表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「アンチに負けない!」「私が因習を変えてやる!」筆頭聖女カスィーナ・ディアズホーンの追放

掲載日:2026/01/27

「聖女カスィーナ。貴様を筆頭聖女の任から解き、国外追放とする」


 王城の謁見の間。高い玉座から見下ろす王太子マルシム様の声が、広間に朗々と響き渡った。その横には、同僚の聖女であるフェリンが、上っ面だけの不安そうな顔をしながら控えている。周囲に控える騎士や大臣たち、そして私の後ろで小さくなっている地味な聖女たちの視線が一斉に私に突き刺さった。ああ、本当に。なんて愚かなのかしら。私は優雅に微笑んで、ゆっくりと頭を下げた。


「……謹んで、お受けいたしますわ。マルシム殿下」


 顔を上げた時、殿下の眉間に深い皺が刻まれているのが見えた。こめかみには青筋さえ浮いている。可哀想に。愛する私を「悪役」にして逃がすために、そこまで心を引き裂かれるような思いをして演技なさっているのね。私は知っている。教会の古臭い役員たちが、「改革」を進める私を疎ましく思い、殿下に圧力をかけたのだと。殿下は王族としての立場のせいで、愛する私を守るために泣く泣くこの「追放劇」を演じているのだ。


 納得がいかない?ええ、普通ならそう思うでしょうね。だって、あたしはこの国のために、一番働いてきたんだもの。廃れかけていた女神信仰を盛り上げ、ここまで有名なコンテンツにしてあげたのは、誰だと思ってるの。

 大聖堂を出るとき、背中に刺さる視線は、好奇心と安堵と嫉妬と、あとちょっとした優越感が混ざった、あの嫌な気配だった。


 ――ああ、そう。

 女神さまに選ばれなかった側の人間らしい視線ね。あたしはひとつも振り返らず、聖堂の階段を降りていった。


 この日、あたしは決めたの。

 あたしは間違っていない。

 間違っているのは、あたしを追放した連中のほうだって。


 だから、その前提で聞いてちょうだい。

 あたしがどうやって筆頭聖女になって、どれだけ女神さまとこの国のために働いてきたか――その本当の話を。


*****


 元々、あたしは下町のただの看板娘だった。ある日、神殿の神官に聖力を見出されて連れて行かれるまでは。神殿に入った瞬間、あたしは悟ったの。「ああ、やはり私は選ばれた人間なのだ」って。圧倒的な聖力量。輝くような金髪と美貌。あっという間に筆頭聖女に上り詰めたのは当然の結果だった。


 ……そのくせ、神殿ってやつはやたらと古臭い決まりごとが多くてね。たとえば、聖女服。布をたっぷり使った白いローブ、何百年も変わらない決まりきった刺繍、重たいフード。儀式以外で着るのは禁止。外に出るときは地味な灰色の外套を上から羽織ること、って。あたしから見たら、笑っちゃうくらいダサかった。ナンセンスの極みよ。街ではもっと可愛い服が流行ってるのよ?若い子たちは色とりどりのドレスを着て、髪も飾って、恋だの噂だのに夢中。そんななかに、あんなカビの生えたような格好の集団が現れたって、誰も振り向きゃしない。それで「若者の信仰が薄れてきている」とか嘆いてるんだから、本当にバカみたい。


 ――だから、あたしが動くしかなかったの。


「見て、フェリン。これ、どう?」


 私は姿見の前でくるりと回ってみせた。丈を膝上まで短くカットし、広がりすぎないタイトなシルエットに。裾には特注のレースをあしらい、一番のポイントはデコルテを大胆に見せるVラインと、チョーカーのように巻きつけた金糸のリボン。鏡の中の自分を見た瞬間、あたしは確信した。


 ――女神さまって、きっと、こんな感じ。教会の奥にある石像なんかよりずっと洗練されていて、ちゃんと「時代」に合ってる。これなら街の子たちも「あ、聖女服って可愛いんだ」「聖女になりたい」って思ってくれるはず。今まで「古臭い宗教」扱いされてたものを、「憧れの対象」に変える。それって、素晴らしい改革でしょう?


