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月華狩人  作者: 沙伊
2/5

女、男の笛で舞う




 安倍晴明(あべのせいめい)という男は、誰も彼も、異口同音に「謎」と言わしめられる。

 その出自も、考えも、本性すら、表に出ることはなく、また表に出さないからだ。

 それらを知るのは師である賀茂忠行(かものただゆき)、その息子である賀茂保憲(やすのり)のみである。

 ――否、もう一人。

 同じ出自である彼の妹もまた、彼のことをよく知る人物である。

 名を月凪(つきなぎ)。しかし彼女は、安倍の姓を名乗ってはいなかった。

 そもそも平安の世に、姓を名乗る女などいない。が、彼女はそんな理由で安倍の姓を名乗っていないわけではなかった。

 彼女は女でありながら、姓を持っていた。

しかも安倍ではなく、全く別の姓。

 それは、彼女が最も好む花の名だった。


   ―――


「馬鹿者が!!」


 師の怒鳴り声に、月凪は身をすくめた。

 普段は頭からすっぽり(きぬ)(かづ)いているのだが、しかし今はその顔を存分にさらしている。

 清らかなその姿は他を圧倒し、心どころか魂さえさらってしまうほどの美を誇るが、しかし賀茂忠行がそれに心を奪われることは無い。

 それはすでに高齢であるためか、それとも月凪が弟子であるためか。

 いや、どれも違うと晴明は思う。

 一重に、忠行様の術師としてのお力ゆえだと、確信を持って言える。

 月凪の美貌は、彼女の力が表に出た結果なのだから。

「あれほど顔を人目にさらすなと言ったのに……しかも相手は御上(おかみ)の甥だと!?」

「あぁ……あの男、御上の血族だったのですか」

 どうやら月凪は今そのことを知ったようである。切れ長の瞳を見開いていた。

 賀茂邸。館の主たる忠行の部屋に、晴明とその妹である月凪は来ていた。

 と言っても部屋に呼び出されたのは月凪一人であり、晴明は少し心配で付いてきただけなのだが。

 双子の妹である月凪は長いこと旅に出ていて、帰ってきたのは昨日の夜だ。ゆえに、彼女は先程まで眠っていた。

 そのせいか、まだ月凪は眠そうである。師を前にしていなければ、あくびをしているに違いない。

 容姿と性別とは裏腹に、はしたない真似を平気でするのだ、我が妹は。

 晴明が月凪の後ろで座りながら考えている間にも、忠行の説教は続く。

 そこまで月凪の姿を他人にさらしたくない理由。女だから顔を見せるのははしたないというのは、ここでは当てはまらない。

 なら、なぜ。それは、月凪の容姿に関係がある。

 それを説明するには月凪と晴明の出生から話さねばならないが、今の晴明の念頭に、そのことは思い至らない。

 とりあえずは、高齢の忠行の身体を(おもんぱか)って仲裁に入ることにした。



 ようやく解放された月凪は新しく与えられた衣を被ち、ため息をついた。

「我が何をしたというのだ……ただ顔を一人の男にさらしただけというのに」

「それが大問題なのだが……」

 妹の言いように、晴明は頭を抑える。

 月凪は、自身の姿をさらしてはいけない理由を知っている。知っているが、自分の容姿に関してはいまいち理解していないのだ。

 ――それが昔、ある事件を起こしたというのに。

「とりあえず、しばらくはこの屋敷でおとなしくしてるんだな」

兄様(あにさま)が言われるなら……」

 そう言いつつ、月凪の声は不満そうである。

「おいおい。つい昨日まできままに旅に出ていたのに、少しの間屋敷から出られない程度でふてくされるな」

「旅と言っても、出雲に一月(ひとつき)ほど行っていた程度だがな」

 月凪はごろりと横になった。

 だからそれははしたないと言おうとさて、晴明は口を閉ざす。言っても今更聞く奴でもない。

 代わりに、肩をすくめた。

「その後、因幡にも寄ったのだろう。全くふらふらと……何を考えているんだ」

「すまぬ、兄様。どうしてもこれが欲しくてな」

 月凪は部屋の隅に置かれた刀に手を伸ばし、持った。

 紅の柄に紅の鞘。隠れた刃は、白銀の輝きを持っている。一瞬観賞用とさえ思えるほど美しい刀だ。

 しかし晴明は知っている。それがどういう代物かを。

「出雲に滞在していた際に聞いた噂で、いてもたってもいられず因幡に向かった。噂が虚実でなくてよかったよ。おかげで我は、この刀を手に入れた」

「その妖刀をか」

「妖刀……となるのかな、やはり。しかしそれと同時に名刀でもある」

 月凪は僅かに見える紅い唇を緩めた。

「昨日初めて抜いたが、素晴らしいよ、この刀は。しかし同時に危うい。だからこそ、我は欲した」

「他者がその刀に飲まれぬように、か」

 晴明はふっ、と笑った。

「優しいな、おまえは」

「そう言ってくださるのは、兄様と忠行様だけだ」

 月凪も笑い返す。

「保憲様は?」

「保憲様も……かな」

 忘れていた、と月凪は呟く。おそらく衣の下では、申しわけないという表情など微塵にも無いに違いない。

 そんな妹に晴明はやれやれと首を振りながら、ふと思う。

(それにしても……源博雅か。一度会ってみるかな)


