重される場所。いわばボクだけの絶対不可侵の領域。
「お茶だけでも、種類はもとより産地に等級、果てはブランドまで。至れり尽くせり、よりどりみどりですものねぇ」
「それでホントは嫌だって言われてもね~」
含み笑いの会長とゆかりさん。ボクはただただ沈黙する。
「イヤよイヤよも好きのうちー!」
陽気な声でとんでもないダメ押し!
「いずみちゃん! そんな言葉どこで!」
思わず声に出しちゃったけど、情報源はわかりきってる。
いずみちゃんのお父さん、つまり、ボクにとっての叔父さんは、なぜかとっても懐古趣味。だから、普段の会話でも、古い言い回しや死語なんかを連発する。『俺』とか『私』とか、親の使う一人称代名詞が高確率で子供に継承されるように、いずみちゃんもお父さんの影響を受けまくってる。反面、日常的にいろんな言葉に触れてるせいか、彼女の国語力はたいしたもの。そこを買われて書記に抜擢されたってわけ。でも時々、変なタイミングで変な言葉を口走るのがたまにきず。いずみちゃん自身、そういった言葉の意味を、ちゃんとわかって言っているかってことは、ちょっと疑問だけど……。今さっきのがまさにそれ。おかげでボクは、反論の機会を完全に失っちゃった。
会長もゆかりさんも、ころころ笑ってるし……。なんなのそれ。本当はいずみちゃんの物言いが可笑しくて笑ってるだけかもしれないけど、話の流れからしてボクが笑い者にされてるとしか思えない。いつも同じじゃ味気ないと思って、せっかく人がいろいろ調達してきたっていうのに。ホント、サービスし甲斐のない人たち!
「それならいいです。ボクはもう、喫茶関係のことは一切やりませんからね。今度からは全部セルフサービスでお願いします!」
「えぇ~。じゃあ、じゃあ、これから千里ちゃん、ここでなにするの? 有閑マダム?」
「そんなわけないでしょ! まがりなりにもボクは副会長なんだから、ボク本来の仕事をするだけ!」
「それは頼もしい限りねぇ。ところで、千里。あなた本来の仕事ってなぁに?」
「なにって、そんなの決まってるじゃないですか! ボク本来の仕事は! 仕事は……。仕事は?」
どうしよう……。大見得切ったはいいけれど、次の言葉が出てこない。口がパクパク空回り。間髪入れず、ゆかりさんといずみちゃんが言葉をつむぐ。まるでアテレコみたいに。
「スケープゴート」
「人身御供?」
ヒドい! ヒドすぎる。あながち間違いじゃないからなおさら。もう、心が折れそう……。
「ふたりとも、それは言い過ぎ。安心して、千里。私はそんなこと、微塵も思っていないから」
どの口が言うんだか! ボクに生け贄まがいのことをさせてる張本人のくせに! ボクの萎えた心に火が灯る。ジッと睨んで無言の抗議。対する会長は、なぜかうれしそうに目を細め、言葉を続けた。
「閑話休題。それじゃあ、いずみ。そろそろ何が大変なのか、聞かせてちょうだい」
「そうだった! これです、これこれ。とにかくタイヘンなんです!」
いずみちゃんが取り出したのは、表面に文字がビッシリ印刷された一枚の紙。構成からすると新聞ぽい。でも、普通の新聞と規格が違うっていうことは……。
「あー、いずみちゃん。それ新聞部が発行してる学内新聞でしょ。ダメだよ、掲示物を勝手にはがしてきちゃ」
「違うよ! あたし、そんなことしないって! これ、ときどき配られてるほうの新聞だって!」
いずみちゃんが、腕をブンブン回してモーレツ抗議。そんなことしたら、新聞がくしゃくしゃになって読めなくなっちゃうよ。
「あぁ、あのゴシップが大半を占める低俗なほう?」
落ち着き払っているけど、あからさまに嫌な顔。ゆかりさん、そういうの嫌いだから。 件のそれは同じ新聞部が版元の、通称『裏新聞』と呼ばれる不定期新聞。ゆかりさんの言葉通り、載っている記事は、あんまり褒められた内容じゃないのは確か。だから、正規の学内新聞とは違って、ゲリラ的に刊行、配布されてるってわけ。でも、発行部数の違いから、どっちの新聞のほうがウケがいいかは一目瞭然。醜聞怪聞がもてはやされるのは、いつの時代でも、どんな社会でも同じってことかな?
「それで、その新聞がどうしたの?」
いずみちゃんをなだめながら、ボクは紙面に目を凝らす。会長の演説写真が載ってるってことは、この前の生徒総会関連のことみたい。え~と、見出しには何て?
