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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第3章:沈黙の鐘

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鳴らない大鐘

 中央大聖堂の最上階、天空に突き刺さるような鐘楼の中は、巨大な空洞そのものだった。


 石造りの壁には、都市の守護を象徴する無数の魔導ルーンが刻まれ、淡い青色の光を放っている。その中心に鎮座するのは、高さ五メートルを超える巨大なブロンズの鐘――『福音の鐘』だ。数百年もの間、都市の誇りとして磨き上げられてきたその表面は、鈍い黄金色の光沢を放ち、周囲の魔導回路から供給されるエネルギーを吸収して、微かに震えているように見えた。


 だが、その震えに「音」は伴っていなかった。


「……出力最大。術式展開、正常。魔力伝達効率、九十八パーセントを維持。理論上、鐘は鳴り響いているはずです」


 鐘楼の隅に設置された監視盤の前で、ヴァレリーが苦悶の色を浮かべていた。彼女の指先が触れる魔導スクリーンの上では、完璧な波形が描かれている。魔法の論理において、鐘を叩く衝撃は発生しており、その振動は都市全域に拡散されている「はず」だった。


 しかし、現実に彼女の耳に届くのは、虚しいまでの静寂と、魔導回路が発する微かな低周波の羽音だけだ。


「局長。やはり、何らかの認識阻害術式、あるいは高位の静寂結界が張られているのでは……」

 背後の魔導師たちが怯えたように囁き合う。彼らにとって、魔法が正しく機能しているのに結果が伴わないという事態は、自らの五感が呪われていると考える方が、まだ救いがあった。


「黙りなさい。結界の走査はすでに三度行いました。異常はありません」

 ヴァレリーは冷たく言い放ったが、その声には隠しきれない焦燥が混じっていた。


「それは、魔法の目で見ているからですよ」


 冷淡な声が、階段の闇から響いた。

 ヴァレリーが鋭い視線を向けると、そこには灰色の作業服を纏ったテオと、その影に寄り添うアイリス、そして不遜な笑みを浮かべたカイルが立っていた。


「また、あなたですか。ここは風紀維持局が封鎖した重要施設です。一般人が立ち入る場所ではありません」


「一般人ではなく、鑑定士です。……それに、あなたのその監視盤が示している『正常』という結果に、耐えられなかったものでね」

 テオはヴァレリーの脇を通り抜け、巨大な鐘の真下へと歩み寄った。彼は魔法の光が明滅するルーンには目もくれず、鐘を吊り下げている巨大な鉄製の梁と、それを作動させるための複雑なクランク機構を凝視した。