「……カスィーナ様。それは、聖女の法衣ですか?」


 同僚の聖女フェリンが、引きつった顔で聞いてきた。彼女は優秀だけど、頭が固いのが玉に瑕なのよね。


「ええ、少しアレンジしてみたの。可愛いでしょ?」


「可愛いとか、そういう問題では……!法衣の刺繍には防護結界の意味があります。丈を詰めたり、胸元を開けたりしては、術式が成立しません!」


「あらフェリン。でも先日の儀式は成功しましたよね?」


 私は余裕の笑みで返した。先日、この服で街を歩いた時の熱狂を彼女は知らないのだ。男たちは皆振り返り、女たちは羨望の眼差しを向けた。


「信徒の皆さんの反応も、とてもよかったです。女神さまの偉大さを、あたしなりのやり方で伝えただけですわ」


「この格好で街へ出られたのですか?聖衣を儀式や聖堂以外で着用することは、固く禁じられているはずです」


 出たわね、その「禁止」って言葉。 私は呆れてため息をついた。


「それってただの因習でしょ? 昔の人が決めたルールに、いつまで縛られてるのよ」


「因習ではありません! 聖衣が外での着用を禁じられているのには理由があります。これは儀式のための『礼装』であり、魔力を通す『触媒』です。許可された場所で、定められた手順で纏うからこそ意味があるのです。むやみに外へ持ち出せば、聖女の権威に関わりますし、悪用される危険性だって――」


「固いわねえ。じゃあ聞くけど、それを破ったら何か罰則があるの? 法典の第何条に『懲役何年』って書いてあるわけ?」


 私が問い詰めると、フェリンは言葉に詰まった。


「それは……聖女の性善説に基づいた規定ですから、明確な罰則規定はありませんが……」


「ならいいじゃない。好きな時に好きな服を着る自由は、私にもあるはずよ。聖女だからっておしゃれを禁止されるいわれはないわ」


「自由はあります。私服であれば誰も文句は言いません。ですが、それは『聖衣』です。公的な象徴なんです!私物化していいものではありません!」


 フェリンは顔を真っ赤にして捲し立ててくる。私は心の中で冷ややかに笑った。――必死ね。結局のところ、彼女は「聖女の権威」だの「理由」だのを並べ立てているけれど、本音は違う。自分が地味で似合わないから、私が着崩して輝くのが許せないのよ。「ルールを守ってる私が馬鹿みたいじゃない!」っていう、典型的なアンチの嫉妬。


「はいはい、わかったわよ。でも何も問題は起きていないから、いいでしょう」


 私は議論を打ち切るように、余裕の笑みで返した。

 フェリンは絶句していた。可哀想に。彼女には「才能」がないから、ルールにしがみつくしかないのね。あたしは女神さまの力を信じてるの。あたしを通して顕れる女神さまの美しさを、ね。


*****


 神殿の中には、フェリンみたいにあたしに注意してくる「アンチ」が一定数いた。地味な実務畑の神官とか、お局様の古株聖女とか。彼らはあたしの人気が妬ましいのよ。だから、仕事の割り振りのとき、あたしが「それもあたしがやるわ」と気を利かせて言っても、嫌な顔をする。考えてみてほしい。暗い部屋で薬草を調合したり、写本を作ったりする地味な仕事は、別にあたしじゃなくてもいいのよ。誰がやっても同じ結果なら、経験を積みたい下の子たちに回してあげたほうがいいじゃない。その代わり、王城の大儀式、戦勝パレードの祝福、貴族の結婚式――大きくて華やかで、民の注目を集める仕事は、あたしがやったほうがいい。だって、あたしは人気がある。あたしが立てば、信徒は増え、寄進も増え、女神さまの名前も広まる。極めて合理的よね?それなのに、フェリンたちは「カスィーナ様、勝手なことをしないでください」「手順を守ってください」とうるさい。


 そういえば先月、アンチたちの告げ口があまりにうるさいから、マルシム殿下が直々に神殿へいらしたことがあったわ。神官長たちは「王太子殿下の査問だ」なんて意地悪く言っていたけれど、あたしには殿下の本心が痛いほどわかった。


「……カスィーナ。人払いを」


 殿下は、あたしをわざわざ二人きりの小部屋に呼び出した。その顔は険しく、瞳には強い光が宿っていた。


「君の行動について、悪い噂が絶えない。神殿の規律を乱し、独断専行が過ぎると報告が上がっている。……本当なのか?」


 殿下は心から心配そうに私に問いかけてきた。その必死な形相を見て、私は胸がキュンとしたものよ。ああ、殿下は心配でたまらないのね。あたしが教会の古臭い老人たちにいじめられていると思って、公務を放り出して飛んできてくださったのだわ。「査問」という名目で、本当は私に会いに来た。そして、私の口から「大丈夫」という言葉を聞いて安心したかったに違いない。


