白痕(はっこん)
この国は、かつて人間に“能力”を埋め込もうとした。
敗戦が迫るなか、孤島の研究所では秘密裏に超能力の人体実験が行われていた。
視覚強化、破壊衝動の強化、肉体再生──
能力は肉体の一部と結びつき、人格さえ変えていった。
そして戦争は、終わった。
国は崩れ、研究所は崩壊し、記録も抹消された。
だが、被験体たちは──死ななかった。
能力を埋め込まれた者たちは、研究所から逃げ出した。
彼らは裏の社会へ潜り込み、能力を隠しながら生き続けた。
犯罪に、戦闘に、取引に、その力を使いながら。
そして、敗戦の日。
研究所が崩れるあの混乱の中で、
俺に人間として接してくれた、“研究者”が殺された。
誰がやったのかはわからない。
ただ、逃げ出した“誰か”が関わっていることだけは、確かだ。
だから俺は、今でも追っている。
奴らの居場所を探り出し、力ごと“回収”していく。
能力を奪い、その記憶を覗くために。
この物語は、終わったはずの戦争を、俺が終わらせるための記録だ。
ここは敗戦から10年後の大煌州帝国
雨が降っていた。
冷たく、容赦のない雨だった。瓦礫に打ちつけられるたび、小さな音が積もっていく。
それはまるで、死者たちの囁きのようだった。
かつて病院だったこの建物は、爆撃で半壊し、今では**地図にも記されていない“残骸”**だった。
だが、地下に残された一室だけが、かろうじて息をしていた。医療器具と解剖台、腐りかけた薬剤、そして人間の気配。
静かすぎた。戦争の終わった国の片隅は、時としてこんなふうに“無音”になる。
そして、その静寂を破ったのは──
「ガキィンッ!」
ガラスの砕ける音だった。
入り口のガラスごと、何かが力任せに叩き壊された音。
それは獣の咆哮でもなければ、銃声でもない。
診療台の横でカルテを整理していた女は、驚くよりも早くメスを抜いた。
眼差しに迷いはなかった。戦後のこの世界で医者をやっている以上、「命を狙われる日」など想定済みだった。
「誰──」
瓦礫の間から姿を現したのは、黒いコートを羽織った男だった。
濡れたブーツがコンクリ片を踏みしめるたび、静けさが破壊される。
男の顔はフードの影に沈んでいて見えなかった。
だが、右腕だけは異様に目立っていた。
まるで、神経が皮膚の外に露出したような白い筋。
それが、肘から指先にかけて“何かの命令”のように脈打っていた。
「……お前が、“鏡家”の医者か」
男の声は低く、乾いていた。
まるで、感情というものを削り落とした後に残った“機械の音”のようだった。
「鏡 遙。(かがみ はるか)移植術の継承者。お前の力が必要だ。……来い」
遙は数秒、呆然とした。
“鏡家”──それを知っている時点で、ただの強盗じゃない。
「……は? あんた何者よ。いきなり入ってきて──!」
言葉よりも先に体が動いた。
メスを逆手に構え、一直線に男の喉を狙って跳びかかる。
──その直後。
「甘い」
右手が、静かに前に出された。
それだけだった。
が──空気が震えた。
右腕に走る白い神経線が、空間をなぞるように走った瞬間。
その“軌道”に触れたものすべてが──歪んで、崩れた。
メスは刃の根元から真っ二つに折れ、
空気は引き裂かれ、
診療室のタイルは、彼の足元から放射状に割れた。
「な、に……それ……」
「お前には説明する前に、やってもらうことがある」
気がついたときには、背中が壁に叩きつけられていた。
腕をつかまれた感触──いや、“絡みつく”ような白い神経線が彼女の手首に触れている。
そして、視界がぐるりと反転する。
遙の身体は、一瞬で肩に担がれていた。
「ちょっ……待って! なに勝手に──!」
「俺には、お前の力が必要だ。“殺すために”じゃない。“終わらせるために”だ」
「意味がわからないってば! ただの誘拐よこれ! 離せ! 訴えるからな!!」
怒鳴りながら、彼女はなおも抵抗する。
だが、男の体はまるで岩のように動じない。
戦争で死に損なった兵士でも、ここまで異様な“重み”は持たない。
男は、砕けた窓からそのまま跳躍する。
崩れかけた廊下、コンクリの割れ目をものともせず、廃墟の外へ飛び出した。
灰色の空。降りしきる雨。
かつての街並みは、遠くの煙と瓦礫のシルエットだけになっていた。
遙は肩の上でようやく気づく。
この男には、殺気も怒りも恐怖もない。
ただ──
何かに取り憑かれたような、異様な“意志”だけがあった。
──これは、まともじゃない。
そして同時に、こうも思った。
──こいつ、本気だ。
彼女の声は、雨音にかき消された。
「……いったい、何を終わらせようってのよ……」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
舞台は「戦後10年後」の、平和と混乱が交差する国。
この物語は、敗戦の闇に逃げた能力者たちと、
その力を“奪い、暴こうとする”ひとりの男の復讐劇です。
主人公は、能力を宿された存在でありながら、
自らの力を“道具”としてしか見ていません。
それは彼が、「何を代償に能力を得たか」に深く関わっています。
今回、ヒロインである「鏡 遙」が登場しました。
彼女はこの物語のもう一つの鍵であり、
“能力を奪う”という行為そのものに対する問いを投げかける存在になります。
次回は、主人公の目的、遙の移植術について投稿します。
まだ終わっていない“戦争”の続きを、どうか見届けてください。