それでも、ここに咲く
春が過ぎ、夏も終わろうとしていた。
綾は、静かな部屋で窓の外を眺めていた。風が揺らすカーテンの隙間から、陽の光がそっと差し込んでいる。
昔の自分なら、こんな時間は無駄だと思っていた。立ち止まることは、弱さだと。
けれど、いま綾は、動けない。心が、身体が、もうこれ以上はと叫ぶまで働いてしまったから。
「楽しい方に行けばよかったのかな……」
ぽつりと、こぼれた言葉に、誰も答える者はいなかった。ただ風だけが、優しく返すように頬を撫でた。
「でもあのときは、それしか選べなかった」
浮かんでくるのは、あの職場での出来事。声にならなかった「もう無理です」という叫び。
頑張れば報われると思っていた。苦しさも、やりがいの証だと信じていた。
それでも──身体は、心は、裏切らなかった。
倒れて、ようやく気づいた。
「わたし、楽しくなかったんだ」
そして今、何もない日々の中で、ふと気づいたことがある。
目の前の風景が、どこかやさしい。時間がゆっくり流れている。心の奥で、固く凍っていたものが、少しずつ溶けている。
そんなある日、小さな公園を歩いていた綾は、目を奪われた。
アスファルトの割れ目から、小さな花が一輪、咲いていた。
土も、養分も、陽の光すら足りない場所。それでも、その花は咲こうとしていた。
「……あなたも、ここに咲いたんだね」
その声は、どこか自分自身への言葉のようだった。
もしかしたら、自分もいま、新しい場所に根を張りはじめているのかもしれない。楽しい方ではなくても、選んでしまった道の先に──こうして咲く場所があるのかもしれない。
綾は少しだけ、笑った。
「仕事は辞める“運命”だったのかもしれないね。だって、いまの私が、少しだけ生きてる感じがするから」
風が吹いた。どこか、答えるように。
綾は、もう少し歩いてみようと思った。