第一話 千里の道も一歩から
うららかな春の日差しを受け止めつつ、緑豊かな学院敷地内に一棟の屋舎がそびえ立つ。久しく風雨にさらされてきたことを如実に物語る、鈍くくすんだ赤レンガの外壁。一朝一夕では出ない、深い味わいの緑青で覆われた銅板屋根。それらは見る者に、いやがおうにも建物自体の歴史の古さを知らしめる。はたまた、内装においても同様に、意匠の凝った木製設備品の数々などは、年代物特有の光沢を放ち、その使用者に懐古と回顧の念を喚起させる。『用途』として建てられる現代の建物とは一線を画し、過剰なまでに様式美が追求された、古きよき時代のエッセンスを今に伝える建築物。文化財に指定されうる資格を十分に備える風格漂う講堂は、我が校が押しも押されもせぬ伝統校の証である。
しかし、現在その内部は、厳かな佇まいとは相反し、若い熱気と、うわついたざわめきで満ち溢れていた。
明らかに場違いな今の喧騒を目の当たりにしたら、この記念講堂に名前を提供した人物は憤るだろうか、それとも嘆くだろうか。もっとも、その人は、すでに故人となっているのだから、もはや確かめる術はないのだけれども。
ハァ……。こんなどうでもいい文言が頭にうかぶってことは、やっぱり現実逃避なんだろうなぁ。いくら逃避行動に走っても、直面してる問題からは逃げられないってこと、頭ではわかってるんだけど……。
ボクは今、講堂内のステージに立っている。気もそぞろに顔を上げれば、目の前に広がる十重二十重の聴衆席。そこにひしめく生徒のみんなは、さっきからせわしなく、隣近所とおしゃべりを交わしている。この様子を悪くたとえるなら、まるで街路樹や電線に大挙してやってきた鳥のよう。体は同じ方向を向いてるけれど、視線は思い思いの方向で、何かをさかんにさえずっている。それにどんな意味があるのやら……。その一語一語にはちゃんと意味があるんだろうけど、数百人がいっぺんにしゃべってると、本当にガヤガヤっていう雑音にしか聞こえない。これって、いろんな絵の具を混ぜ合わせると、色が失われて黒くなるのと同じ原理?
でも、こうやって俯瞰的に見ていると、それぞれの行動に、なんとなく類似性や法則性みたいなものが感じられるから不思議。これも、あらゆる事象を分類したり、なにかしらの意味を付与して理解したがる人間の性からくるのかな? あ、今はそんなこと、どうでもいいことか。また、逃避行動に走ってしまった……。
そう、今のボクにはやり終えなきゃいけないことがある。ざわめくみんなを前にして、ボクはただ、機械的に事務的に、手元の原稿を読み上げる。
今日は、私立雅乃園学院高等部の生徒総会。生徒会に籍を置くボクは、不本意ながら、とある事案の経過報告を行っている。
たいていの生徒総会なんて、無関心的な静けさのなか、坦々と議事が進行していくっていうのが定番のはず。だけど本日この場に限っては違ってた。もしマイクがなかったら、きっとボクの声は、完全にかき消されてるんだろうなぁ。でも、結局はあってもなくても同じなんだけど。演台からだとよくわかる。ボクの言葉なんか誰も聞いちゃいないってことが。それもそのはず。みんなが聞きたいのは、こんなまどろっこしい説明じゃなくて、最後の結論部分なんだから。
その問題の部分はもう間近。ボクは一呼吸置き、締め括りとなる一文を読み上げた。
「以上のような経緯から、今後、校内での携帯電話の使用は禁止となります」
この言葉を皮切りに、講堂内では大ブーイングの嵐が巻き起こった。張りのある声帯からほとばしる非難の大合唱は、ある意味、モスキート音も目じゃないくらいの高周波。鼓膜をつんざく大音響に、ボクはクラクラ立ちくらみ。
まぁ、この反応は予想通り。いくら古式ゆかしい校風が売りだからって、そこに通う生徒は、まぎれもない高度情報社会の申し子たち。いまどきケータイ禁止なんて規則、受け入れられる可能性なんてほとんどゼロ。
絶対ひんしゅく買うことになるってわかってたけど、いざ直面してみるとやっぱり萎縮してしまう。
