おにんぎょう
髪を梳られる。お洋服を整えられて、綺麗に椅子に座らされる。
最後は、いつも決まった言葉。
「アリシアは、お兄さまのかわいいお人形だね」
「……ええ、お兄さま」
そっと額に落とされる口付け。お兄さまは嬉しそうに笑った。
物心ついたときには、わたしにはお兄さましかいなかった。わたしは体が弱く、静養のため別荘で暮らしていた。両親はあまり別荘には近寄らなかったので、頻繁に訪ねてくれるお兄さまだけがわたしの家族だった。
いつからか、通いのメイドが来なくなった。季節ごとに庭を整えていた庭師もいなくなった。両親の関心が、わたしから消えたことを意味するそれら。けれど代わりに、お兄さまがわたしを愛してくれた。
お兄さま。お名前は、知らない。わたしと同じプラチナゴールドの髪、サファイアブルーの瞳。その色彩がわたしたちの血縁を証明している。
お兄さまはわたしが外の世界に関心を持つことを良く思わない。わたしはお兄さまに見捨てられたら生きていけないから、お兄さまの望むまま振る舞う。ふと気がつくと、わたしは生きたお人形になっていた。
お兄さまが整えた、わたしの世界。わたしとお兄さまだけの世界。
体の弱いわたしは、お医者さまなしでは長くは生きられないと、幼い頃告げられていた。けれどお兄さまはお医者さまに——他人に、わたしを見せるのを嫌がる。
ずいぶん、お医者さまにお会いしていない。弱っていくわたしを、お兄さまは愛しそうに見つめるばかりで。
——ああ。わたしは、このまま死んでいくのね。
そう、覚悟した頃。お兄さまがいつもの笑顔で言った。
「アリシア。お兄さまに任せておきなさい」
「……おにい、さま?」
声が掠れる。すぐに咳き込んでしまうわたしの背をさすりながら、お兄さまが唄うように言う。
「アリシアとぼくが、ずっと一緒にいられる方法だよ。長らく考えていたんだけれどね、ついに完成したから」
お兄さまがわたしの手を引いて、どこかの部屋へと連れて行く。わたしは起き上がるのもやっとだったけれど、お兄さまには逆らえなかった。
部屋の前について、お兄さまが夢見るような瞳で囁く。
「ああ、アリシア。やっと。……やっと、だよ」
開けられる扉。部屋の中には、わたしにそっくりな、
「……なに、これ……」
「なにって、アリシアの新しい身体だよ」
お兄さまが、わたしを逃さないとでも言わんばかりに後ろから抱きしめる。そんなことをしなくても、わたしはもう逃げられないのに。
「アリシアは、お兄さまのかわいいかわいい妹だ。……けど、兄妹では少しだけ困ったことがあってね」
「ぇ……」
「結婚できないからね。この国の法律では」
だからだよと、お兄さまが甘く甘くわたしの耳元で言う。
「アリシアはお人形になるんだ。そうすればぼくたちは結婚できて、ずうっと一緒にいられる」
お兄さまの手が、わたしの首にそっと置かれる。
——ああ、ここで死ぬんだわ。そう、思った。
わたしはここで死んで、生きた証なんて何も残らなくて。お兄さまのお人形としてだけ生を許された哀れなアリシアは、本物のお人形になるのね。
頭の中に描いたのは、わたしの代わりのお人形に優しく微笑むお兄さま。そうしてお兄さまは、わたしだけのお兄さまでなくなる。
なくなる。
……なくなる。
…………なくなってしまう。
……………………。
……………………ぇ?
——ぱちりと、黒い閃き。お兄さまを、わたしだけのお兄さまにする方法。それはこれ以上ないほど甘美なものに思えて。
きっと最期の力だった。それを振り絞って、お兄さまを押し倒す。お兄さまを床に縫い留めて、とっても可憐に笑って見せる。
「…………アリシア?」
不思議そうなお兄さまのお顔。きっとわたしが反抗したなんて思っていない。わたしが、すこし体勢を崩してしまっただけだと思っているのでしょう。
「ねぇ、お兄さま」
ねぇ、お兄さま。
「わたしのものでいてください」
わたしだけのものでいて。わたしだけのお兄さま。
「わたしがお兄さまのお人形なら、お兄さまも」
お兄さまも、わたしのお人形。それが素敵よね。
初めての口付け。お伽話で聞いたものより、ロマンティックじゃないかもしれないけれど。
お兄さまにそっと口付けて、ぎゅっと首を絞める。
どうすれば呼吸が苦しくなるか、よく知っている。だって、いつもわたしは苦しかったから。
「…………お兄さま?」
眠ってしまわれたのかしら。ひどいお兄さま。
「アリシアは、ひとりでお部屋に戻れないのに」
そっと並んで横たわる。きっと、お伽話のワンシーンを描いた絵画みたいよ。
ね、お兄さま。
……お名前を呼ぼうとして、困ってしまった。だって、お兄さまのお名前を知らないから。
けれど思い直す。アリシアのお兄さまは、この世にたった一人しかいないのだから。
……ね、わたしだけの、お兄さま。