   ―――


 源博雅は内裏にいた。

 昨夜のことを思っていたためにあまり寝れなかったが、しかしそれを帝に悟られずにほっとしている。

 今はぼぅっと、近くの木を眺めているだけである。思い出すのは、やはり昨夜のことだ。

 月凪。月下で出会った、美しい女。

 彼女にまた会いたいと思うのは、純粋に彼女に礼がしたいからなのか。いや違う。それ以外にもあることに、自分は気付いてる。気付いてしまっている。

 しかしまた会えると確信してはいるものの、どうやったら会えるかなど解らない。どこにいるかも、博雅は知らないのだ。

 知っているのは月凪という名と、信じられないようなその容姿。

 それだけで、たったそれだけで一人の女を探し出そうなど無謀にもほどがある。

「……あの時、引き止めればよかったな」

 後悔も、もう遅い。


「源博雅殿か?」


 と。声をかけられ博雅は振り返った。

 後ろにいたのは、見知らぬ青年であった。

 白磁の頬に薄い唇は女のように紅く、整った顔立ちは腕のよい職人が造った人形のように整っている。切れ長の目に収まった瞳は黒曜石のように澄んでいて、思わず目を惹いてしまうような美しさだった。

 おそらく自分と同い歳か、あるいは少し歳上の青年に、博雅は一瞬目を瞬く。

 美しいうんぬん以前に、なぜ彼は自分に声をかけたのだろうか。

「確かに私が博雅だが……そちらは?」

「失礼。私は安倍晴明と言う者。賀茂忠行様の弟子だ」

 賀茂忠行、という名は博雅も聞いたことがある。高齢ながら、かなりの力を持つ陰陽師だと。

 そして安倍晴明の名も、聞き覚えがある。

 幼いころから忠行に目をかけられている才ある男で、しかしそれ以外に彼の話は聞かない。

 それは、晴明が他人とほとんど関わりを持たないからだろう。

 そんな彼が、一体自分に何の用なのだろうか。

「私に……何か?」

 博雅が尋ねると、晴明は「つかぬことを訊くが」と前置きして、じっと見据えてきた。その目に、博雅は見覚えがある。

「月凪という女性に、昨夜会わなかったか?」

「……! 彼女を知っているのか!?」

 博雅は心持ち身を乗り出した。

 その反応に晴明は面喰らったように目を見開いたが、すぐに平素に戻って頷いた。

「ああ。……妹なんだ」

「妹……」

 どうりで似ている、と博雅は納得した。特に目がそっくりだ。

「それで彼女は、今どこに?」

「……会いたいのか?」

 晴明の質問に、博雅はすぐに「ああ」と頷く。

「礼がしたいんだ。昨日、助けてもらったからな」

「……それだけか?」

「え? それだけって……」

 一体何だ。何かあるのか。

「……ふっ。いや何でもない」

「え……?」

 今、なぜ自分は笑われたのだろう。

「礼がしたいから、だったな。そうだな……では、夕刻にまた声をかけよう。その時、彼女に会わせてさしあげよう」

 晴明はそう言って、博雅に背を向けた。

「あ、会わせるってどこで……」

「夕刻、この場所で」

 晴明は視線をこちらに向けて微笑した。その笑みが見たことも無い月凪の笑みのような気がして、博雅は無言のまま晴明を見送るしかできなかった。


   ―――


 何で管弦の宴も無く、宿直(とのい)でもないのに内裏に残っているのだろう。

 博雅は嘆息した。

 すでに日は見えなくなっており、辺りは薄暗くなっている。

 これ以上ここにいると、誰かに咎められるのではないだろうが――

(しかし……誰も通らないな)

 博雅は首を傾げた。

 先程から、近くを誰も通らない。時間のせいかもしれないが、しかしだからといって、何の物音もしないのはおかしい。

(まるで、内裏に誰もいないような……)

