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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第3章:沈黙の鐘

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ベアリングの消失

 鐘楼の内部に満ちていた魔法の残光が、テオの暴いた無機質な現実の前に、ひどく白々しいものに見えた。


 鉄のカバーが外された軸受けの内部は、無惨だった。本来、潤滑油に満たされ、真円に近い鋼鉄の球体ベアリングボールが整然と並んでいるはずの空間には、ただ真っ黒な金属の「滓」がこびりついているだけだった。魔法による「摩擦ゼロ」の定義が、物理的な限界を超えた瞬間に起きた熱力学的な悲劇の跡だ。


 テオはピンセットの先で、その滓を慎重に掻き分けた。彼の半眼が、ある一点で止まる。


「……計算が合いませんね」


「何がだよ、テオ」

 カイルが覗き込む。彼の持つ端末のホログラムは、五百年前の設計図を青白く映し出していた。


「この軸受けの直径と、支えるべき鐘の質量から逆算すれば、ここには二十四個の鋼球が配置されていなければならない。摩耗や熱による変質を考慮しても、金属の総質量は保存されるはずです。ですが……」

 テオは、ピンセットで小さな黒い塊を数個、トレイの上に並べた。

「ここにある残骸を集めても、十数個分にしかなりません。残りの『球体』は、最初からここになかった。あるいは、物理的に持ち去られたかです」


「持ち去られた、だと?」

 ヴァレリーが鋭く声を上げた。彼女の魔導杖の先が、不規則なリズムで明滅している。

「馬鹿げたことを。ここは中央大聖堂の最上階、学園の最高位結界が幾重にも張り巡らされた聖域です。物理的な窃盗犯が侵入すれば、その瞬間に警備術式が起動し、空間そのものが隔離される。ネズミ一匹、物理的な質量を持って入ることは不可能なのですよ」


「魔法の網は、確かに完璧なのでしょうね」

 テオは立ち上がり、黒く汚れた指先を自身の作業服で無造作に拭った。

「ですが、この軸受けは魔法で作られたものではない。五百年前に打ち出された、純粋な鋼鉄の機構だ。魔法が関与しない『ただの鉄』を、魔法を使わずに取り出したのだとしたら、あなたの言う完璧な結界は、単なる光のカーテンに過ぎません」


「そんな……。魔力を持たない者が、この高高度まで登り、数トンの鐘を支える軸受けから、正確に部品だけを抜いたと言うの?」

 アイリスが、自身の喉元に手を当てた。彼女の脳裏には、かつて自分を空から撃ち落とした「見えない糸」の記憶が蘇っていた。あの時も、魔法は何の反応も示さなかった。


「ベアリングの球体は、一個欠けるだけでも負荷のバランスが崩れます。二十四個で支えていた質量を、たった十数個で支えることになれば、球体一個あたりの圧力は倍増する。そこに、魔法による無理な加振が加わればどうなるか」


 テオは、トレイの上の黒い滓を指差した。

「接触面で急激な摩擦熱が発生し、金属は瞬時に溶融、そして再凝固する。それがこの『溶着』の正体です。犯人は、鐘を壊す必要も、魔法を解除する必要もなかった。ただ、数個の小さな鉄の球を物理的に抜くだけで、あとは魔法という名の『過剰なエネルギー』が、自ら鐘を沈黙させるのを待っていれば良かった」


「……なんて合理的な」

 カイルが戦慄を含んだ声を漏らす。

「魔導師たちが『魔法は正常だ』と信じて出力を上げれば上げるほど、物理的な破壊は加速する。自分の首を、自分の魔法で絞めさせていたわけか」


 ヴァレリーは顔を青白くさせ、鐘楼の壁に刻まれたルーンを見つめた。彼女が信じてきた「魔法による支配」が、たった数個の鉄球の欠落によって、かくも容易く逆手に取られた。それは彼女の矜持に対する、何よりも残酷な嘲笑だった。


