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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第3章:沈黙の鐘

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四人の放課後

 夕闇が旧市街の石畳を塗り潰し、不自然なほどに完璧な星空が浮遊都市の天井に点灯した頃、『テオ鑑定所』の狭い店内には、この街の階級社会を凝縮したような奇妙な静寂が漂っていた。


 使い古された作業机の上には、真鍮のトレイに載せられた二十四個の鋼球と、地下の記録庫から回収された「歯車」の紋章の破片が、ランプの微かな光を反射している。


「……公式な記録には、そのような組織名は存在しません」


 部屋の隅、最も埃の少ない椅子に背筋を伸ばして座るヴァレリーが、硬い声で断言した。彼女は依然として学園風紀維持局の制服を崩さず、自身の周囲に薄い浄化結界を張ることで、この店の「物理的な不潔さ」から自分を隔離しようとしていた。しかし、その手元にあるノートには、彼女自身の筆跡で「慣性モーメント」や「熱伝導率」といった、魔導師にとっては異端の言葉がびっしりと書き込まれている。


「風紀維持局のデータベース、学園広域監視ログ、果ては過去百年の犯罪白書。どこを洗っても『サイレント・ギア』なんて単語はヒットしないぜ。……表向きはな」


 カイルが、ホログラム端末の光で顔を青白く照らしながら、皮肉めいた笑みを浮かべた。彼は鑑定所のカウンターに遠慮なく腰掛け、足をぶらつかせている。


「だが、俺が収集している『システムの不備バグ』のログには、そいつらは何度も現れる。空中で発生した不可解な摩擦、結界の内側で起きた物理的なボルトの欠落、魔導核の出力と高度維持のわずかな計算ミス。すべては『魔素の揺らぎ』として処理され、闇に葬られてきた出来事だ。……その現場の隅に、必ずと言っていいほど、この歯車の傷跡が残されている」


 カイルが端末を操作すると、空中に出現したいくつもの画像が重なり合った。それは、かつてテオが見つけたワイヤーの固定痕や、断熱材の隙間、そして今日の鐘楼の軸受けの傷。それらを繋ぎ合わせると、一つの巨大な「歯車」の輪郭が浮かび上がるように設計されていた。


「彼らの目的は何なの? テオ。これほど高度な物理の知識を持って、なぜ世界をこんなに回りくどい方法で壊そうとするのかしら」


 アイリスが、淹れたての紅茶をヴァレリーの前に置きながら尋ねた。彼女の頬にはまだ薄く煤がついていたが、その表情はかつての空虚な令嬢のものとは別人のように、生命力に満ちている。彼女は魔法で温めるのではなく、ストーブの上の熱を伝導させて淹れたお茶の重みを、愛おしそうに掌で確かめていた。


「壊そうとしているのではありません」

 テオは、ピンセットで鋼球の一つを転がしながら、平坦な声で答えた。


「彼らは、この都市が『何によって立っているか』を思い出させようとしている。あるいは、その前提条件を少しずつ剥ぎ取っているだけです。……ヴァレリー局長、あなたはこの都市が空中に浮いている理由を、どう説明しますか?」


「愚問ですね。最深部にある『大魔導核』が、都市全域に反重力術式を展開しているからです。高度維持、気象制御、地盤の固定。すべては魔力によって統制されています」


「それは魔法的な『結果』です。ですが、物理的な『構造』はどうなっている?」


 テオは机の上に一枚の古びた断面図を広げた。それは地下の記録庫で見つけた、都市建設当時の未公開資料だった。


「この都市は、ただ魔法で浮かんでいるだけの風船ではありません。魔法によって生み出された巨大なエネルギーを、物理的な回転運動や圧力へと変換し、無数の『歯車ギア』によって高度を調整し、姿勢を制御している。魔法はエンジンに過ぎず、都市という船を動かしているのは、今や誰もが見向きもしなくなった機械仕掛けの骨組みなんです」


 テオが図面のある一点を指差す。

「サイレント・ギアが狙っているのは、その骨組みの『支点』です。一箇所一箇所の工作は小さく、魔法の探知には引っかからない。だが、慣性や摩擦、断熱といった物理の基本を少しずつ狂わせることで、都市全体の『物理的な剛性』を奪っている」


「……待って。それじゃあ、このままだとどうなるの?」

 アイリスの碧眼が、微かに揺れた。


「魔法でどれほど出力を上げても、それを伝える『歯車』が摩耗し、軸受けが溶着していれば、エネルギーは虚空に消える。……結果として、都市は魔法の命令に従わなくなる」


「現に、不吉なデータがあるぜ」

 カイルが、端末に最新の観測グラフを表示させた。


「ここ一ヶ月、都市の平均高度が、一日に数ミリずつ、一定の加速度を持って低下している。環境管理局の連中は、気圧計の『魔法的な誤差』だと言って握り潰しているがな。……だが、重力加速度は嘘をつかないぜ、テオ」


 四人の間に、重い沈黙が降りた。

 華やかな魔法の光に包まれた浮遊都市。その足元で、自分たちが信じていた「地面」が、音もなく、物理的な崩壊に向かって滑り始めている。


 ヴァレリーは、目の前の濁ったお茶を一口だけ啜った。魔法で浄化された透明な水とは違う、茶葉の渋みと熱が、彼女の喉をじりじりと焼く。その痛みだけが、今の彼女にとって唯一信頼できる「事実」だった。


「……信じたくはありませんが、現状、魔法の論理だけではこの事態を説明できません」

 ヴァレリーはノートを閉じ、凛とした瞳でテオを見つめた。

「テオ。私は風紀維持局長として、公式にあなたを『物理技術顧問』として監視下に置きます。もちろん、非公式に、ですが」


「断ります。監視されるのはエネルギーの無駄です」


「言い方に語弊がありました。……私に、その『物理』というバグの正体を、もっと教えなさい。魔法で解決できないことがこの世にあるというのなら、それを知る義務が、秩序を守る私にはある」


 ヴァレリーの言葉に、カイルが「お熱いねえ」と冷やかし、アイリスが楽しそうに笑った。


「いいじゃない、テオ。四人いれば、この都市の『摩擦』をすべて見つけ出せるかもしれないわ」


「……勝手にしてください。ただし、この店の清掃はアイリスの仕事です。ヴァレリー局長、あなたは入り口で結界を張るのをやめてください。空気の対流が止まって息苦しい」


 テオは面倒そうに頭を掻き、ランプの芯を調整した。

 絶縁体の鑑定士。

 極大魔力の令嬢。

 落ちこぼれの情報屋。

 潔癖な風紀の守護者。


 決して噛み合うはずのなかった四つの歯車が、この埃っぽい鑑定所の片隅で、静かに、しかし決定的に噛み合い始めた。


 窓の外では、浮遊都市の優雅な灯りが揺れている。

 だが、その光の裏側で、巨大な物理の歯車が、終わりへのカウントダウンを刻み始めていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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