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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第4章:日常の歪み

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鏡に映らない死角

 魔法のない夜が明け、学園に人工的な朝日が戻っても、一度芽生えた不信感は霧のように廊下の隅々に澱んでいた。


 学園の重要施設である「聖遺物保管庫」の前で、ヴァレリーは数人の魔導技師たちと共に、巨大な魔導反射鏡ミラーの前に立ち尽くしていた。この鏡は、対象の姿を映すだけではない。対象が纏う魔力の波長を捉え、不可視の隠蔽魔法すらも暴き出す、都市最強の監視システムである。


「……あり得ません。記録を十回見直しましたが、やはり犯人の姿はどこにも映っていないのです」


 技師の一人が、青白い顔で報告する。

 昨夜、魔力供給が不安定になった一瞬の隙を突き、保管庫から「浮遊都市の初期動力図」の写しが盗み出された。鏡の記録には、無人のはずの保管庫の扉がひとりでに開き、棚から図面が浮き上がり、そのまま部屋の外へ消えていく様子が、滑稽なほど鮮明に映し出されていた。


「透明化の術式ではない。もし魔法を使っていれば、この反射鏡が魔力の歪みを捉え、輪郭を赤く強調するはずだわ」

 ヴァレリーが眉間に皺を寄せる。

「幽霊か、あるいは……物質そのものを空間から切り離す、未知の大魔術の類だとでも言うの?」


「あるいは、単なる『角度』の問題ですね」


 背後から、熱を失ったような平坦な声が響いた。

 いつもの灰色の作業服に、肩をすくめたテオが立っている。その隣には、大きな虫眼鏡を首から下げたアイリスが、好奇心に瞳を輝かせて控えていた。


「またあなたね、テオ。……『角度』とはどういう意味? この部屋は四方を隙間なく魔導反射鏡で囲まれているのよ。死角など、理論上は存在しないわ」


 ヴァレリーが鏡の壁を指差す。六角形の鏡面がハニカム状に敷き詰められたその部屋は、万華鏡の中にいるような錯覚を抱かせるほど、全方位の情報を網羅していた。


「魔法の理論ではそうでしょうね。ですが、光学という名の物理法則においては、完璧な鏡の部屋こそが最大の『隙間』を生みます」


 テオは無造作に部屋の中央へ歩み寄ると、床に膝をついた。

「局長、この鏡の継ぎ目を見てください。魔法の整合性を保つために、鏡同士の境界線に微細な『調整術式の溝』が彫られている。……カイル、レーザーポインターを」


 影から現れたカイルが、いたずらっぽく笑いながら赤い光のペンをテオに投げ渡した。

 テオはレーザーを起動し、鏡の壁の一点に照射した。赤い点は鏡面で反射し、向かいの壁、さらに隣の壁へと跳ね返り、複雑な光の幾何学模様を描き出す。


「光の反射の法則は単純です。入射角と反射角は常に等しい。……アイリス、あそこの鏡の角に立ってみてください」


「ええ、ここかしら?」

 アイリスが指定された位置、二枚の鏡が九十度で交わる隅へと移動する。


「局長、モニターを見てください。アイリスが映っていますか?」


 ヴァレリーが監視モニターを覗き込む。

「……ええ、映っているわ。当然でしょう」


「では、私がこのレーザーを『鏡の継ぎ目の溝』に沿って走らせたら?」


 テオがポインターを動かした。赤い光が、鏡と鏡の間のわずかな隙間、魔力調整用の溝に沿って移動する。その瞬間、モニターの中のアイリスの姿が、ノイズと共にふっと消えた。


「消えた!? まさか、空間転移?」

 ヴァレリーが目を見開く。だが、実際の部屋には、アイリスが困惑した顔で立ち続けているのが肉眼で見える。


「転移ではありません。鏡の死角に入っただけです」

 テオは立ち上がり、鏡の壁を指でなぞった。

「この魔導反射鏡は、魔力の整合性を取るために、鏡の端っこ……つまりエッジの部分で、光の屈折率を意図的に歪めています。そうしないと、鏡同士の境界で魔力の波形が干渉し合い、映像が乱れるからです。……犯人は、その『魔法のための仕様』を逆手に取った」


 テオは、床に残された微かな「擦過痕」を指差した。

「犯人は、壁の隅を歩いたのではありません。計算され尽くした『特定の角度』を維持しながら、鏡の継ぎ目が作る死角の線を綱渡りのように進んだ。鏡面に映る自分自身の姿が、常に隣の鏡の『歪んだエッジ』に隠れるように移動すれば、光学的な情報は相殺され、魔法センサーは『何も映っていない』と誤認する。……魔法を一切使わず、ただ自分の体の位置を物理的に制御するだけで、この完璧な監視システムを無効化したんです」


「そんな……。ただの立ち位置と角度だけで、この最先端の魔法具を騙したというの?」

 ヴァレリーは、鏡に映る自分自身の姿を、まるで得体の知れない怪物をみるような目で見つめた。


「魔法使いは、鏡が『すべてを映すもの』だと信じている。ですが、物理学者にとって鏡とは『特定の光だけを反射し、特定の角度を裏切るもの』でしかない」


 アイリスが、自分の消えたモニターと、実在する自分の手を交互に見比べ、小さく笑った。

「面白いわ……。魔法が完璧であろうとすればするほど、物理という名の穴が大きく開いていくのね。私たちは、鏡の中に閉じ込められていたわけじゃなく、鏡の隙間に見捨てられていたんだわ」


「犯人は、この部屋の光学的な設計図を完全に把握しています。……そして、魔法を使わないことで、魔力探知という『魔法の網』をすり抜けた」


 テオは、鏡の隙間に挟まっていた、一枚の黒い布の破片をピンセットで拾い上げた。

「光を反射しない、純粋な黒。これも魔法の産物ではありません。……サイレント・ギアは、この都市の『死角』を、一歩ずつ着実に歩いています」


 ヴァレリーは、無数の自分自身が映り込む鏡の部屋で、言いようのない寒気を感じていた。

 魔法が守っているはずの世界。その輪郭が、物理という名の冷徹なメスによって、少しずつ、しかし確実に切り取られていく。


「……テオ。あなたには、この『死角』が最初から見えていたの?」


「見えてはいませんよ。ただ、計算すればそこにあることがわかる。……魔法は目に見えるものを信じさせますが、物理は見えないものの正しさを証明しますから」


 テオはランプの火を消し、鏡の部屋を後にした。

 背後で、再び沈黙が訪れる。

 反射鏡には、立ち尽くすヴァレリーの姿だけが映っていたが、彼女の足元に伸びる影の角度が、わずかに物理のことわりから逸れていることに、まだ誰も気づいていなかった。

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