省エネ鑑定士の休日
ちょっと影響されて書いてみました。
だいたい40話前後で終わるかと思います。
浮遊都市、アーベント。
雲海を眼下に望むこの街において、重力とは克服されるべき過去の遺物であり、万物は魔力という名の見えない糸に吊るされていた。朝の訪れを告げるのは、塔から放たれる輝く魔素の波動であり、人々は浄化された光の中で、祈るように魔法の恩恵を享受する。
しかし、その光の届かない路地裏、古びた煉瓦造りの建物の二階には、世界で唯一「重力」から逃れることを許されない少年がいた。
テオは、枕元で鳴り響く機械式時計の針を止めた。
ゼンマイがほどける微かな振動、金属の歯車が噛み合う乾いた音。魔法式の目覚まし時計が奏でる優雅な旋律とは無縁の、あまりに即物的な朝だ。
彼はゆっくりと体を起こし、寝癖のついた黒髪を乱暴に掻いた。半開きの目は、常に眠たげな印象を周囲に与える。彼が身に纏うのは、魔力を一切通さない特殊な繊維で織られた灰色の作業服だった。装飾はなく、機能性のみを追求したその服は、華やかな魔導衣が闊歩するこの街では、ひどく浮いて見える。
テオは「絶縁体」と呼ばれる特異体質だった。
数十万人に一人。体内に魔力を保持できず、外部からの魔力干渉もすべて無効化してしまう。浮遊魔法の絨毯に乗れば、彼だけがその場に留まり、治癒魔法をかけられても傷口は一向に塞がらない。
人々は彼を「無魔」と呼び、魔法という名の奇跡から見捨てられた者として同情するか、あるいは秩序を乱す異物として蔑んだ。
だが、テオにとって、世界は奇跡の連続ではなかった。
「……腹が減る、というのは、化学エネルギーの不足による純粋な物理的要請だ」
独りごちながら、彼は鉄製のケトルを火にかけた。魔法の火種を使うのではなく、火打石と可燃性の燃料を用いる。お湯が沸騰し、蒸気が蓋を押し上げる。
魔法を使える者たちにとって、お湯は「熱くなれ」という意志によって得られる「結果」に過ぎない。しかしテオにとっては、熱が水分子を激しく振動させ、相転移を引き起こした末の「プロセス」だった。
朝食を済ませると、彼は店舗を兼ねた作業場のシャッターを上げる。
看板には、消えかかった文字で『鑑定屋:テオ』とだけ書かれていた。
鑑定。それは本来、対象に含まれる魔力残滓を読み取る高尚な魔導師の職能だ。だがテオの鑑定は違う。彼は、魔力という「便利な嘘」を取り除いた後に残る、生の物質の声を聴く。
昼前、一人の男が店を訪れた。
身なりの良い商人のようだが、その表情は青ざめている。彼は震える手で、一つの小さな魔導ランプを机に置いた。
「鑑定士さん、これを見てくれ。代々伝わる名品なんだが、昨日から急に灯らなくなった。教会に見せたら『悪霊の呪い』だと言われたんだ。浄化の祈祷に金貨三枚も要求されたが、あんたなら安く済ませられると聞いてな」
テオは眠たげな目をさらに細め、無造作にランプを手に取った。
魔法を使える者なら、ここで「マナの回路」を確認するだろう。だがテオの指先は、ランプの継ぎ目にある微かな歪みを探り当てた。
「呪いですか。それは随分と便利な言葉ですね。思考を停止させるのには最適だ」
テオは懐から小さな精密ドライバーを取り出し、ランプの底板を外した。
「な、何をする! 聖なる器を解体するなんて……!」
「静かに。鑑定中です」
テオは男の制止を無視し、内部を覗き込む。そこには、魔力を光に変換する魔法触媒の小片が組み込まれていた。
テオの目には、その触媒が放つはずの輝きは見えない。見えているのは、触媒を固定するための金属製のバネが、長年の使用によって金属疲労を起こし、わずかに折れているという事実だけだった。
「呪いの正体はこれです」
テオはピンセットで、折れた小さな針金を取り出した。
「ただの……針金か?」
「ええ。魔法回路を起動させるための接点が、物理的に外れていただけです。接点が離れれば、どれほど祈ろうが魔力は流れません。断線、という物理現象です」
テオは引き出しから予備のバネを取り出し、手際よく交換した。蓋を閉じ、台座のスイッチを入れると、ランプは即座に温かな光を放った。
「おお……! 直った、本当に直ったぞ!」
「修理代は銀貨五枚。祈祷を受けるよりは安上がりでしょう。それと、今後は魔法に頼る前に、一度落としたりしなかったか記憶を辿ることをお勧めします。重力というやつは、意外と執念深いので」
男は何度も頭を下げながら去っていった。
テオは報酬の銀貨を机の引き出しに放り込み、再び深い溜息を吐いた。
魔法。この都市のすべて。
だが、その裏側で、世界は確実に物理の歯車で回っている。人々がそれを無視し、奇跡に酔いしれればしれるほど、テオの目には「世界の綻び」がノイズとなって映るのだ。
「……さて、休日の続きを始めよう」
彼は再び作業机に向かい、最近手に入れた「動かない古い歯車時計」の分解を再開した。
誰にも邪魔されない、物理法則だけの静かな時間。
しかし、その静寂は、遠く空の彼方から響く「異音」によって破られることになる。
それは魔力の乱れではない。何かが空気を切り裂き、激しく大気を震わせ、落下してくる物理的な「質量」の音だった。
テオは窓を開けた。
雲を割り、高度を下げてくる一筋の光。
それは学園の制服を翻し、制御を失ったまま墜落してくる「宝石」のような少女の姿だった。
誰もが「魔素の揺らぎ」と呼ぶであろうその墜落を、テオだけは冷めた目で見つめていた。
「……空気抵抗を無視した飛行計画の末路か。不快なノイズだ」
彼は作業着の袖を捲り、腰のベルトから一本のワイヤーを取り出した。
それが、彼とアイリス、そしてこの都市の真実へと繋がる最初の「摩擦」になるとも知らずに。
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次回お楽しみに。




