この右腕と、君の手術
風が冷たい。朝焼けの気配がまだ遠い灰色の空の下、男は少女を背負って歩いていた。
瓦礫の街。割れた舗装。沈黙だけが響く旧・第六特別区。
少女――鏡 遙の意識が、ようやく戻り始める。
「……まだ私を背負ってたの?どこよここ、おろして……」
背中で、か細い声がした。だが男は歩みを止めない。
「気がついたか。じゃあ、そろそろ降りろ」
「なんっ…勝手に運んでおいて、偉そうに」
文句を言いながらも、遙は背中から降りる。足取りはまだふらつくが、立てる程度には回復していた。
二人は、焼け落ちたビルの一角へ入っていく。
風を避けられる場所を見つけ、荷を下ろす。アキラが火を起こし、水筒を差し出す。
「飲め。まだ顔が真っ青だ」
「……」無言で受け取る
受け取りながら、遙は少し距離を取った。
疑いと警戒は解けていない。
「さて。そろそろ教えてくれる? あんた、誰? 何者? なんで私を攫ったの?」
アキラは火の前に座り、黙ってしばらく手を温めていた。
やがて、ゆっくりと話し始める。
「これから、お前には力を貸してもらわなきゃならない。……だから、話しておく
俺は百武アキラ。昔、帝国軍で中尉だった。……あの戦争が始まって俺は南の戦地に飛ばされた。だが俺は戦場で、人を殺せなかった」
遙はわずかに目を細める。
「それって問題なんじゃない?」
「ああ。敵を目の前にして、撃てなかった。だから“逃げた”ことにされた。
結果、処分対象になって、送り込まれたんだ。とある研究所にそしてそこの研究所では人間に“能力”を埋め込む実験をしていた」
アキラは右腕の袖をまくる。
そこにあったのは、生身とは違う質感を持つ腕―いや、“何か”が埋め込まれた腕だった
「その研究者で俺の他にいたのは、全員――死刑囚か、重犯罪者だった。
殺人犯やテロの首謀者。生きてるだけで危険な連中ばかりだった」
「……」
「軍は、“どうせ処分される命なら、使えるところまで使え”って理屈だった。
適応できた者はごくわずか。大半は、力を受け入れられず、死んだ。倫理もクソもない。
死に方も普通じゃなかった。肉体が崩れるやつ、暴走して自滅するやつ……」
アキラの声が一瞬だけ、遠くを見た。
「俺は、生き残った。……そして、“これ”を手に入れた」
彼は右手を見つめる。
「この腕に触れたものは、生き物でも物でも、“構造と弱点”が見える。
骨の歪み、装甲の継ぎ目、崩れるポイントが直感的に“浮かぶ”ようになる。
そこを突けば、壊せる。……それが、この能力だ」
遙は押し黙ったまま、火の揺らめきを見ていた。
やがてアキラは言う。
「でも能力者達は戦場に行く事無く帝国は戦争に負けた。研究所は崩れて、能力者たちは逃げ出した。」
「つまり……危険な力を持った連中が、今も野放しってこと?」
「ああ。どこで何をしてるかもわからない。
中には研究者を殺して逃げた奴もいる。
……俺を人間扱いしてくれた、そしてこの計画を止めようとしていた唯一の研究者も、能力者の一人に殺された」
……そんな、非人道的な研究が……本当に、あったの?」
「あったとも。俺はそれを見て、そこで生きてきた。
だから、逃げ出した能力者たちを、俺が狩る。
能力を奪い、殺す。
それが、軍人としての落とし前だ。
――そして、あの研究者を殺したやつを見つけて、殺す。
この研究のすべてを知るために」
アキラは懐から黒いノートを取り出す。焦げ跡のある表紙を、そっと開く。
「その人は、死ぬ間際にこれを俺に渡した。
“能力は、移植された部位ごと他者に継承される”と書いてある。
ただし、それを成功させるには……“鏡家の医術”が必要だってな」
そこで、ようやくアキラは、遙を真っ直ぐに見た。
「鏡家。……お前の一族の名だ」
遙の肩がぴくりと動いた。
「……それで私を、勝手に……」
「鏡家の人間は、戦争でほとんど死んだと聞いた。
でも、お前が孤児に医術を施して生きてると知った。
だから……お前を探した」
沈黙。
遙はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「……私の父、昔よく書斎にこもってた。
棚の奥にあった古い本。開いたら、“臓器を通じた伝達”とか、“術式の継承”とか、変な言葉が書いてあった」
アキラは何も言わない。
「それが、あんたの言ってる実験と関係あるなら……鏡家は、そういうことに……」
小さく息をついて、遙はアキラを見た。
「でも、だからって、すぐ協力する気にはなれない。
攫われて、能力の話されて、はいそうですかって女、そうそういないと思うけど」
「……そうだな」
「ただ……気にはなる。
父と母が何をしてたのか、家が何を守ってたのか。
あんたが言ってる“真実”ってやつにも、少しは興味が出てきた」
言ってから、視線をそらす。
「だから、もう少し様子を見る。
あんたが信用できるか、ちゃんと判断してから」
アキラは、わずかに口元を緩めた。
「それで十分だ」
「あと、私が巻き込まれて死んだら恨むからね。
あんた、そういう顔してるから。勝手に突っ走りそうな」
「……気をつける」
廃墟の中。火が小さく揺れている。
まだ心は重なっていない。けれど、歩き出す準備は――できていた。