うわぁ……。明らかにこっち見て何か叫んでる人がいる。それもすごい形相で。しかも、ひとりやふたりじゃない。うぅ……、これは、怖い。ボクは思わず後退った。
急いで原稿をたたむボク。あとは敵意むき出しの視線をシャットアウトして、逃げるように演台を後にした。ボクは悪くない、ボクは悪くない。心の中でそう繰り返しながら。
みんなの罵声を背中に受けて、気分はまさに陰鬱そのもの。もっとも、気分どうこうっていうのなら、この大役を仰せつかって以来、ずっと沈んだままだったけど。
「静かに! 静かにしてください!」
傍らで、マイクに向かって悪戦苦闘を演じる議長さん。だけど、みんなは完全無視。それでもなお、収拾を図ろうとする議長さんの姿には、本当に頭が下がる。あぁ、この人も貧乏くじを押し付けられた被害者なんだ。気苦労お察します。
今さっきの係助詞「この人も」の『も』は強調じゃなくて並列の意味。つまり、貧乏くじを押し付けられた人間はもうひとりいるってこと。そのもうひとりは、言わずと知れたボクなんだけど……。
どうしよう、この総会が終わったら、きっとみんなから散々文句を言われるに決まってる。今回のことで、全生徒を敵に回したようなものだから。ボクはただ、経過報告をしただけなに……。
あ~あ、こんなことなら生徒会役員になんかなるんじゃなかった。面倒ごとの矢面に立たされるのはいっつもボク。損な役回りばっかり押しつけられて……。今日のことだってそう。そもそも、こういう重大懸案は、生徒会長自ら説明するべきじゃないんですか!
キッと顔を上げ、ボクは生徒会役員席中央の人物を見やる。そこに陣取るは、学内随一の才媛と謳われる、現生徒会長・二条諦華さん。見目麗しく、気品に満ちた趣きは、名のある画家の描いた貴婦人のよう。佳人の誉れ高き二条会長は、涼やかな顔で騒然とする講堂内を眺めている。心なしか笑みさえうかべているその様は、まさに絵になるって形容してもいいくらい。だけど、いくら頭がよくっても、いくら美人だとしても、ボクはこの人がキライ。
まったく、諦観してるのかなんなのか。とにかく傍観者気取りも大概にしてほしいよ、人の気も知らないで……。思わずため息が漏れる。
うぅ、いつもながら気分が重い。ダメダメ、とにかく気持ちを切り替えなきゃ。これじゃまた、胃がシクシク悲鳴をあげちゃう。
気を取り直して背筋を伸ばしたその瞬間、不意の衝撃が背中を襲った。ボン。
胸のほうまで振動が響く。誰かに叩かれたような、何かがぶつかったような衝撃。
(え? なに?)
訳もわからず直立不動で硬直する。同時に背後でゴトッと音がした。恐る恐る振り向いた先にあったもの。それは無造作に転がる片方だけの靴だった。さっきの衝撃と、どこからともなく現れた靴。そのふたつの連関が、ボクにひとつの可能性を想起させた。
途端に顔が熱くなる。ざわめきに混じる嘲笑が、さらに心を掻き乱す。
(なんで? なんで、ボクがこんな目に?)
ボクは知らず知らず持っていた原稿を強く握り締めていた。答えの出ない自問自答を繰り返し、やり場のない情念は迷走する。やがてその感情は、手近な憎悪対象を見つけて邁進していった。
(この人のせいだ! 全部この人が悪いんだ!)
ボクは二条会長を睨みつける。
(会長がボクにこんな仕事を押し付けたから! 会長がボクを役員に任命したから! あれもこれも、全部会長が悪いんだ!)
激しくなる動悸にあわせて、ドンドン不満が噴出する。
(もう限界! やめてやる! ゼッタイやめてやる!!)
怒りに任せての決断。ボクの思考は、どれだけ批判的かつ強烈に辞意を叩きつけるかというシミュレートへとシフトする。ただ辞めるだけじゃ不十分、会長に非があるってこと、必ず認めさせてやる! 最初に槍玉にあげるのはあれ! 次にあのことと、それからあのことも!
中空を睨み、あれこれ考えをめぐらすなか、視界の端で何かが動いた。ボクは反射的にそっちを見る。焦点の合った先にいた人物。それは今の仮想敵、二条会長その人だった。彼女は自分の席を後にすると、ボクのいるステージ中央付近へと歩み始めた。
(何のつもり?)
