女、同業者と出会う
月凪は目の前の女を見つめる。
同業者と断言はしたが、かと言って信用できるかと言えばそうでもない。
陰陽師のような職業の人間は、なかなかどうして信用できる人間がいないのだ。
……人のことは言えないが。
月凪が黙りこくっていると、女――桐生小百合は首を傾げた。
「どうかなされましたかぁ? もしかして私のこと、信用してないとか?」
「……」
「まぁしょうがないですよねぇ。こんな職業ですから。ところで、月凪さん」
小百合は少しだけ距離を詰めてきた。おそらく、話しやすいようにだろう。
「月凪さんは、どなたに師事されているんですかぁ?」
「……賀茂忠行様だ」
短く答えると、小百合は驚いたようだった。目を見開き、「凄い」と呟く。
「かの忠行様に師事を受けられるなんて……うらやましいですぅ」
「そちらはどうなのだ? 桐生……どこかで聞いたことがある――気がするが」
「宇治に細々と続く、呪術師の家系です。……私の代で、終わりとなるでしょうけど」
小百合は哀しげな微笑を浮かべた。月凪は首を傾げるが、問うより先に、小百合は話を変える。
「実は、私は安倍晴明殿に用がありまして都まで来たんですぅ。その前に、手土産としてここに住まう鬼を退治しようと思ってたんですけど」
「兄様に? 一体何用だ?」
「ちょっと所用で……。……ん? え、あ、兄様?」
「あぁ」
月凪は、知らないよなとその反応に納得し、衣越しに頭をかいた。
隠していたわけではないが、そのことを口にすることは極端に少ないため、知られることが無い。
だから、驚くのも無理無いだろう。
「安倍晴明は、我の双子の兄だ」
「……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
小百合の叫び声が、深夜の都に響き渡った。
―――
「というわけで連れてきた」
「どういうわけだ」
晴明は頭を押さえた。
晴明の自室。そこには三人の男女が座している。
一人は部屋の主である晴明、もう一人は妹の月凪、最後は客人の桐生小百合である。
「こんな時間に……非常識だと思わないのか」
「あう……」
呻いたのは小百合だ。月凪はしれっとしている。
小百合の方はどうか知らないが、月凪はどのような場面でもめったに動揺することが無い。感情の起伏が少ないのだ。
そんな妹の反応はいつものことなので、晴明は小百合の方に注目することにした。
「それで、小百合殿。私に用とは一体何なのですか?」
「は、はい」
先ほどまで縮こまっていた小百合だったが、問われてすぐさま冷静な顔付きになる。
「実は私が居を置く宇治にて、奇妙な噂が立ちまして。それが晴明殿に関わっているという話を聞き、こうして都まで来たのです」
「私に関わっている……?」
「ということは、我にも関わりがあるのかな」
月凪が首を傾げた。
「多分……私も人伝に聞いたことなので断定はできませんが……」
「人伝?」
晴明と月凪は顔を見合わせた。
「人伝……とは一体誰に?」
「えっと蘆谷……蘆谷道満と名乗っていたと……」
「蘆谷道満……?」
月凪が首を傾げた。
「はて……聞いたことがあるような?」
「私も……しかしどこだったか」
晴明も首をひねる。何だか頭のどこかに引っかかってるような感じで、気持ち悪い。
「……して、その噂とは?」
幾ら考えても解らないので、とりあえず晴明は噂のことを尋ねた。
「はい。ある化生のものが、晴明殿を探しているというものです。晴明殿を探しているという点は道満殿から聞いたので、宇治に流れる噂は、その化生が何かを探しているとだけなのですが」
「その化生とは何なのだ」
月凪の質問に、小百合はすぐ答える。それが、晴明と月凪を大きく揺さぶるなど考えもしなかったろう。
「狐です」
びきり、と自分の感覚が固まったのを、晴明は自覚した。
狐だと。他の物怪ではなく、よりによって狐?
「そ、それは……」
口を開いた晴明は自分の声が上ずっているのに気付き、舌打ちをしそうになりながらも声音を調整した。
「本当か? 本当に狐なのか?」
「はい。私はその化生を見たことがありませんが、噂では」
「……」
絶句。それしか反応ができなかった。
ただ狐がいるというだけなら、晴明はここまで動揺しなかっただろう。しかし問題は、その狐が自分を探しているという点なのだ。
自分を探す狐。晴明はそれを一匹しか――否、一人しか思い当たらない。
「兄様……」
月凪が、衣で見えない顔をこちらに向けた。おそらくその表情は、戸惑いの色に染まっていることだろう。
(あるいは、そんな表情をしているのは私か)
自嘲気味にそう思い、晴明は沈思した。
しばらく、その部屋を沈黙が支配する。
晴明は勿論、月凪や小百合も何も言わない。いや、何も言えないのかもしれない。
この部屋は晴明のものであり、会話の主導権も晴明にある。自分が黙ってしまった以上、二人は話すのをためらってしまうのだろう。
頭の端でそう思い、晴明は顔を上げた。
「小百合殿」
「はい?」
「今夜ここに泊まりなさい。忠行様ならこころよく受け入れてくださるだろう。宇治に行くかどうかは、明日忠行様と話を付けねばなるまいし」
「何を言う。我は許可を得ずとも旅に出れたぞ」
晴明は例外の塊みたいな妹の言葉を黙殺した。
「私は、陰陽師など名ばかりで、お恥ずかしいながら未だ修行中の身です。師の許可無くそのような存在に会うわけにはまいりますまい」
