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無魔(ノーマ)の鑑定士~絶縁体の少年と、極大魔力の令嬢~  作者: ぱすた屋さん
第3章:沈黙の鐘

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情報屋カイルの誘惑

 浮遊都市の朝は、本来であれば、中央大聖堂の『福音の鐘』によって幕を開ける。


 その鐘の音は、魔導拡声術式によって都市の隅々まで均一な音量で届けられ、市民に一日の始まりを告げる神聖な律動リズムだった。しかし、その日の朝、都市を包み込んだのは静寂だった。予定された時刻を過ぎても、空を震わせるはずの重厚な金属音は響かなかった。


「……耳が痛いほどの静けさですね」


 テオは鑑定所の奥で、分解された時計の歯車をピンセットで掴んだまま、独り言のように呟いた。

 環境制御されたこの都市において、予定された音が鳴らないという事態は、物理的な不調というよりも、世界の法則そのものが歪んだかのような不気味な違和感を伴っていた。


 その時、鑑定所の古びたドアが、遠慮という言葉を知らない勢いで蹴開けられた。


「おいテオ! 生きてるか、物理の亡霊!」


 騒々しい声と共に飛び込んできたのは、使い古された情報端末を肩から下げた少年だった。テオと同じ十七歳。学園の情報管理局に所属しながら、魔力指数の低さゆえに「落ちこぼれ」の烙印を押されている少年、カイルである。


 彼はテオの作業机に乱暴に身を乗り出すと、手垢のついた端末の画面を無理やりテオの目に近づけた。


「見たか、今朝のニュース。大聖堂の『福音の鐘』が沈黙した。魔導師どもは血相を変えて『精霊のストライキだ』とか『聖域の魔素不足だ』とか抜かしてるが、俺の勘が言ってる。これは最高の『失敗エラー』だぜ」


 カイルは、他人の不幸や魔法の失敗を何よりも好む歪んだ情熱の持ち主だった。彼にとって、完璧な魔法社会が露呈する一瞬の「綻び」こそが、世界で最も価値のある情報だった。


「カイル、声が大きい。それに、依頼ならアイリスに。彼女が今のところ、この店の受付兼助手ですから」


 テオが視線を向けると、店の隅で真剣な表情で床を掃いていたアイリスが、箒を抱えたまま上品に一礼した。


「おはよう、カイル。……テオ、掃き掃除は終わったわ。次は窓の『摩擦』を確認してもいいかしら?」


「アイリス様……!? なんで公爵令嬢がこんな埃っぽいところで丁稚奉公してるんだよ。世も末だな」


 カイルは呆れたように肩をすくめたが、すぐに表情を「情報屋」のものへと戻した。


「まあいい、令嬢の趣味はさておきだ。テオ、この案件、お前ならどう見る? 現場の魔導師たちの報告書をハッキングして覗き見したが、奴らは『魔法回路は正常』だと断言してる。魔力は供給され、術式は起動し、鐘を叩くはずのハンマーには、確かに『運動の意思』が伝わっている。なのに、鐘は鳴らない。物理的にはハンマーが動いているはずなのに、音が一切出ないんだ」


 テオはピンセットを置き、ようやくカイルの方を向いた。その半眼の奥に、わずかな熱が宿る。


「……魔法回路が正常で、物理的な音が出ない。それは矛盾していますね」


「だろう? 魔法は『鐘を鳴らせ』と命じている。だが、物理現象としての『音』という結果が拒絶されているんだ。これこそお前の大好物、魔法という嘘が物理という現実に弾き返された瞬間だと思わないか?」


 カイルはニヤリと笑い、端末から一枚の図面をホログラムで投影した。


「大聖堂の鐘楼の設計図だ。といっても、魔法的な術式図じゃない。俺が過去の古文書から掘り起こした、五百年前の『純粋な構造図』だ。そこには、今の魔導師たちが『単なる飾り』だと思い込んでいる巨大な歯車と、軸受けの構造が描かれている」


 テオは投影された図面をじっと見つめた。

 魔法によって自動化される以前、その鐘は巨大な歯車を組み合わせ、重力のエネルギーを利用して鳴らされていた。今の魔導師たちは、その複雑な機械構造を理解せず、ただ表面的な術式を被せることで「鐘を鳴らす」という結果だけを維持している。


「鐘楼に登る許可は?」


「風紀維持局のヴァレリーが、原因不明の事態に頭を抱えて現場を封鎖してる。あいつ、真面目すぎて『魔法で解決できないはずがない』って自分を追い詰めてるぜ。……テオ、お前が行けば、あいつのプライドを粉々に砕いて、真実を引っ張り出せる」


 カイルの言葉は誘惑だった。

 テオにとって、好奇心は動機にならない。しかし、目の前に提示された「論理的矛盾」は、放置しておくと肌を粟立たせる不快なノイズだった。


「……物理的なハンマーが動いているのに、音が鳴らないはずがない。もし鳴らないのであれば、そこには魔法の観測から外れた『物理的な壁』が存在している」


 テオは灰色の作業着の汚れを払い、工具袋を腰に巻いた。


「アイリス、店を閉めます。今日は、鐘の音の正体を探りに行きましょう」


「はい、テオ! 物理的な『響き』の正体、私もこの目で見たいわ」


 アイリスは嬉々として箒を置き、テオの後に続いた。

 カイルはそれを見て、満足げに端末を叩く。


「よし、役者は揃ったな。……この街に、本物の『音』を取り戻してやるよ。魔法の嘘っぱちじゃない、鼓膜を震わせる本物の衝撃をな」


 三人は、沈黙に包まれた都市の中央へと歩き出した。

 天空にそびえる大聖堂の鐘楼が、何も語らぬまま、冷たい秋の陽光を反射して立ちはだかっていた。その巨大な鐘の内部で、物理法則が静かに、しかし決定的に「沈黙」を命じている理由を、まだ誰も知らなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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