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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第6章:歯車が回る時

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摩擦の果てに

 導火線の火花が、油と蒸気にまみれた地下空間で蛇のように這い回る。


「カイル、起爆装置の構造は!」

 テオが叫ぶと同時、ロジャーの重厚なレンチが横薙ぎに襲いかかってきた。テオは手にしたバールを縦に構え、その圧倒的な質量を受け流す。金属同士が激突し、火花と共に鼓膜を破るような甲高い摩擦音が鳴り響いた。


「駄目だ、魔力探知に引っかからない! 奴ら、純粋な火薬と機械式の雷管を使ってる。魔法の結界や解除術式じゃ止められないぞ!」

 端末を叩くカイルの悲痛な声が響く。魔法を無効化する空間において、純物理的な爆弾は最も確実で残酷な破壊の手段だった。


「その通りだ、小僧。魔法という名の甘い蜜に群がる羽虫どもに、重力と火薬の恐ろしさを教えてやる」

 ロジャーは追撃の手を緩めない。五十年前からこの機関部を整備し続けてきた彼の動きには、機械の回転周期や蒸気の噴出タイミングすら味方につけるような、異様な滑らかさがあった。


「局長、アイリスを守って下がってください! ここは物理の領域です!」

 テオはロジャーの連撃を躱しながら、床を這う導火線の先、巨大なメインシャフトの根元に設置された無骨な鉄の箱へと視線を向けた。あれが起爆装置の心臓部だ。しかし、ただの時限式ではない。


 テオの眠たげな半眼が、極限の集中によって限界まで見開かれる。

 箱の側面には、ジャイロ・ギアの回転軸と連動する小さな歯車が噛み合っていた。


「……なるほど。導火線はただの目くらまし。本命は『遠心力』ですか」


「気づいたか、テオ! だがもう遅い!」

 ロジャーが狂気を孕んだ笑い声を上げる。

「ジャイロが回転数を上げ、臨界速度に達した瞬間、内部の遠心ガバナーが撃鉄を解放する。お前が都市を救うために歯車を回せば回すほど、爆発の時間は早まる仕組みだ。止めれば墜落し、回せば爆発する。これが魔法に依存しすぎたこの街の、物理的な詰み(チェックメイト)だ!」


 巨大なジャイロ・ギアは、アイリスの魔力推力を受けてさらに加速していく。足元の振動が強まり、起爆装置の小さな歯車が甲高い悲鳴を上げ始めた。撃鉄が解放されるまで、あと数秒。


 テオはバールを捨てた。

 そして、ロジャーの次の攻撃を避けることもせず、剥き出しの起爆装置へと全速力で飛び込んだ。


「テオ!」

 アイリスの絶叫が響く。

 背後でロジャーのレンチがテオの肩を掠め、耐熱服が引き裂かれる。だが、テオは構わず起爆装置に組み付いた。


 彼が取り出したのは、工具袋の底に忍ばせていた一本の分厚い「純銅の楔」だった。

 テオはそれを、遠心力で今まさに振り下ろされようとしている撃鉄の可動部と、外殻の隙間に直接ねじ込んだ。


 ギィィィィィィィィッ!!


 撃鉄が純銅の楔に食い込み、凄まじい摩擦熱が発生する。

 銅は柔らかい。鋼鉄の撃鉄を完全に止めるほどの強度はないが、その代わり、極めて高い摩擦係数と熱伝導率を持つ。テオは自らの両手で楔を全力で押し込み続け、撃鉄が雷管に触れるまでの数ミリの空間を、物理的な「摩擦」によって強引に引き延ばそうとしていた。


「馬鹿な真似を! そのままでは摩擦熱でお前の手ごと焼き切れるぞ!」

 ロジャーが驚愕の声を上げる。


 楔はすでに真っ赤に加熱され、テオの分厚い断熱グローブすら焦がし始めていた。肉の焼ける匂いと、金属が削れる悲鳴。だが、テオは手を離さない。絶縁体である彼の身体は、魔法の痛覚には鈍感でも、物理的な熱や痛みは常人と同じように感じる。それでも、彼は奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、楔を押し込み続けた。


「……私の仕事は、世界の不備を直すことだと言ったはずです」

 テオの口から、血の混じった声が漏れる。

「あなたは摩擦を、世界を削り取る呪いだと言った。……だが、師匠は教えてくれた。摩擦こそが、暴走するエネルギーにブレーキをかけ、世界を繋ぎ止める『最後の抵抗』なのだと!」


 テオの全体重と、純銅の摩擦抵抗。

 物理と物理の純粋なせめぎ合いは、数秒という永遠にも似た時間の後、唐突な結末を迎えた。


 ガキンッ、という鈍い音と共に、撃鉄のバネが摩擦限界を超えて物理的にへし折れたのだ。


 熱を失った撃鉄が、雷管のわずか一ミリ手前で力なく停止する。

 同時に、ジャイロ・ギアが完全な水平回転軌道に乗り、地下空間を支配していた不規則な振動が、静かで力強い単一の鼓動へと変わった。


 都市の高度低下は、完全に停止した。

 起爆装置の沈黙。それは、サイレント・ギアという組織の、そしてロジャーの復讐の終わりを意味していた。


 テオは焦げ付いた楔から手を離し、その場に崩れ落ちた。

 火傷だらけの腕は痙攣し、息も絶え絶えだったが、その顔には間違いなく、鑑定を完遂した職人の誇りが刻まれていた。


「……馬鹿な男だ。魔法などという見え透いた嘘のために、なぜそこまで物理的な痛みを背負う」

 ロジャーは手からレンチを落とし、乾いた笑いを漏らした。彼の中にあった憎悪の炎もまた、目の前の少年の圧倒的な「質量」を前に、燃え尽きてしまったようだった。


「魔法のためではありません」

 カイルに肩を貸されながら立ち上がったテオは、静かに答えた。

「泥の上を歩こうとする人たちの、その足元を水平に保つためです」


 背後で、アイリスとヴァレリーが安堵の涙を浮かべている。

 魔導核のオーバーロードは去り、巨大な歯車は再び、この重力に抗うための永遠の回転を始めていた。


 摩擦の果てに残ったのは、焦げた金属の匂いと、嘘のない確かな世界の重みだけだった。


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