目がわたわたと会長を追いかける。
二条会長は自信に満ちた足取りで、一歩また一歩と近づいてくる。緑の黒髪をなびかせ颯爽と歩く姿は、まるでモデルさながら。これまであまたの異性・同性を魅了してきただけあって、立ち居振る舞いも伊達じゃない。だけど、同じ所作だとしても、相手に抱く感情ひとつで印象自体は真逆になるもの。今のボクにとっては、その動作ひとつひとつが忌々しくて憎々しい。とてもじゃないけど、のどやかに迎え入れるなんてできっこない。これでもかっていうくらい、牽制と威嚇の視線を投げつける。それでも歩みは止まらない。結局、彼女が足を止めたのは、ボクのパーソナル・スペースに一歩踏み込んだラインだった。否応無く不快感が跳ね上がる。
慰めにでも来たの? ふざけないで! 取り繕ったいたわりの言葉なんて、言ってるほうは気持ちいいかもしれないけど、言われるほうは自分が惨めな立場にあるってことを自覚させられるだけ。そんな言葉を吐こうものならゼッタイ許さない。どうせやめるんだ。今までのうっぷん、全部この場でぶちまけてやる!
ボクは精一杯の険しい表情で相対した。言いたいことは山ほどある。あとは戦端が開かれるのを待つばかり。ジッと会長の顔を凝視する。相手がどんな意味合いの言葉を発するかは、表情を見ればだいたい予想がつくものだから。
だけど、会長の顔に、ボクの想定した表情は、ひとかけらもなかった。あの偽善者特有の『心痛な面持ちを装ってはいますが所詮は他人事』っていう薄気味悪い哀れみの表情は。無言でただ真っ直ぐこっちを見つめるだけ……。待てど暮らせど彼女の口からは何の言葉も発せられない。
当てが外れて困惑するボク。困惑は次第に動揺へと変わり、ボクの意識が目の前にいる会長という存在にじわじわ侵食されていく。
そうだ、そうなんだ。ボクの知ってる会長は、確かに変な人だけど、本当に困った人だけど、善意だろうと悪意だろうと自分の本心は包み隠さず伝える人。うわべで人と接する人じゃない。形式的な慰めの言葉なんて言うはずない。
ボクの都合が反映された虚像としての会長は崩壊し、実際の、生の会長へと塗り換わる。
それを待っていたかのように、二条会長は口を開いた。
「大丈夫? 千里」
押し付けがましい善意も何も含まれていない、ただの問い掛け。なぜかその一言に目頭が熱くなる。
「……はい」
ボクはそれだけ答えて目を伏せた。
どうして? いつもあんなに不満を感じている相手なのに……。ボクは必死で考えた。意識と反応とのズレに折り合いをつけるため。でも、いくら考えても戸惑いが増えるだけ。答えはやっぱり出ない。
うなだれ呆然とするボクを現実に引き戻したのは、視界に映る会長の足の動きだった。
再び歩き始めた会長が、すれ違いざまにボクの肩へと手を添える。ふたりの距離が開くにともない、その手は緩やかに離れていった。撫でるような感触と、ほのかな会長の香りを後に残して。ボクはそれらの感覚を追い求めるように振り返った。
ボクがその後ろ姿を捉えたとき、二条会長はすでに演台まで到達していた。彼女はマイクスタンドからマイクを取り外すと、スタスタとステージ袖へと向かって行った。てっきり何かしゃべるのかと思ったけど……。ボクは会長の進行方向へと目を向ける。あっちには備え付けの大型スピーカーがあるだけなのに……。って、スピーカー!?
さっきまでの憂愁モードがあっという間に吹き飛ばされる。まさか、まさかと思うけど。マイクとスピーカーと二条会長、この三者が揃うことによって引き起こされることといえば、ボクの頭に浮かぶ回答はひとつだけ。それを導き出したのは、マイクを使う立場になったからこそ知りえた知識。そんな立場、ホントは今でも嫌だけど、今回だけは感謝します。ボクはとっさに目を閉じ、耳を塞いだ。直後。
キーン!
わずかに伝わる不快な音。
やっぱり! 故意にハウリングを起こすなんて、会長、無茶苦茶すぎですよ!
こんなの突然お見舞いされたら、とてもじゃないけど耐えられない。きっとみんな、今頃は……。あ、そうか。別に目は閉じる必要はないんだ……。
パッと目を開け見た光景、それは苦悶に顔を歪め、さっきのボク同様、耳を塞いで目をギッチリ閉じているみんなの姿だった。やぱりそうなるんだよねぇ、脊髄反射って言うんだっけ?