「ご心配には及びませんわ、マルシム様。あれは改革に伴う痛み……嫉妬深い人たちの雑音です」


「嫉妬、だと……? 君は本気で、自分の行いが正しいと思っているのか?」


「ええ、もちろんです。全ては女神さまと、愛する貴方様のために」


 私が微笑みかけると、殿下は苦しげに顔を歪め、片手で額を覆って深くため息をつかれた。


「……そうか。君は、そこまで……」


 言葉にならない想い。王太子という立場上、教会の決定には逆らえないけれど、心はあたしにあるという葛藤。

 あの苦悩に満ちた表情こそ、私への愛の証だった。結局、その日は帰られてしまったけれど、陛下の激励があったからこそ、私はさらに精力的に活動した。


 特に孤児院への訪問については、本当に頭が固いアンチばかりだったけれど、殿下の期待に応えるために無理をしてでも足を運んであげていたのよ?


「カスィーナ様、あまり頻繁にいらっしゃると、子供たちの学習時間の妨げになります。それに、食料の配給日ではないのに来られても……」


 孤児院の院長にそう言われた時、私はハッキリと言ってあげたの。「院長。彼らに必要なのはパンだけではありません。もっと高尚な『夢』です。私の姿を見て、美しさや気高さを学ぶことこそが、彼らの魂を救うのです」


 子供たちは正直よ。最初はモジモジしていたけれど、私がカメラマンを連れて行って「はい、笑って!女神さまが見てるわよ!」と声をかければ、みんな必死に笑顔を作った。中には「お腹すいた」「遊びたい」なんてわがままを言う子もいたけれど、そこは聖女として厳しく教育したわ。「欲しい欲しいばかりでは、立派な大人になれないわよ」って。これは立派な、聖女の救済活動グリーティングよ。


*****


 決定的な事件が起きたのは、先日の『星詠みの儀』だった。あたしは、儀式の祝詞を変えることにした。だって、何百年も同じ言葉なんてつまらないし、誰も聞いてないもの。私は祭壇の中央で、両手を広げて高らかに謳い上げた。「――我は女神の声、女神の体。我を見ることは女神を見ること。我と女神は一つなり!」


 その瞬間だった。バリバリッという轟音と共に、祭壇に雷が直撃した。地面が揺れ、神殿のステンドグラスが割れ飛んだ。悲鳴を上げて逃げ惑う神官たち。そして、祭壇の奥にある「預言の石板」に、見たこともない禍々しい赤い文字が浮かび上がったのだ。


 神官長が震える声でそれを読み上げた。『愚か者が、わたしの名を騙り、わたしと己を混ぜ合わせて語っている』『その舌、その衣、その歩みを正さぬ限り、この地から祝福を引こう』『真にわたしを畏れる者よ、愚か者をその座から降ろしなさい』


 神殿は大パニックになった。「女神の怒りだ!」「誰だ、愚か者とは!」みんな真っ青な顔をしていたけれど、あたしはすぐにピンときたわ。これは、「あたしの真似事をしている誰か」への警告ね。最近、あたしが流行らせた「改造聖女服」のコピー品が出回って、聖女のコスプレをして悪さをする不届き者が増えているって聞いていたもの。女神さまは、あたしのブランドイメージを守るために、怒ってくださったのだ。


「カスィーナ……これは、お前のことではないのか?」


 マルシム殿下が沈痛な面持ちで聞いてきた時、あたしは思わず吹き出してしまった。


「殿下、ご冗談を。あたしが愚か者なら、そもそもこんな力、授けないでしょう?これは、私を妬んで名を騙る偽物たちへの粛清命令です」


 でも、それから奇妙なことが起きた。国中の聖女の力が、消えたのだ。あたしを含めて、全員の聖力が使えなくなった。神官たちは「女神が加護を断った」と騒いだけれど、あたしはこう解釈している。――女神さまは、怒りのあまり、一度力を制限しただけなのだと。そして、再起動するときには、本物の女神であるあたしだけが、より強い力を得て復活するはずだわ。


「……連れて行け」


 マルシム殿下の合図で、衛兵たちがあたしの腕を掴んだ。手荒な真似ね。でも、いいわ。この国はもう、あたしという器を支えきれないのよ。あたしは追放されるんじゃない。女神として覚醒するために、新しいステージへ旅立つのだ。


