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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第7章:地上の重力、空の嘘

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ソフト・ランディング



 アステリアの底部を包む防護隔壁は、今や摩擦熱で真っ赤に白熱し、周囲の空気を猛烈に膨張させていた。

 高度三千、二千、一千。

 デジタルな高度計は、魔法の干渉によってノイズに埋もれ、もはや使い物にならない。テオは自身のポケットから取り出した銀色の懐中時計を、アンカーの支柱から吊り下げ、その揺れの「周期」を数えていた。


「物理的な振り子の周期から逆算します。……自由落下の加速度に、空気抵抗による減衰を差し引いて……現在の降下速度は、秒速四十二メートル。このままの速度で接触すれば、都市の基部は一瞬で圧縮され、内部の全住民は慣性によって肉塊に変わります」


 テオの声は、激しい風切り音と金属の軋みの中でも、驚くほど平坦だった。

 ヴァレリーが魔導杖を床に突き立て、必死に重心を保ちながら叫ぶ。


「テオ! 速度を殺す方法を言いなさい! 魔法の制動術式ブレーキは、大魔導師ゼノスの干渉で全てロックされているわ! 彼は、自分の理想とする『空中都市』が墜ちるくらいなら、全員道連れに自壊させるつもりよ!」


「魔法のブレーキがいらないことは、昨夜証明済みです」

 テオは、アンカーの主動力室の中央にある、巨大な「逆噴射シリンダー」を指差した。

 そこには、かつてアイリスが魔力を叩き込んだあの機構が、さらに巨大な規模で備えられていた。


「アイリス。君の魔力を、今度は『持続的な爆発』として使います。アンカーの先端にある排気ノズルから、君の魔力を高圧の熱風として地面へ叩きつけてください。……逆噴射レトロ・ロケットです。魔法を現象としてではなく、ただの『押し返す力』として利用します」


 アイリスは、熱気で赤くなった顔を上げ、自身の掌をシリンダーの受光部に重ねた。

「……わかったわ。私の全部を、地面への『挨拶』に変えてみせる!」




 アイリスの身体から、かつてないほどの青白い輝きが溢れ出した。

 それはもはや人間の形をした魔力の奔流だった。彼女の魔力はテオが調整した噴射ノズルを通じて、都市の真下にある「本物の大気」へと叩きつけられる。


 ドォォォォォォォォン……!


 逆噴射の反動が、アステリア全体を激しく揺さぶった。

 上層の住民たちは、突如として足元から突き上げてきた「見えない手」の感触に悲鳴を上げたが、それは死への衝撃ではなく、生への抵抗だった。


「速度、低下! 秒速二十五……十五……十! テオ、いけるぞ! このままなら『着地』できる!」

 カイルが端末の画面を殴るように叩きながら叫ぶ。


 だが、地表まで残り百メートルを切ったその瞬間、空間が物理的に「裂けた」。


「……認めぬ。このような不細工な物理の果てに、我が栄光の都を汚させるわけにはいかぬ!」


 大魔導師ゼノスが、狂気に満ちた眼差しで空間の裂け目から現れた。彼の周囲では、因果律を無視した「無重力の嵐」が吹き荒れ、テオが必死に制御していたアンカーの油圧配管を、分子レベルで分解し始めた。


「ゼノス様、もう止めてください! あなたの守ろうとしているものは、もう誰も望んでいない!」

 アイリスが叫ぶが、ゼノスの術式は止まらない。アンカーの支柱が一本、無残に折れ曲がり、都市の姿勢が大きく傾いた。


「姿勢制御不能! 左舷から墜ちるぞ!」

 ヴァレリーが叫び、自身の魔力を盾に変換してゼノスの術式を食い止めようとする。だが、神の領域に達した大魔導師の力は、彼女の防壁を紙細工のように引き裂いていく。


 テオは、自身の身体が宙に浮き上がるほどの衝撃を受けながらも、折れ曲がったアンカーの「手動解放レバー」へと這い寄った。


「……ゼノス。あなたは魔法がすべてを支配する、完璧な定規だと思っているようですが」

 テオは、折れた鋼鉄の断面から吹き出す高圧の油を浴びながら、歪んだ口角で笑った。

「物理学には、あなたの知らない『誤差』という概念があります。……カイル! 都市の全バラスト、強制投棄! ゼノスの術式で固定された座標を、物理的な『質量移動』で強引に引き剥がします!」


「了解だ! 死ぬ気で捕まってろよ!」


 カイルが最終解除コードを入力した瞬間、アステリアの底部から、数万トンに及ぶ「魔導核の冷却水」と「予備のバラスト材」が一気に地表へと放出された。

 物理法則の基本、運動量保存の法則。

 $$m_1v_1 = m_2v_2$$

 質量を切り離した反動で、都市の本体はゼノスの術式が及ぶ空間から、物理的な「跳ね返り」によって離脱した。


「な……!? 空間を無視して、慣性だけで逃げたというのか!?」

 ゼノスの驚愕の声を置き去りにし、アステリアは地面へと肉薄する。




 残り十メートル。

 アイリスの魔力が、地面の土と草を激しく巻き上げ、巨大な空気のクッションを作り出す。


「アイリス、最大出力! アンカー、接地三、二、一……衝撃に備えて!」


 テオの声が響いた直後、世界が静止した。


 ズズズズズズズズ……ッ!!


 巨大なアンカーの爪が、数千年ぶりに「土」を噛んだ。

 鋼鉄の支柱が限界までしなり、巨大な油圧ダンパーが数メートルも沈み込みながら、都市の膨大な運動エネルギーを「熱」と「音」に変えて地表へと放散していく。


 白亜の塔が揺れ、魔導灯の結晶が砕け散り、かつての栄華の象徴が大きな音を立てて土煙の中に沈み込んだ。


 そして、静寂が訪れた。


 魔法の唸り声も、風切り音も、ゼノスの呪詛も聞こえない。

 聞こえてくるのは、ただ、焦げた草の匂いと、遠くで鳴く本物の鳥の声。

 そして、都市を支える巨大な鉄の塊が、ゆっくりと冷えていく「パキ、パキ」という乾いた物理的な収縮音だけだった。


 テオは、油と煤で汚れた顔を上げ、ひび割れた窓の外を見た。

 そこには、自分たちが今まで「下層」と呼んで蔑んできた、圧倒的な質量感を持つ本物の地面が、自分たちの足元をしっかりと受け止めていた。


「……ソフト・ランディング、成功です。誤差……マイナス三センチ。許容範囲内ですね」


 テオは、包帯だらけの手で懐中時計を仕舞い、深く、長い溜息をついた。


 アイリスは、自分の手がまだ温かい地面に近い場所にあることを確かめるように、震える指で床に触れた。ヴァレリーは魔導杖を置き、カイルは端末を閉じた。


 空を飛ぶ魔法の夢は終わり、彼らは今、重力という名の、嘘のない大地の上に立っていた。


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