いやいや、今はそんな悠長に感心してる場合じゃないよ。ボクは急いでこの惨事を引き起こした張本人へと視線を向ける。当の会長は、なにくわぬ顔で演台へと引き返してる最中。本当に、あなたって人は……。これはれっきとした問題行動ですよ。まぁ、それはいつものことだけど……。もう、あきれてため息しか出ない。
ハウリング音が止んだのを受けて、みんなの混乱も収まっていく。ただ、さっきまでとは違うのは、講堂内が完全な静寂に包まれてるってこと。
演台に立った会長が、生徒のみんなに、おもむろに語りだす。
「やっと静かになったわね。あなたたちの不満はわからなくもないけれど、闇雲に騒ぎ立てても何の解決にもならないわよ」
マイク片手に話しながら、くいくいとボクに手招きする。
意図はまったくわからないけど、とりあえず応じてみる。会長の傍まで行くと、ボクはくるりと反転させられた。
「可哀想に、本当に心が痛むわ。どうしてこんな酷いことをするのかしら? 思い通りにならないから、かんしゃく起こして八つ当たり? それじゃ、まるで幼児と同じね」
いけしゃあしゃあと弁じながら、時間をかけて、ゆっくりと、会長はボクの背中を手で払っていく。まるでみんなに見せつけるように。
この行動で、ボクははっきり理解した。わざわざこんなことをする理由を。
ボクに隣で控えるよう合図した会長は、正面に向き直り聴衆席を一瞥する。
「誰なの? こんなことをしたのは」
そう。一連の行動はすべてこの一言に係っている。靴を投げつけるという行為が悪行だと、はっきり認識させるため。案の定、さっきの抗議・非難で生まれたであろう連帯感は見事に断ち切られ、みんなの顔が一斉に投擲元のポイントを指し示す。そりゃ、自分の近くから靴が飛んでいけば、誰だって気付くよね。
もう犯人特定は時間の問題。ですが会長、こんな公衆の面前であぶりだすっていうのもどうかと。それに、一応被害者であるボクとしては、犯人が誰かわかってしまったら、その人とどう接すればいいかでちょっと困るし。知りたいような知りたくないような、そんな複雑な思いが入り混じる。
でも、この人のことだから、きっと……。
「ま、ここで犯人を晒し者にしても意味はないわ。これ以上の追求はやめておきましょう」
半ば成り行きを予想していただけに、一瞬ボクは耳を疑った。
完全に嘘! 信賞必罰を旨とする会長が、こんなうやむやにことを終わらせるなんてありえない!
だけど、ある一点を見据える会長の横顔を見てボクは納得した。そういうことですか。犯人の人、ご愁傷様……。
床に転がる靴を見つめながら会長はさらに続ける。
「それにしても、こんなことして何になるの? これでも抗議のつもり? 本当にバカバカしい。あのねぇ、有形力を行使されたら、誰でも心を硬化させるに決まっているでしょう? それで事が丸く収まるなんてこと、あるわけないじゃない。人に翻意を促すなら、もっと建設的な手段があるでしょうに」
視線を戻した会長が聴衆席全体を見回す。
「あなたたちもそうよ。さっきの大騒ぎは一体なぁに? あれじゃ、ただの罵詈雑言。とても異議異論なんて呼べる代物ではないわ。あんなことで何かが変わるなんて期待するだけ無駄。もっと考えて行動したら? いい? 胸に手を当てて思い起こしてみなさい。家庭で、学校で、テレビで、ネットで、『一億総評論家』なんて言葉があるらしいけど、実際、身の回りで批判めいたことを耳にするのは日常茶飯事。でも、現実問題として、それらの批判・提言が社会問題の解決に直結して何かが改善されたって実感したことある? ないでしょう。まぁ、それらの大半は愚にも付かない妄言だってこともあるけれど、多くの批判・提言なんてものは、その後の過程が完全に途切れてしまっているのだもの。発っせられた言葉に基づいて行動する人間なんてほとんど皆無。発言をした当の本人でさえもね。大抵の場合が言いっ放しの尻切れトンボ。それじゃあ、何も解決するはずないわよねぇ。それでも仲間内でなら、単なる愚痴として聞き流してもらえるから許容範囲でしょう。でも、公の場でそれをやってしまったら、『口先だけのペテン師』とか、『実行力のない能無し』なんて、そしりを受けるわよ。