「『リアル・ギ〇ン!? 今チャウシェスク!? 二条会長、またも狂権発動』 なによこれ!」
読み上げたのはゆかりさん。その声がヒステリックに裏返る。
「ゆかり。そんなに声を荒げるものではないわ」
制する会長の声音は、あくまで穏やか。
「すみません……」
たしなめられてしゅんとするゆかりさん。猫かぶりってわけじゃないけど、ゆかりさんは会長の前でだけ、時々しおらしい一面をのぞかせる。なにがそうさせるのかは、ボクにはちっともわからないけど。
「ですがこれはあんまりです。諦華様がどれだけ尽力したかも知らないで……」
悔しさを滲ませるゆかりさん。そのことに関してだけは、ボクも同意するところ。
事の発端はニヶ月前。ある生徒が授業中にケータイをいじってるのが発覚。先生が厳重注意のうえ、一時没収しようとした際、その生徒は何を思ったか、逆ギレして権利だなんだかんだと喚きたてたからさぁ大変。おかげで学校側の重鎮・お歴々はたいそうお冠。『最低限度の義務を果たせない者が権利を主張するとは何事か』って。それで、校則の上位規則で、学校側が一方的に定めている校令に、ケータイ持ち込み禁止って条文を盛り込もうって動きが出る始末。
そこに待ったをかけたのが二条会長。度重なる交渉の末、なんとか今後の改正が可能である校則で、使用禁止にするって譲歩案を取り付けたって次第。
会長は学校側との協議に、一切ボクたちを関わらせなかったから、結構大変だったと思う、説得材料集めとか。だから、手伝いたくて歯がゆい思いをしたゆかりさんが怒るのは当たり前。でも、会長自身はいたって平然。
「過程どうこうなんて問題にもならないわ。結果を出すつもりなら、力を尽くすのは当然のことですもの。まぁ、この件に関しては、そういう意見もあるということで、軽く受け流しましょう」
そう言って会長は、手振りで新聞を要求する。こう言われるともう、ゆかりさんとしては大人しくするしかないんだろうなぁ。
「ですが会長。今回に限っては、その過程のところ、もうちょっと強調しても良かったんじゃないんですか? そうすれば、総会のときのみんなの反応も、少しは変わってたと思うんですが?」
「わからない? 自分の苦労・功績をひけらかさない。そこが大和撫子の奥ゆかしさでしょ」
なぜか誇らしげに胸を張るゆかりさん。
「そうなんですか? 諦華さま」
いずみちゃんが、新聞を手渡しがてら質問する。
「バカね~。奥ゆかしい人間が、そんなこと自分で言うわけないじゃない」
呆れ顔のゆかりさん。
「そうなんですか? 諦華さま」
「あー、もう! ホントじれったいわね、あなたって子は!」
ふたりの掛け合いに、くすくす笑い声をたてながら、会長は新聞に目を落とした。
「だけど、この記事を書いた人、一体どういうつもりなの? 大局の決した今、立つ波風なんて知れてるっていうのに。もしかして売名行為?」
ゆかりさんが忌々しげに新聞を見つめる。
「あぁ、いますよね。著名人とかをこれみよがしに非難して、注目を集めようとする人」
「そうそう。世間で認知さてる人物を批判できる自分は、その人よりも上の存在ですごいんだっていう勘違いアピール? そもそも、そういう連中って、反体制とか反権力とかを気取る連中と同じで、何かと対比させる形でしか自分という存在を示せないダメ人間なのよね。自分のダメさ加減をわざわざ公言するなんて、ホント、バカよね。そうじゃなければ、ただのやっかみ。娯楽・知識・利便性、その他諸々、人が求める価値を提供して、脚光を浴び続ける人間がいる一方で、人からちやほやされたくてたまらないのに、まったく見向きもされない矮小な自分がいる。だから、そんな才能を持った人たちがが妬ましくってしょうがない。せめて悪口でも言って憂さ晴らし。大方そんなところでしょ。ホント、浅ましい。ほら、認めちゃいなさいよ。別に恥ずかしいことじゃないのよ。下賎の人間にゲス根性が宿るのは、むしろ当然のことなんだから」
ゆかりさん、一体誰に向かって話てるんだろう? 視線の先にディスプレイがあるってことは、ネット上の誰かが仮想敵?
