第四章:信用残高の足かせ
2050年、東京・渋谷スクランブル交差点上空を、大型のホログラム広告が煌々と照らしていた。そこには、最新のBMIデバイスを装着した「エリート・オペレーター」が、自宅のリビングでくつろぎながら、たった1時間の遠隔監修で年間3000万円以上の収入を得る様子が映し出されている。彼らの背後には、最新の高級車や広大な邸宅が描かれ、この社会の頂点に立つ「テック貴族」のライフスタイルを象徴していた。
一方、スクランブル交差点の地下にある、薄暗い物流センターの一角で、斉藤マサトは汗を流していた。彼の腕に装着されたスマートパスは、彼の信用スコアと、過去の作業AI評価、さらにはSNSでの発言内容までをリアルタイムで表示している。マサトの信用スコアはD。作業AI評価も「平均以下」と常に表示される。SNSでは、政府の政策に対する批判的な意見を何度か投稿したことがあり、それが彼のスコアに響いているのは明白だった。
「斉藤!このパレット、あと10分で積載完了させろ!AIの指示だ!」
上司の怒鳴り声が響き渡る。マサトは急いで重い荷物を運び、自動搬送機に積み込んだ。彼の仕事は、コンビニへの商品補充、物流倉庫での仕分け、そして高齢者向けの介護補助。これらはすべて「人間の手による貴重な労働」として、低スコア層に割り当てられる仕事だった。労働強度は高く、肉体的にも精神的にも疲弊するが、時給は最低水準に固定されている。
正社員雇用はすでに消滅しているため、マサトのような人間は、毎日、スマートパスに表示される「タスク」をこなすことでしか収入を得ることができない。タスクの数は、信用スコアとAI評価に直結しており、彼のDスコアでは、常に過酷な肉体労働しか回ってこないのだ。
昼休み、マサトは支給された栄養補助ゼリーをすすりながら、スマートパスのニュースフィードを眺めた。そこには、AIによって最適化された「パーソナルニュース」が表示されており、彼のような低スコア層には、主に地域の防犯情報や、節約術、そして精神医療AIの活用を促す広告が目についた。この社会では、政府が「分配」よりも「維持と統制」に移行しており、スマートパスによる監視と補助制御が徹底されている。国民の60%が「自己効力感喪失」とされ、精神医療AIの使用が義務化されつつあるという報道は、彼にとって他人事ではなかった。
「なぁ、マサト。お前もそろそろ、精神医療AI試してみたらどうだ?」
同僚のケンタが、そう言って自分のスマートパスを見せた。ケンタのスコアはCで、マサトよりはいくらかマシだった。彼のスマートパスには、精神医療AIの無料トライアルの広告が表示されている。
「あれ、義務化されつつあるって話だろ?俺はまだいい」
マサトは気のない返事をした。自分の思考や感情までAIに管理されるのは、どうしても抵抗があった。しかし、この社会では、精神的な不調もまた、信用スコアに影響を及ぼす要因となっていた。精神医療AIの受診を拒否すれば、スコアが下がり、割り当てられる仕事がさらに限定される可能性があった。
午後もひたすら肉体労働が続いた。マサトの身体は鉛のように重く、意識も朦朧としてきた。それでも、彼は立ち止まるわけにはいかない。休憩時間が終われば、すぐに次のタスクがスマートパスに送られてくる。
仕事が終わり、マサトは自宅へと向かった。彼が住むのは、都心から電車で1時間以上かかる、郊外の老朽化したアパートの一室だ。家賃は安いが、都心へのアクセスは悪く、交通費だけでも馬鹿にならない。彼のアパートの隣には、東南アジアからの移民労働者が住んでいた。彼らは「技能実習3.0」制度によって日本にやってきたが、実質的には準奴隷契約型で、家族同伴も許されない。地方のインフラ、農業、介護、清掃などを支えているが、社会保障へのアクセスや教育、永住権は厳しく制限されているという。富裕層の家庭では「住み込み家政婦AIサポート付き移民」が一般化していると聞くが、マサトの生活とはまるでかけ離れた世界だった。
マサトは、自分がこの社会の最下層にいることを痛感していた。上位1%の「自己再生型特権層」と、自分のような「スコア管理型下層」の間には、埋めがたい断絶が存在する。彼の人生は、信用スコアという名の足かせによって、がんじがらめにされていた。
夜空には、煌々と輝くタワーマンションの灯りが見える。あそこには、1日1時間のリモート監修で年間3000万円以上を稼ぐ「エリート・オペレーター」たちがいる。彼らは、人間が持つべき「仕事」の概念を根底から覆し、もはや身体的な労働から解放された存在だ。マサトは、彼らと自分との間に横たわる、圧倒的な労働格差を、静かに受け止めるしかなかった。彼は、明日もまた、スマートパスに表示されるDスコアに縛られながら、重い荷物を運び続けるだろう。