それともあれ? 文句を言えば、誰かが同調して自分の代わりに行動を起こしてくれるとでも思っているのかしら? だとしたら、どうしようもない他力本願体質ね。ただわめくだけで、後はすべて人任せ。そう、まるで赤ちゃん。赤ちゃんは自分では何もできないから、泣くことで親に面倒をみてもらうでしょう? でもね、それは親と子という関係性があるから成立するものなの。赤の他人が交差する社会において、誰が好き好んでそんなお節介焼くものですか。わかるでしょう? あなたたちが他人の不平不満に対して関心が無いように、他人もあなたたちの不平不満になんて興味ないんですもの。偉い人も言ってるでしょう? 『人を動かしたいなら憶測で語るな、結果で示せ』ってね。そもそも、最低限の思考力があるなら気付いて当然なのよ。ご自慢の理論が物議をかもし出せないでいるってことは、世間から必要とされてないってことだってね。どちらにしろ、まっとうな社会生活を送っている大人はね、そういう思慮の足りない人間が垂れ流す妄言に付き合うほど暇じゃないのよ。ま、それでも、自分の考えが真っ当だと疑わないのなら、私は別に止めはしないわよ。好奇とあざけりの目に晒されながら、無様にわめき続ければいいわ。いつまでたっても大人になれない、とこしえの赤ちゃんたち」
会長の顔にうかぶ蔑みの表情。張り詰める講堂内の空気。自然と厳しい視線が会長に集中する。あれだけキツイこと言ったんだから、この場の雰囲気は当然かも。
でも、裏を返せば、それだけ会長の話が聞かれてるってことの証明。そりゃ、悪口を言われて知らん顔できる人なんて、そうそういるもんじゃないしね。そう。これも、会長お得意の導入術のひとつ。みんな完全に乗せられちゃった。ってことは、やっぱり今日も始まるんですね……。
会長がマイクスタンドにマイクをセットしたのを合図に、講堂内の照明がフッと落ちる。代わってパッと点灯するスポットライト。まばゆい光が、まがまがしく、もとい、神々しく会長を照らし出す。まったく、いつの間に舞台装置まで掌握したのやら。後で問題にならなければいいけど……。何はともあれ準備万端整って、会長は開口一番、咆哮する。
「聞け! 我が同胞、我が学友たちよ! 私は今、諸君に苦言を呈した。それに対し君達は何を感じ、何を思ったか? 何も思うところなく、ただ反感のみを感じた者は去れ! 人の意見に耳を貸せぬ者の器量など、たかが知れている。そのような者が、ここで何を学べるというのか。曰く、欠点を指摘されても改善できぬ者は白痴である。事実を突きつけられて憤りを感じる者は偏狭である。言及された誤りに対し開き直る者は愚劣である。果たして諸君は、それら愚者と同じであるのか? いや、私は決してそうとは思わない。そして私は信じる。諸君が私の言葉に耳を傾けてくれることを。なぜなら、私は諸君らによって選ばれた存在なのだから!」
いつもながらの名調子。今日は独裁者バーションですか? 語り口もさることながら、白魚のような手が縦横無尽に宙を舞う。その繊細な動きは、どことなく舞踊を連想させ、思わず視線が誘導される。こういう風に、少し大袈裟とも思えるくらい身振り手振りを多用するのが会長のスタイル。これは彼女の持論『真摯に語りかければ必ず聞いてもらえるなんて絵空事。もし大衆に話を聞かせたいなら、カリスマ性は必要不可欠。だからこそ、演説者はパフォーマーでなくてはならない』ってことの実践らしい。事実、会長の演説は人を惹きつける。それは説得力どうこうってことよりも、さっき言ったパフォーマンス性と、絶妙な間の取り方に代表される話術による効能って言っていいと思う。そして、忘れちゃいけないのが二条演説の最大の売りであるその声。ただ『いい声』ってだけじゃなくて、聞いてて心地いいって言うかなんと言うか……。ウソかホントかわからないけど、なんでも会長は『1/fゆらぎ』の声の持ち主だとか。そのせいなのか、人によっては恍惚感すら覚えるって言うほどだからスゴイ。
それらの要素が相乗効果を生み出して、今も会長の話に引き込まれつつある生徒の数は急増中。これで今日も大多数の賛同を得て無事終了かな? でも今の話って要するに、『私はおまえたちの選んだ代表者なんだから、黙って言うことを聞け』ってことですよね。ホント独裁的。