「もしかしてそういう発言、ネットでもしてるんですか?」
「当然。いるのよね~、個人の特定が難しいのをいいことに、無責任な批判や提言を繰り返すのが。そういう奴には、はっきり言ってやるのよ。自分の発言にきちんと責任を負う度胸も度量もないくせに天下国家なんて語るな! このイカレチキン! ってね」
「そ、それ、ちょっとヒドくないですか?」
「そう? でも、私のやってるのは一種のカルト狩り。ボランティアよ、ボランティア。あるでしょ? あきれる様なレスばっかりで、良識人は見限って、同類ばかりが寄り集まって、ひとつのカルトのできあがりってことが。なかには普通に革命扇動とか犯罪者礼賛とかしてるのがあるから、ホント、引くわよ」
「それは、確かに……」
「ま、私が標的とする目安は、やたら自分の説に自画自賛的であること、自分の体験・経験・境遇を得意げに語る自己陶酔型、自分に肯定的な人間にはシッポを振って、否定的な人間にはソッポを向く排他性、それでいて議論歓迎とか平気で言うご都合主義ってとこかしら。これに当てはまれば、もうかなりの危険信号ね。そういう人間て、もう聞く耳とか持ってないから。いわゆる『自分の理想は、他人にとっても理想のはず。それが理解されないのは自分じゃなくて相手が悪い』とか本気で思い込むタイプ? そういうのが徒党を組むと、違う考えの人に集団リンチとかするのよね~」
「うわ~、そういうのって警察に任せたほうがいいんじゃないんですか? まんま騒乱罪予備軍じゃないですか」
「そうね~。だけど、楽しいわよ~。矛盾点とかつついてやると、粗隠しのために、どんどん主張が支離滅裂になっていくから」
紅茶のフレーバーを楽しみながら、悪い笑顔のゆかりさん。あ、悪趣味……。
「でも、なんでそういう人って自分の主張に固執するんでしょう? 将来どうであれ、今実際に生きている人が魅力を感じてないってことは、結構重要だと思うんですが?」
「わかった! 変な電波を通じて、啓示とか受けてるんだよ、きっと!」
嬉々として語るいずみちゃん。対して、眉をひそめゆっくり首を横に振るゆかりさん。
小さく笑った会長が新聞から目を離す。
「なにかその人なりの信条でもあるのでしょう。やたらと『こうすべき』『こうあるべき』とか言うのがその表れ。だけど、政策面にしろ、心情面にしろ、人の『こころ』を抑圧するような形のものは、多かれ少なかれ失敗する憂き目にあうのが世の常ね。『人はこころで動くもの』、そして、その『こころ』自体、自分自身でさえ理解も制御も不可能なブラックボックスなんですもの」
会長が、机の上に読み終わった新聞を載せる。
「どんなに正しいように思えても、人の知識なんて結局は辻褄合わせの理由付け。そんなものをいくら総動員したって、事の真相になんか辿り着けるものではないわ。何かを分析できたと主張する人は、一体何を根拠にそんなことを言うのかしらね。そんなあやふやな事実をもとに、生き方を強要されるなんて甚だ迷惑。人の『こころ』をないがしろにしてまでやらなけらばいけないことなんて、この世には存在しないと私は思うのだけれども」
一呼吸置いた会長が、あごを指でトントンしながら思案顔。
「しょせん浮世は夢うつつ 酸いも甘いもひっくるめ 楽しまずんばこれ如何」
言って優雅にひとあくび。これが会長の人生観? ホント、気楽なもの。きっとこの人にとっては、すべてが暇つぶしの対象なんだろうなぁ。それに付き合わされるこっちのほうがよっぽど迷惑。
「さ、それじゃあ、私は帰るわね。ところで、今日のエスコート役は誰かしら?」
会長がボクたち三人を交互に見つめる。
「諦華様、それなら私が……」
ゆかりさんがモジモジしながら立ち上がる。
「はい、はい、はい! あたし、あたし、あたし!」
いずみちゃんが元気良く手をあげる。
まったく、ゆかりさんもいずみちゃんも、会長にべったりなんだから。そんなんだから、二人のことをみんな面白半分、やきもち半分で『会長のネコ』、『会長のイヌ』とかって言うんだよ。でも、当の本人たちは、それを良しとしているところがあるから、ホント理解できない。そんな会長ありきの呼び名、ボクはゼッタイ嫌だけど。
当然ボクは、知らん顔。
そんなこんなしているうちに、会長からの決裁が下る。
「ん~。それじゃあ、今日は千里、お願いね」
「えっ!? ボクですか?」
よりにもよって……。当然、厳しい視線の洗礼が、選に漏れた二人から注がれる。
「立候補者が二人もいるのに、なんでですかぁ?」
「ゆかりは資料作成の途中よね。それに、いずみ。この間の議事録、まだ完成してないんでしょ?」
「……はい」
ゆかりさんといずみちゃんが、しょんぼり肩を落とす。
「つまり、そういうこと」
薄く微笑む会長。
「そういうことってどういうことですか? それじゃあ、ボクの『こころ』はどうなるんですかぁ? なおざりですかぁ? 抑圧ですかぁ?」
「その話は道々聞いてあげなくもないわ。だから、ほら。行くわよ」
言うが早いか会長は、さっさと扉に向かって歩き出す。
「そんなぁ~」
しぶしぶ付き従うボクの脇から、いずみちゃんとゆかりさんの捨て台詞。
「なにさ。カマトトぶっちゃって」
「天邪鬼」
え~。『天邪鬼』はわかるけど『カマトト』ってなにぃ~。
ささいな疑問とゆゆしき不平を抱えつつ、ボクは生徒会室を後にした。