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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第7章:地上の重力、空の嘘

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賢人会の審判



 浮遊都市「アステリア」の空気が、物理的な悲鳴を上げていた。

 高度一万メートルを維持するために設計された円盤状の都市基部は、今や展開された「アンカー」という巨大な空気抵抗を抱え、その空気力学的な均衡を完全に喪失していた。


「……機体後方、三時の方向から強烈な揚力リフトの偏り! 中心軸が重力方向に四度傾斜! テオ、このままだと都市の外殻が風圧で引き剥がされるわ!」


 ヴァレリーが叫び、足元の鉄板に深く魔導杖を突き刺して身体を支える。彼女の目の前にある観測モニターには、都市を包む気流の乱れが真っ赤なノイズとなって渦巻いていた。


 テオは、激しく揺れるアンカーの制御レバーに自身の身体を固定し、血の滲む包帯の手で精密な計算尺を操作していた。彼の視界では、魔法の光ではなく、目に見えない空気の「流れ」と「質量」の衝突が数式となって流れていく。


「揚力の偏りは計算内です。アンカーの迎角アタック・アングルを十五度に変更。カイル、都市下層のバラスト・タンクを開放してください。重心を物理的に前方に移動させ、機首下げのモーメントを強制的に発生させます」


「了解だ! だがテオ、上層は大パニックだぜ。賢人会が全チャンネルを使って『大規模な空間震による幻覚』だと放送してるが、誰も信じちゃいねえ。……窓の外を見てみろよ。雲が、俺たちを追い越して『上』に流れていってるんだからな!」


 カイルの言う通りだった。

 かつては「神の領域」として静止していた都市が、今や明確なベクトルを持って降下を開始していた。空気との摩擦によって発生した断熱圧縮の熱が、都市の底にある防護隔壁を白熱させ、美しい白亜の街並みに不吉なオレンジ色の照り返しを投げかけていた。


 その時、アンカー・ポイントの重厚な防護扉が、内部からの物理的な爆発ではなく、外側からの圧倒的な「意志」によって、紙細工のように押し潰された。


 現れたのは、これまでの査察官とは一線を画す、純白の法衣を纏った老人だった。

「賢人会」の最高執政官、大魔導師ゼノス。

 彼の周囲には、もはやマナという言葉では形容しきれないほどの、現実を歪曲させるほどの魔力が物理的な嵐となって吹き荒れていた。


「……愚かな。重力という名の泥にまみれた法則を、再びこの神域に持ち込むとは」


 ゼノスの声は、物理的な音波ではなく、直接脳内に響く精神汚染に近い波動だった。彼が一歩踏み出すごとに、テオが必死に物理的に固定したアンカーのボルトが、魔法的な因果律を書き換えられて「最初から締まっていなかった」かのように緩み始める。


「ゼノス様……! なぜ、地上への帰還をこれほどまでに拒むのですか!」

 アイリスが自身の魔力を盾にして、テオの前に立ち塞がる。


「帰還ではない。それは『堕落』だ、アイリス・ヴァレンタイン」

 ゼノスの冷徹な瞳が、彼女の極大な魔力を見据える。

「我々はこの数千年間、物理という不自由な鎖を魔法という奇跡によって断ち切ってきた。重力に縛られ、摩擦に喘ぎ、老いと死に怯える地上の民とは違う、高次元の存在へと進化したのだ。それを、あのような無魔の小僧が振り回すバール一本で、泥沼へと引き摺り下ろすというのか?」


「進化、ですか。私には、ただの『メンテナンス放棄』に見えますが」


 テオが、包帯の巻かれた手をゼノスに向けた。その手には、魔法の杖ではなく、一振りの薄汚れたレンチが握られていた。


「大魔導師。あなたが奇跡と呼ぶその浮力は、地下で悲鳴を上げる歯車と、熱を吐き出すシリンダーの代償の上に成り立っています。あなたが否定する『不自由な物理』こそが、あなたの優雅な生活を、一秒ごとに必死に支え続けてきたんです。……それを無視して出力を上げ続けた結果、ボイラーは破裂し、翼は折れた。今のあなたの『魔法』は、単なる過負荷オーバーロードでしかありません」


「黙れ、欠陥品が。物理的な因果など、私のマナがすべてを否定する」


 ゼノスが杖を掲げた瞬間、アンカー・ポイントの空間そのものが圧縮され始めた。物理法則そのものを「禁止」し、質量をゼロへと書き換える絶対絶命の術式。


 だが、テオは動じなかった。

「物理は否定できませんよ。……なぜなら、すでに私たちは『雲』を抜けたからです」


 その瞬間、都市全体を覆っていた厚い雲のカーテンが、風圧によって引き裂かれた。

 創立以来、アステリアの市民が一度も見ることのなかった景色。




 眼下には、見渡す限りの「緑」と、太陽の光を照り返す広大な「海」が広がっていた。

 魔法で作られた偽りの地平線ではない。

 圧倒的なまでの質量感と、生命の息吹を湛えた、本物の「地球」の姿。


「……見て。あれが……地面……」

 アイリスが息を呑む。


 都市のスピーカーからは、カイルが全回路をジャックして流した、地上からの生中継映像が全ての広場、全ての家庭へと届けられていた。

 賢人会が「死の世界」だと教えてきた場所は、まばゆいばかりの生命力に満ち溢れていた。


「ゼノス様、あなたの魔法は『見せないこと』でしか成り立ちませんでした」

 テオは、アンカーの最終展開スイッチに手をかけた。

「ですが、一度この景色を見てしまった市民たちの心に、物理的な『好奇心』というベクトルが発生しました。それは、あなたのどんな強力な術式プログラムでも書き換えられない、人間の本能です」


 ドォォォォォォォン……!


 アンカーが最大角まで展開され、都市は本格的な着陸軌道へと突入した。

 摩擦熱が限界に達し、アンカー・ポイントの隔壁がオレンジ色に溶け始める。


「……狂っている。地面に触れれば、すべてが粉砕されるぞ!」


「いいえ。私は鑑定士です」

 テオは、荒れ狂う風の中で不敵に笑った。

「落とすのではなく、降ろす。そのための『緩衝材クッション』は、すでにお前の足元に用意してありますよ、大魔導師」


 都市の外壁が、大気圏への突入に似た衝撃で振動し始める。

 魔法の審判は終わり、物理の審判が始まった。

 人類が数千年ぶりに「重さ」を取り戻すための、命懸けの降下が加速していく。


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