だけど考えてみると、会長の言うことにも一理くらいはあるかも。政治の世界では任命責任がどうこうって言われることがあるけど、本を正せば、それよりもっと根本的な選出責任てものが代表者を選んだ側にあるはずで。なぜか誰も言わないけど……。それに、民主主義だと選挙結果は構成員の総意になるわけだから、自分が投票したんじゃないからって理由で、責任を回避したり、統治機関の決定に従わないでいいなんてこと認められることじゃない。もしそれが嫌だって言うのなら、別な体制を採るところに移ればいいだけの話。今の時代、移住なんてそんなに難しいことじゃないし、そもそも、ずっとここに居てくださいなんてお願いされてるわけでもないんだし。だから、ここに居続けるってことは、ここの体制に従いますってことの意思表示と同じ。だったら、きちんとルールに従わなくっちゃダメだよね。それでもやっぱり不満があるって言うのなら、ちゃんと適正な手段に則って活動しなきゃだよね。靴を投げられた被害者だから言うわけじゃないけど、やっぱり変な手段に訴えられるのは困ってしまう。勝手に盛り上がって過激な行動をとられると、周りが迷惑するだけだから。言論の自由とかは保障されてるんだから、ちゃんと議論すればいいのに。ま、今の会長だったら『大多数を形成できないような弱論なら、黙して語るな!』とか平気で言いそうだけど……。あ、でも、結局みんな『社会正義の実現』とか、お題目を傘に着て、自分の都合を押し付けようとするだけだから、議論に決着なんかつくわけないか……。そう考えると、やっぱり必要とされてくるのは、求心力のあるリーダーってことなのかなぁ。う~ん、と唸り声を上げながら、ボクは演台で熱弁をふるう二条会長へと視線を移す。
「されど、私は神ではない。全能でないだけに、当然、誤りも犯す。そのことにより諸君と間に齟齬をきたすこともありうるであろう。その事態に対し、諸君のどのような態度をとるのだろうか? 先ほどのように不満を口にするだけでは何も解決しないのは周知の事実である。ただぐずって騒ぎ立てるのは幼児のすること。そのような稚気の所業など、黙殺されるのは至極当然である。正常な分別を持ち合わせているならば、真に事に当たる気構えがあるのならば、自ら行動を起こすものである。田畑も耕すことをしなければ収穫をもたらさない。行動を起こさずして何かを得ようとするなど、無思慮の極致。『守株』の故事は、それらただ与えられることのみを望む愚か者たちへの戒めである。有史以来、多くの人々が欲して止まない富や栄誉、それらは与えられるものではなく、獲得するものである。知識や技術も何らかの超越的な存在から与えられたものではなく、すべて先人たちの努力により獲得してきたものである。加えて、我々誰もが生まれながらにして有しているとされている権利でさえも、それは幾多の闘争を経て獲得したものである。勝利の女神は自らの意思を体現する者に微笑みかける。金銭・物資は無尽蔵に湧き出るものではなく、世の中を循環しているものである以上、与えられることだけを望み、自らが何も行動しなければ、逆に奪われる側となることは必定。それが嫌なら行動せよ! 何かを欲するならば自ら動け! この一言こそ、今の世を生き抜く指標たりえるであろう。今回の件も、諸君が率先して行動を起こすならば、私は再度、学校側と折衝を持つことを約束する。立てよ、乙女! 己の権利を守るために。乙女たちよ、立て! 己の理想を実現するために。立って己が意志を世に知らしめよ! その大事が成った暁、私は、真の意味で、諸君の意思代行者となるであろう!」
二条会長が両手を高らかに掲げたのに合わせて巻き起こる大歓声。今にも『ジーク!』とか『ハイル!』とか聞こえてきそうなくらいの熱狂振り。まったく、この会長にしてこの生徒あり。ホントみんなノリがいいんだから……。
それにしても、こんな結果で終わるんだったら、今日のボクの災難て一体なんだったの? 正直、噛ませ犬もいいところ。完全に骨折り損のくたびれ儲け。
「ハァ……。もう、帰りたい……」
ボクは今日、何回目かのため息をついた。