 いや、そんなわけない。まがりなしにも帝が住まう場所なのだ。夕刻であっても人がいるのが普通である。

 だが、人の気配も音も無いのはどういうわけか――


「博雅……殿?」


 心臓が跳ね上がった。

 この涼やかな声は、聞き間違えようが無い。

 博雅は振り返り、無意識に顔をほころばせた。

 衣を頭からすっぽり被ち、白い狩衣を着た人物。顔は見えないが、間違い無い。

「月凪――殿。その……こんばんは」

「なぜおぬしがここに……」

 月凪はうろたえたようにうわずった声を上げた。

「貴女の兄上に、何も聞いていないのか?」

「いや……ただ、待ち人がいるとしか。だから屋敷を抜け出してきたのだ」

 おぬしとはな――と、月凪は言った。まるで、会いたくなかったとも言いたげだ。

 それに傷付きつつも、博雅は一歩前に出た。

「月凪殿。俺は、いや、私は、また貴女に会いたかった」

「……」

「礼がしたかったんだ。昨日は、すぐに去ってしまったから」

 博雅の言葉に、月凪は何の反応も示さない。博雅は首を傾げ、また一歩踏み出した。

「それだけか」

「え?」

「我に会いたかった理由は、それだけか」

 何が言いたいのだろうか。というかその台詞、晴明と同じなのだが。

「それ以外に無いのか」

「え? いや、それ以外って何だ?」

 逆にこっちが聞きたいのだが。

「……驚いた」

 月凪は博雅をじっと見つめた――気がした。衣のせいで、視線はどこを向いているのは解らない。

「我の姿に惑わぬ者など、初めてだ。本当――ではないが、しかし嘘でもない。少なくともその言葉に、偽りは無い」

「何を偽ると言うんだ?」

 偽ることなど――何も無いのに。

「……なるほど。愚直、というわけか」

「……?」

「……礼がしたい、と言っていたが、具体的には何をするつもりなのだ?」

 訊かれ、博雅は困り果てた。それに関しては何も考えていない。本人の望む礼をしたいと思っていたからだ。

「貴女は何をしてほしい? その……私にはできることが少ないが、できることはやろうと思っている」

「皇族の言葉ではないな」

「この私が皇族など」

 博雅は苦笑を浮かべた。

「私のような者が皇族であるなど、身分不相応もいいところだ。貴族としてもふさわしいか疑問に思っているのに」

「……変わり者だな」

 月凪はあきれたように首を振った。

「……笛がいい」

「え?」

「おぬしの笛が、また聴きたい」

 そう言って、顔をそむける月凪。顔が隠れているのに、その動作は何か意味があるのだろうか。

 そんなことを思いつつも、博雅は常に持ち歩いている笛を懐から取り出した。

「曲は何がいいかな」

「何でも構わん。ただ、おぬしの笛が聞きたいだけなのだ」

 吹き手として、嬉しい言葉だ。博雅は微笑して、笛に唇を当てた。

 息を吹き込むと、流れる旋律。ただ静かに、再会できた喜びを表すように、博雅は笛を吹く。

 つい昨日会ったばかりだというのに、何故ここまで心臓が高鳴るというのだろう。

 やはり自分は、彼女に――

 博雅は内心で頭を振り、考えるのを止めた。

 今はただ、笛を吹いていたい。彼女に美しい音を聴かせてやりたいし、笛を吹いている間は、彼女と共に入れるのだ。

 もっと長い間、彼女と一緒にいたい。そう願うのは、いけないことだろうか。

 博雅は半眼だった(まなこ)を月凪に向けた。そして、息をつまらせかける。

 月凪は衣を外していた。美しいその姿をさらし、博雅の前に立っていた。

 笛を止めそうになるが、しかしそれはいけないと自分に言い聞かし、吹き続ける。

 しかしなぜ、急に衣を外したのか。

 博雅がじっと見つめるなかで、月凪は懐から扇を取り出した。そして扇を広げ、すっと持つ手を上げる。

(舞……?)

 そう、月凪は舞い始めたのだ。

 白拍子のように、優雅に。

 確かにその格好は白拍子のようだが、まさか舞ができるとは思わなかった。

 ただ舞うだけではない。博雅の笛に合った、静かに波打つ水面のような穏やかさをともなった舞だった。

 昨日、鬼を斬った時とは違う動き。優美で、たおやかで、どこか儚げな、幽玄のような舞。

 博雅は月凪に釘付けになりながら、夢中で笛を吹いていた。無意識だった、と言っていい。

 それほどまでに目の前で舞う月凪の姿は非現実で、幻想の中にいるような感覚だったのだ。

 何もかも忘れてしまいそうだった。しかしそんな頭にも不思議と理性は残っていて、ふと思うのだ。

 なぜ自分が笛を吹いているというのに、誰も来ないんだろう。誰も気付いていないんだろうか、と。


   ―――


 笛の音を聞きながら、晴明は微笑を浮かべていた。

 二人は今、自分の張った結界の中でひとときの逢瀬(おうせ)を楽しんでいることだろう。

「これほど美しい音だ。月凪の奴、今頃舞っているのだろう」

 口の中で呟き、晴明はふと思う。

 彼ならもしや、月凪の相手になるかもしれないと。

(彼が月凪に惹かれたのなら……本当の意味であの娘を好いたのなら)

 諦めていたことだ。あの事件(・・・・)以来、あの娘に女としての幸せは訪れることは無いと思っていたが、彼が相手ならそれも可能かもしれない。

 それに。

「あの哀しい運命(・・・・・)から、月凪を救うことができるかもしれない」

 それは月凪が望んだことではないけれど、自分が望んだことではある。

 あの娘は運命を受け入れる気だ。しかし、それでは駄目なのだ。

 受け入れるのではなく、変えなければ。あんな最後を、あんな最期を迎えさせるわけにはいかない。

「……月凪」

 晴明は弱々しく呟く。己の、最愛の妹の名を。






 主人公である月凪は沙伊のオリジナルキャラクターですが、それ以外の人物は実際にいた人物です。

 安倍晴明は勿論のこと、源博雅や賀茂忠行も実在する人物です。

 こんな風に実在の人物とオリキャラが入り乱れていくと思います。



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