 テオは無言で、軸受けの底に溜まっていた別の「痕跡」を拾い上げた。

 それは、摩耗した金属の粉末の中に混じっていた、小さな真鍮製の破片だった。ピンセットで持ち上げ、懐中電灯の光に晒す。


 そこには、精密なエッチングによって刻まれた、小さな「歯車」の断片が見えた。


「これは……」

 アイリスが息を呑む。


「『サイレント・ギア』。地下の記録庫にいた老人が持っていたものと同じ紋章です」

 テオの声は、冬の夜の空気のように冷ややかだった。

「彼らは魔法を壊そうとしているのではない。魔法が無視し、置き去りにした『物理の辻褄』を少しだけ狂わせ、世界が自壊するのを眺めている。……極めて悪趣味ですが、論理的には非の打ち所がありません」


「ふざけないで」

 ヴァレリーが杖を床に叩きつけた。石畳に火花が散る。

「物理が何だというのです。ベアリングが足りないのなら、魔法で空間を固定し、摩擦を術式で相殺すれば済む話です。そのような野蛮な工作、私の魔力で今すぐ上書きして見せます!」


 ヴァレリーが極大の魔力を練り始めた。彼女の周囲で空気がイオン化し、青白い雷光が走り始める。彼女は強引に鐘の軸受けに魔力を流し込み、物理的な破損を「魔法的な結果」で補完しようと試みた。


 だが、テオはそれを止めなかった。ただ、一歩後ろに下がり、アイリスを自分の背後へ引き寄せただけだった。


「やめておいた方がいい。魔法の『定義』と物理の『剛性』が衝突すれば、勝つのは常に……」


 テオの言葉が終わるより早く、鐘楼全体を揺るがすような、耳をつんざく不快な金属音が響き渡った。

 キィィィィィィィン――。

 それは音が鳴ったのではない。高密度の魔力が、物理的に固定された金属の塊に無理やり干渉しようとした結果、空間そのものが悲鳴を上げている音だった。


 ヴァレリーの魔法が軸受けに触れた瞬間、溶着していた金属が急激な熱膨張を起こし、逃げ場を失った応力が鐘の梁へと逆流したのだ。


「っ……!?」

 ヴァレリーの術式が弾け飛ぶ。反動で彼女の身体が数メートル吹き飛ばされ、石柱に背中を打ちつけた。


「局長!」

 魔導師たちが駆け寄るが、彼女はそれを手で制し、荒い息を吐きながら立ち上がった。彼女の視線の先では、先ほどまで沈黙していた大鐘が、不気味に、そして激しく「震えて」いた。


 音は出ない。ただ、巨大な質量が微細に、しかし暴力的に振動し、石造りの塔に亀裂を走らせている。


「魔法で『摩擦を消した』つもりでも、物理的な『歪み』は消えません。あなたの魔力は、ただ破壊のエネルギーを増幅させただけだ」

 テオは平然と言い放った。

「物理は、魔法による一方的な命令を拒絶しています。……カイル、周辺の振動データを記録しろ。この鐘楼の固有振動数と今の震えが共鳴すれば、塔そのものが物理的に崩壊する」


「了解だ、テオ。……おい、魔導師ども! 今すぐその無意味な術式を止めろ! 街のシンボルが瓦礫の山になるのを見たいのか!」


 カイルの叫びに、魔導師たちは狼狽しながらも術式の供給を遮断した。

 ゆっくりと、震動が収まっていく。鐘楼に再び静寂が戻ったが、それは平穏な沈黙ではなかった。そこにあるのは、いつ崩れるとも知れない危うい均衡と、正体不明の「物理の悪意」に対する底知れぬ恐怖だった。


 アイリスは、震える手で自身のブーツの爪先を見つめた。

 魔法で浮いているはずの足元。しかし、その魔法を支えているのは、このひび割れた石の床であり、地下深くから積み上げられた物理的な質量なのだ。


「テオ。……この街は、私たちが思っているよりもずっと、脆いものの上に立っているのね」


「ええ。魔法という名の潤滑油が切れた時、この都市が抱える本当の摩擦が牙を剥く。……抜かれた二十四個の鋼球。それらがどこへ消えたのか、それを追う必要がありそうです」


 テオは落ちていた真鍮の破片をポケットにしまい、暗い階段へと視線を向けた。

 鳴らない鐘。消えたベアリング。そして、姿の見えない「歯車」の影。

 浮遊都市の優雅な旋律の裏側で、何かが決定的に、そして物理的に軋み始めていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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