 扉の向こうへ押し出される直前、私は殿下へウインクを投げた。待っていて、マルシム。私が伝説になって戻ってきた時、貴方は涙を流して私に許しを請うでしょうから。


*****


「……そういうわけで、あたしは『追放された聖女』ってワケ。」


 白い壁に囲まれた面談室で、目の前の患者――元筆頭聖女カスィーナは、恍惚とした表情で、最後に付け加えるようにして語り終える。


「でも、今更あたしの力が惜しくなったってもう遅いわ!マルシムとの元鞘になんて戻らないんだから。もっとあたしのことを理解してくれる、隣国の王子様とあたしは幸せになるんですもの」


 私はルシル。この王立第3精神療養所の主治医だ。私は鼻眼鏡の位置を直し、手元の分厚いカルテと、王宮から送られてきた『調査報告書』の束に視線を落とした。彼女の語る「物語」と、ここに記された「事実」の乖離は、あまりにも凄惨だ。


私は一枚ずつ、資料を確認していく。


◆資料1:王都北区孤児院院長提出嘆願書文書番号:1893分類:対外苦情/至急


本文:


筆頭聖女カスィーナ・ディアホーン様の連日のご訪問について、当孤児院は深刻な支障をきたしております。


聖女様はこの二ヶ月ほど、毎日のように写真機を持参し来訪されます。

子ども達に特定のポーズを強要し、「笑顔が違う」「もっと可愛く」などと叱責しながら撮影を繰り返されます。


最初こそ子ども達も喜んでおりましたが、やがて「遊びたい」「写真はもう嫌だ」と抵抗を示すようになりました。

私どもが聖女様に対し、「お忙しいでしょうから、週に一度で充分です」とお伝えしたところ、

『私に逆らうのは女神に逆らうのと同じよ。そんな心じゃ幸せになれないわ』

と返され、子ども達は怯えて泣く事態となりました。


当院は写真スタジオではなく、子どもは聖女様の“宣伝素材”ではありません。


どうか、適切なご対処をお願い申し上げます。


◆資料2:聖女局連名による内部告発状文書番号:2017分類:内部申請


本文:


筆頭聖女カスィーナ様による業務の独断的介入により、当部の負担は限界に達しています。


・担当者を差し置いて儀式の準備を“善意”と称して奪う

・しかし儀式手順の理解不足により、後処理はすべて部員が担当

・報告を行おうとしても「嫉妬ね?」と決めつけられ、会話不能

・聖女衣の改造により、祭具保全の結界が乱れる事故が複数発生


特に衣装の改造は、「女神様の御力を安定させる紋様」を破壊することに等しく、儀式安全基準に違反しております。


精神的・肉体的疲弊が深刻なため、筆頭聖女への指導、または職務制限を強く求めます。


◆資料3:王宮警務局発行緊急防犯通達文書番号:2378分類:重要犯罪


本文:


王都内にて「聖女の衣」を悪用した犯罪が多発している。

偽聖女による詐欺・強盗・侵入事案は、過去二ヶ月で十四件。


背景として、筆頭聖女カスィーナ殿による「私用での衣装着用・市中歩行」が前例となり、民間において“聖女姿の人物=公認”という誤認を生んでいる。


カスィーナ氏に対し、聖衣の私的利用を控えるよう何度も要請したが、『私が流行を作ったのだから感謝されるべき』と取り合わず、被害は拡大の一途を辿っている。


教会は即刻、筆頭聖女の行動を制限し、衣装の公私混同を禁じる措置を講じるよう求める。


◆資料4:儀式事故調査および神託解析報告書文書番号:2501分類:国家機密

事故名:第七祈祷儀式崩壊

発生日:王都暦309年光月14日


【概要】


筆頭聖女カスィーナ・ディアホーンによる独自の祝詞改変が実施された結果、祭壇に雷撃を伴う地響きが発生。

儀式参加者および参列者十六名が負傷。


【被害】

・全聖女から聖力が消失(現状:聖女フェリン・アーガイル等一部の聖女の権能のみ回復)

・祭壇石柱の損壊

・周辺建物に亀裂発生


【予言の石板に浮かび上がった文字の内容】

『愚か者が、わたしの名を騙り、わたしと己を混ぜ合わせて語っている』『その舌、その衣、その歩みを正さぬ限り、この地から祝福を引こう』『真にわたしを畏れる者よ、愚か者をその座から降ろしなさい』