「そうですねぇ……あい、解りました。では明日、よい報せをお待ちしております」
小百合は頭を下げた。
晴明は「はい」と頷きながらも、師が二つ返事で了承してくれると感じていた。
彼もまた、晴明と月凪の出自を知っているのだから。
―――
『兄様が宇治に行かれた。つまらん』
それだけ書かれた文に、博雅はがくりと脱力した。
「もう少しぐらい書いてくれたっていいじゃないか……せめて会えるかどうかの返事ぐらい……」
少し傷付く。泣きたくなったが、自室で男が一人泣くという構図を想像して思いとどまった。
月凪と知り合って一週間近くになる。秋の色は更に深まり、蒸し暑い中にも涼しい風が吹くようになった。
「それにしても、月凪殿は本当に晴明殿が好きなんだな」
博雅は流麗な字を眺めながら呟く言葉が幾らかの嫉妬を含んでいることに気付き、苦笑をもらした。
晴明は月凪の兄ではないか。しかも年下に嫉妬とは、情けない。
月凪の文で二人が自分より二つ下の十七歳と知った時、博雅はとても驚いた。てっきり同い年か、もしくは年上かと思ったのだ。
老けているとかそういう理由ではなく、あまりにも成熟した雰囲気でそう思ったのだろう。
「ああいうのを、早熟と言うのだろうか」
さすが天才陰陽師、と博雅は一人ごちる。
もっとも、晴明はまだ修行中の身であり、仮が付くそうだが。月凪にいたっては、どうも普通の陰陽師と性格が違うらしい。
どう違うか詳しく書いてくれたが、陰陽道に明るくない博雅にはよく解らなかった。もっとも月凪の方もそれは予測済みだったようで、「理解せずともよい」と文の最後に書いていた。
「謎の多い兄妹よな……」
博雅はうん、と伸びをした。
「さて……月凪殿への文を書くか……しかし何と書こう」
博雅は紙と硯、それに筆を出すも、すぐ行き詰まる。
物語であろうと文であろうと書き出しとはなかなかに難儀なもので、まずそこにつまってしまうことはたびたびあった。
……物語など書いたこと無いし、文もまだ両手で数えられるほども無いのだけれど。
「こんにちは……違う、ごきげんよう? 俺の性格じゃない。お元気ですか? ありきたりにもほどがある」
『何を悩んでおるのだ』
「何って、貴女に書く手紙を……って!」
博雅は勢いよく振り返った。あまりの勢いに首と、ついでに背骨から嫌な音を立てる。
「いっ……っ~!」
『何をしているのだ、全く』
それはあきれたようなため息をついた。
「つ、月凪殿? ……じゃない」
博雅はぽかんとしてその生き物を見つめた。
猫である。白に茶色い毛色が混じった、愛らしい猫だ。
「猫が喋るわけ……無いな」
『普通は喋らぬな』
「うぉっ!?」
博雅は飛び上がった。
「つ、月凪殿の声!? しかし、え……」
『この猫は我の式だ』
猫は月凪の声でそう言った。否、喋っているのは月凪本人だろう。
しかし猫が式神とは。
「生き物が式になるのか」
『まぁな。紙の方が楽なのだが……我は猫が好きでな』
そんな理由で猫を使っているのか。
未だに月凪の性格が掴めない博雅だった。
『兄様は花を式にしていたかな。無論、兄様も我も紙を使うことはあるぞ』
「そ、そうか。ところで月凪殿」
博雅は首を傾げた。
「なぜ俺、いや私の屋敷に?」
『帝の前じゃあるまいに、一人称まで変えなくてよい。いやな、文にも書いたが、暇でな。日のある内は出かけられんし、こうして式をおまえのところに放ったのだ』
「そうか」
形はどうあれ会いに来てくれたことに、博雅は嬉しくなる。
しかし、やはり直接会いたいと思った。
「……なぁ、月凪殿」
『うん?』
「会いにいっては、いけないか?」
月凪が住んでいるのが加茂忠行の屋敷だというのを、博雅は知っている。そこに行けば、月凪に会えるのだ。
今まで無視をし続けられたが、今ならそれもできまい。
事実、月凪は口を閉ざしているようだった。
「ごまかしたりせず、ちゃんと答えてくれ。わた……俺は、貴女に会いたい」
『……無理だ』
しかし答えは、素っ気無いものだった。
『三度四度も会っては、おぬしの心を狂わせかねん』
「……どういうことだ?」
博雅は眉をひそめた。
「何か、あるのか」
『……』
「月凪殿?」
『……はぁ』
月凪はため息をついたようだった。
『詳しくは言えぬよ。ただ……我の容姿は、常に呪がかかった状態らしいのだ』
自覚は無いがな――と月凪は何かを憂いた口調で言う。博雅はまた首を傾げた。
「なぜ、そのようなことに? 一体どのような呪なのだ?」
『最初のは言えぬな。後の方は……つまり、心を狂気に導くのだよ』
月凪は実に言いにくそうに、しかしはっきりと言った。
『高い力を持つ術師でなければ、人も鬼も関係無い。おぬしが今現在狂っていないのが、奇跡のようなものだ』
「そんな……」
博雅は言葉を失った。
そんな呪があるなんて、博雅は知らなかった。
月凪自身はその容姿と実力を除けば、少し男勝りな『普通』の女性なのに。
『そういうわけだ。おぬしには会えぬ。だが文は続けようぞ。ではな』
月凪はそう言って――正確には月凪の式である猫だが――その場から姿を消した。
後に残されたのは、呆然とする博雅のみである。
「……月凪……」
博雅は無意識のうちに女の名を呟く。
「俺、は……」
聞く者もいないのに、博雅は口にする言葉をずっと選んでいた。