魔導核のオーバーロード
「……熱い。空気が、質量を持って肌を押し潰してくるようだわ」
アイリスが自身の喉元を抑え、苦しげに喘いだ。
第ゼロ機関区へと続く螺旋階段を下りるほどに、酸素は薄れ、代わりに高濃度のマナと焦げ付いた潤滑油の匂いが混ざり合った「重い空気」が空間を支配していく。
ここは、都市の最深部。大魔導核が発する膨大なエネルギーを物理的な推力へと変換する、いわば「変換室」だ。創立祭の演出のために限界まで引き上げられた出力は、もはや魔法の制御を超え、剥き出しの熱量となって巨大な石室を白熱させていた。
「当然です。魔導核から溢れ出したマナが、物理的な空間の容量を超え、熱力学的な崩壊を起こしかけている」
テオの声だけが、この灼熱の中で驚くほど冷静に響いた。
彼は絶縁体であるがゆえに、空間に満ちる魔力の圧力に精神を焼かれることがない。彼にとって、この「地獄」は単に『温度が高すぎる不備な部屋』に過ぎなかった。
「テオ、これを見てくれ!」
カイルが、熱で歪み始めたモニターを指差す。
「魔導核の出力は定格の120パーセントを突破している。なのに、都市を支える浮力発生装置の回転数は、逆に低下し続けているんだ。エネルギーは注ぎ込まれているのに、仕事量が減っている。……物理的な『詰まり』だ!」
「魔法エネルギーの飽和、ですね」
テオは、唸りを上げる巨大な鋼鉄のシリンダーに歩み寄った。
「局長。あなた方はマナを無限の資源だと思っている。だが、マナを動力に変えるには、必ず『冷却』という物理的な工程が必要になる。……今の状態は、エンジンに燃料を注ぎすぎて、燃焼室が自らの熱で溶け始めた状態です」
「……私の魔力で、この熱を抑えられないの?」
ヴァレリーが震える手で魔導杖を構えた。だが、彼女が氷結魔法を紡ごうとした瞬間、杖の先から放たれた魔力は、空間に充満する高密度マナに「食われ」、瞬時に霧散した。
「無駄です、ヴァレリー局長。ここでは魔法の理が、魔法そのものの重圧で圧死している。火を消すために、火薬を投げ込んでいるようなものです」
テオは、腰の工具袋から厚手の断熱グローブを取り出し、真っ赤に熱せられた手摺りを掴んでさらに奥へと進んだ。
そこには、大魔導核から伸びる数千本の「魔力伝導管」が束ねられた、巨大な分配器があった。
そのバルブの隙間に、不自然なほど白い「塵」が詰まっているのを、テオの目は逃さなかった。
「……エアロジェル。あの断熱材の粉末ですね」
「何だって? 記録庫を冷やしていたあの素材か?」
カイルが叫ぶ。
「ええ。サイレント・ギアは、冷却水の循環経路にこの粉末を混入させた。エアロジェルは極めて高い断熱性を持ち、かつ非常に軽い。これが配管の内側にこびりつくことで、魔導核から熱を奪うはずの冷却水が、逆に『熱を閉じ込める外套』に変わってしまった」
魔法が「もっとエネルギーを」と叫び、魔導核がそれに応えてマナを吐き出す。
しかし、物理的な冷却系が死んでいるため、そのエネルギーは推力に変換される前に、すべてシリンダー内部の「熱膨張」として浪費される。
結果として、金属は膨らみ、摩擦は増大し、歯車は回らなくなる。
魔法が強くなればなるほど、物理的な拘束が強まり、都市は重力に屈していく。
これこそが、サイレント・ギアが仕掛けた「魔法社会への皮肉」だった。
「……テオ! 建物が、軋んでいるわ!」
アイリスが叫ぶのと同時に、巨大な衝撃音が地下に轟いた。
限界を超えたシリンダーの一つが、内部の圧力に耐えきれず、物理的に「破断」したのだ。
吹き出す過熱蒸気が、白く視界を染める。
「カイル、第4系統のバルブを強制遮断してください! 局長、アイリスを連れてバックアップの隔壁まで退避を。ここからは、魔力を持たない私にしかできない仕事です」
「一人で行くつもり!? 死ぬわよ、そんな熱の中に飛び込んだら!」
ヴァレリーが叫ぶが、テオは振り返らなかった。
「死にませんよ。私は絶縁体で、この服は師匠が遺した耐熱仕様だ。……それに、私は鑑定士です。壊れた世界の直し方を知っていて、それを放置するのは、私の美学に反しますから」
テオは、真っ白な蒸気のカーテンの向こう側、激しく火花を散らす「物理の心臓」へと駆け出した。
祭りの喧騒は、もはやここには届かない。
ただ、鋼鉄が裂ける悲鳴と、熱い蒸気の唸りだけが、この世界の真実の声を上げていた。