「テオ、見て。あんなに大きなハンマーがあるわ」

 アイリスが上を指差す。

 鐘の側面に備え付けられた、巨大な鉄の塊――。魔法によって加速され、ブロンズの腹を叩くためのその「打撃機ハンマー」は、今まさに術式に従って動こうとしていた。


「局長、もう一度作動させてみてください。魔法の結果としてではなく、ただの質量移動として観察したい」


 ヴァレリーは不快げに眉をひそめたが、現状を打破する手立てを持たない彼女は、無言で起動スイッチを押し込んだ。


 瞬間、鐘楼内の魔導ルーンが一際強く輝いた。

「鳴れ」という魔法の命令が物理的な力へと変換され、数トンの重さがある鉄のハンマーが、猛然と鐘に向かって振り下ろされる。


 目にも止まらぬ速さ。本来ならば、激突の瞬間に鼓膜を破らんばかりの衝撃音が轟き、塔全体を揺らすはずのエネルギーだ。


 だが。


 ガツッ、という、拍子抜けするほどに鈍い音が一つ。

 それだけだった。

 ハンマーは鐘の表面に触れる直前、まるで目に見えない分厚いゴムの壁にでも突き当たったかのように急減速し、そのまま力なく跳ね返ったのだ。


「……何よ、今の。当たったの? それとも止まったの?」

 アイリスが困惑したように声を漏らす。


「当たっていますよ。ですが、運動エネルギーが全て『何者か』に吸収されている」

 テオは懐中電灯を取り出し、ハンマーの先端と鐘の接触面を照らし出した。


 そこには、奇妙な光景があった。

 ハンマーの打撃面には、魔法による加速の痕跡である青い火花が残留している。しかし、鐘の表面は一ミリも凹んでおらず、振動すら起きていない。それどころか、本来なら激突の瞬間に発生するはずの摩擦熱すら、テオが翳した温度計には反応しなかった。


「物理的な壁、と言いましたね、テオ」

 カイルが端末を叩きながら近づいてくる。

「魔導師たちの記録によれば、ここ一週間の間で、鐘の音が徐々に『低くなって』いったそうだ。そして今朝、ついにゼロになった。魔法回路は昨日と同じエネルギーを注ぎ込んでいるのに、物理的な出力だけが減衰し続けている」


「エネルギー保存の法則が、魔法の内部で死んでいますね」

 テオは鐘の台座に膝をつき、ある一点を指差した。

 そこは、鐘の振動を支え、同時に回転を許容するための巨大な「軸受け(ベアリング)」の部分だった。


「ヴァレリー局長。あなた方は、魔法でハンマーを動かし、魔法で音を拡散させることばかりに腐心している。ですが、その間にある『支点』を確認したことはありますか?」


「支点……? それは物理的な支持構造に過ぎません。魔法的な補助術式によって、常に摩擦ゼロの状態に保たれているはずです」


「『摩擦ゼロ』。それがこの都市の、最大の傲慢です」

 テオは工具袋から小さなスパナを取り出し、軸受けを保護している重厚なカバーのボルトを、強引に回し始めた。


「やめなさい! 聖なる鐘を勝手に解体するなど……!」

 魔導師たちが制止しようと詰め寄るが、アイリスがその前に静かに立ちはだかった。彼女が魔力を一切使わず、ただその冷徹な碧眼で睨んだだけで、魔導師たちはその場に縫い止められた。


「テオの話を聞いて。彼は今、魔法が捨て去った『真実』を暴こうとしているのよ」


 ボルトが外れ、重い鉄のカバーが石畳に落ちて響いた。

 その内部を覗き込んだ瞬間、ヴァレリーは言葉を失った。


 そこにあるはずの、滑らかに回転し、重い鐘を支えるはずの幾十もの「鋼鉄の球体」が、無惨にもひしゃげ、真っ黒な炭のような物質に変質していたのだ。


「……ベアリングが、潰れている……?」


「いいえ。これは『溶着』です」

 テオは平坦な声で告げた。

「魔法によって『摩擦は存在しない』と定義されていたせいで、実際には発生していた微細な物理的ストレスが無視され続けた。金属同士が分子レベルで結合し、一つの塊になってしまったんです。これでは、どんなに魔法でハンマーを叩き込もうとしても、鐘そのものが『物理的な回転』を拒絶し、エネルギーを逃がすことができない。ハンマーの力は鐘を鳴らすための振動にならず、すべてこの潰れた軸受けをさらに圧縮するためだけの熱と圧力に変換され、消えていた」


 テオは真っ黒に汚れた指先で、ひしゃげた鋼鉄の欠片を拾い上げた。


「魔法は正常。ですが、この鐘を支える『物理』が、もう限界なんです」


 鐘楼に流れる空気は、これまでとは違う重みを帯びていた。

 魔法が「正常」だと言い張り、システムが「成功」を報告し続ける裏側で、物理という名の現実が、音もなく、悲鳴すら上げずに壊れていた。


 テオが暴いたのは、鳴らない鐘の正体だけではない。

 それは、魔法に甘え、世界のことわりから目を逸らし続けてきた浮遊都市そのものの、歪な「沈黙」の始まりだった。


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