【結論】

カスィーナ・ディアホーンによる規範逸脱が女神契約構造そのものを破壊した可能性が高い。

王太子マルシム殿下の決定に基づき、筆頭聖女資格の剥奪および追放処分とする。


◆資料5:国境警備隊・事後報告書 文書番号:2612 分類:緊急保護


【概要】

追放処分を受け、国境付近の村落へ移送されたカスィーナ氏は、出国することなく同地に滞在。 村の広場で「私は国に不当に扱われた」「教会にはびこるアンチと戦わなければならない」と演説を行い、村人に対して強引に活動資金カンパを要求した。


貧しい村人たちが拒否すると、「女神への信仰が足りない」「地獄に落ちるわよ」と恫喝し、家々を回って金品を無心する騒ぎへと発展。 近隣の複数の村から『元聖女を名乗る狂人が暴れている』『早くなんとかしてくれ』との苦情が殺到したため、国境警備隊が身柄を拘束。 精神錯乱の兆候が著しいため、医療機関への「緊急措置入院」として王都へ再移送した。



……読むだけで頭痛がしてくる。彼女は「アンチの嫉妬」だの「古い因習」だのと言っていたが、現実はもっと単純で残酷だ。彼女は、ただのルール違反者であり、無自覚な加害者だった。それも、国を滅ぼしかけるレベルの。


「先生、話ってこれで終わり?そろそろ“信徒たち”が待っているの」


 カスィーナが、上気した顔で私の袖を引いた。彼女の言う“信徒たち”とは、この病棟の中庭にいる他の患者たちのことだ。彼らは彼女の妄想を否定しない、都合の良い聴衆だ。


「……ええ、そうですね。お時間です」


 私は静かに椅子を引き、立ち上がった。彼女に真実を突きつけることは、もう医学的にも意味をなさない段階に来ている。彼女の認知は、自分に都合よく世界を書き換えることでしか保てないのだ。

 面談室の扉が静かに開く。恰幅の良い看護師が、柔らかい、しかし有無を言わせぬ調子で呼びかけた。


「はいはい、聖女様。お祈りの時間ですよ」


 看護師の手には、プラスチックのカップに入った数種類の錠剤――精神安定剤が握られている。


「あら、今日の供物はそれだけ?……まあいいわ。貴女たちの精一杯の信仰心、受け取ってあげる」


 カスィーナは優雅に微笑むと、薬を口に含み、水もなしに飲み込んだ。そして、ボロボロの毛布を最高級のローブのように翻し、看護師に付き添われて廊下へと出て行く。


「皆様!お待たせしました、女神の再臨よ!」


 鉄格子の向こう、消毒液の匂いがする廊下に、彼女の明るすぎる声が響いた。すれ違う清掃員が哀れむような目を向けるが、彼女には「畏敬の眼差し」に見えているのだろう。


私はカルテの最後の欄に、ペンを走らせた。


――病名:自己愛性パーソナリティ障害および重度の解離性同一性障害。

――特記事項:現実認識能力の欠如。改善の兆候なし。要・終身隔離。


 ふと、窓の外から遠く、祝いの鐘の音が聞こえた気がした。そういえば、今日は王太子マルシム殿下と、新たな筆頭聖女フェリン様の婚礼の儀が執り行われているはずだ。


 あのお二人は、カスィーナによって破壊された女神との信頼関係を一から結び直し、聖力が失われた世界を立て直すために、血の滲むような努力を重ねてこられた。カスィーナが追放されてから、少しずつではあるが、世界には聖力が戻りつつある。だが、女神の怒りは凄まじかった。「何も起きていないからいいじゃない」と、かつてカスィーナは笑っていたが、それは許容されていたわけではない。女神の怒りは沈黙の中で限界まで蓄積されていたのだ。その代償を支払うのに、これほどの時間がかかってしまった。


 そして皮肉なことに、彼女がフェリンに言い放った言葉――「罰則がないなら自由でしょう」という主張は、国の法を変えた。かつては「聖女の性善説」と「良識」に委ねられていた数々の慣習は、二度と同じ過ちが起きないよう、厳格な法典として明文化された。「聖女法」の制定。それこそが、彼女がこの国に残した唯一の、そして最悪の功績かもしれない。


 パタン、と重い音を立てて、私はファイルを閉じた。窓の外では、雪が降り始めていた。彼女の「聖女」としての栄光は、あの冷たい雪の下に永遠に埋もれていくのだろう。誰も、二度と掘り返すことなく。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

面白かった、と思っていただけたら★評価、ブックマークなどしていただけるととても励みになります( ´∀`)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